ワンピースとブーツ
何だか足もおぼつかなくなってきた。まるで雲の上を歩いているようだ。
いつもより倍も時間をかけて小屋に戻ってきたが、太陽はまだ沈んでおらず、明るい。こんなに早く帰れたのは久しぶりだ。
「お帰り、今日は帰りが早いのね」
迎えてくれたマラは、ルルの顔を見て、心配そうに寄ってきた。
「どうしたの? 顔が赤いわね、熱でもあるのかしら」
マラの小さな手が額に置かれ、ルルは「違うの、何でもないよ」と慌てて言った。
それでもまだ心配そうにしているマラの気をそらすため、ルルは空っぽになった籠を見せた。
「見て、全部売り切れたんだよ」
「あら、すごいじゃないの」
マラは目を丸くして驚いている。
「人参を全部買ってくれた男の子がいてね。それで、ほら見て、こんなにくれたの」
ルルはポケットに大事にしまっておいた金貨五枚を見せた。マラはますます驚いている。
「こんなにたくさんのお金を、まあ……」
マラはそれ以上言葉にならなかったようだ。
ルルは金貨五枚全部をマラの手に載せると、マラは驚きを残しながら、こわごわと金貨を見ている。
「金貨五枚だなんて、随分と気前の良いお客さんね。……その男の子は誰なの?」
「それがよくわからないの」
「よくわからない?」
マラは怪訝そうな顔をした。
「うん。髪は赤茶色で、背は高かったよ」
ルルは説明しながら少年を思い返したが、目も口も隠れてしまい、おまけに名前まで教えてもらなかったため、数時間一緒に過ごしたにもかかわらず、結局、少年について何一つ情報を手に入れることができていなかった。
「たぶん、お金持ちの家の子だと思う。私にバターミルクパンをおごってくれたし、あと、服と靴をプレゼントしてくれたんだよ」
「プレゼント?」
ルルが洋裁店の袋を見せると、マラは呆気に取られていた。
「見て、すごく可愛いの」
ルルは袋から洋服と靴を取り出して、マラに見せた。
マラは金貨をテーブルに置き、ルルが買って貰ったレースワンピースとブーツを手に取った。
「素敵ね。ルルによく似合いそう」
困惑気味のマラの顔に、ようやく小さな笑みが見えたが、またすぐに戻ってしまった。
「この店の服は値段が高いのよね」とマラは独り言のように呟いた。
ルルは値段を知っていたが、マラに教えたら卒倒してしまうかもしれないと思い、黙っていることにした。
「本当にルルの知っている人ではないの?」
ルルは首を横に振った。
「わからないの。顔もよく見えなかったし、名前も聞けなかったもの」
「不思議なことがあるものね」
マラは金貨と服と靴を、何度も交互に見ていた。
「虹神様の祝福ね」
虹神様――ルルはおとといのことを思い出した。ルルの目の前に突然現れて、キラキラした光をルルに注いでくれた虹神様。まるで夢のような出来事だった。
マラの言った通りなのかもしれない。
「虹神様に感謝して、ルルにたくさんのプレゼントしてくれた男の子に感謝して、大事に使いましょうね」
「うん」
マラの言葉に、ルルは力強くうなずいた。
次の日、ルルは目を覚ますとまず最初に、男の子からプレゼントされたレースワンピースとブーツを眺めた。
レースワンピースをそっとなでると、柔らかい感触と細かい刺繍の糸の感触が伝わってくる。本当に貰ったのだと実感するまで、まだ時間がかかりそうだ。
今日すぐにでも着たいけれど、これから畑仕事に出て、市場で商売するとなると汚してしまうかもしれない。ルルは着古したいつもの服を着た。
台所では、すでに起きていたマラが、食事の支度をしていた。
「おはよう。あら、あの服は着ないの?」
普段通りの格好をしているルルを見て、マラが聞いてきた。
「汚したくないから、別の時に着るよ」
ルルはそう答えたが、別の時、というのが一体いつになるか、わからなかった。最悪なことに、一生着る機会がなかったらどうしよう。
するとマラが提案した。
「それなら、今日帰ってきて着替えるのはどうかしら? ルルが着ている姿を、私も見たいわ」
すごくいい案だ。ルルの胸が高鳴った。
「そうする! 帰ったら着るね」
そうなったら、急いで畑仕事を終えて、市場に行って、なるべく早く帰って来れるようにしよう。
ルルはすぐ畑に飛び出した。
外の畑には、太陽の光が差し込み、ルルもその暖かい光をたっぷり浴びながら、気は急いていたが丁寧に水やりをし、食べごろの野菜を探した。
今日も人参が良さそうだ。
籠にいくつか入れていきながら、ルルは赤茶髪の少年は、人参を食べてくれただろうか、と思った。おいしく食べてくれたかな。
――また、会えないかな。
ルルは空を見上げた。青い空がどこまでも高く続いている。朝の凛とした爽やかな風が、ルルの髪を揺らした。
虹神様に会った次の日の不思議な出会いは、虹神様が与えてくれたのかもしれない。
(どうか、もう一度、彼に会わせてください)
ルルは目を閉じて虹神様に向かって祈り、それから歌を歌ったあと、マラに見送られながら、市場へ向かった。
市場で、ルルは通りかかる人の中に少年の姿はないかと探していたが、結局、夕方になっても少年を見ることはできなかった。
人参は四本残ったが、あとは全部売れた。上々の出来だったが、少年に会えなかったことの落胆の方が大きかった。
最後の望みをかけて広場へ行ったものの、やはり少年の姿はなかった。
昨日少年と行った高級店が並ぶ通りをのぞいてみようかと思ったが、もう日はだいぶ傾いている。そろそろ帰らなくてはいけない。
帰ったら、マラに服を着た姿を見てもらう予定だったことを思い出し、ルルの落ち込んでいた気持ちも、少し明るくなった。
帰ろう。
ルルはもう一度広場をぐるりと見渡し、少年の姿がやはりないことを確認してから、家路についた。