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虹神様の日

 次の日の朝早く、ルルはマラと一緒にお城へ向かう準備をした。

 エリメレクが迎えに来てくれることになっているので、その前に、ルルはレインがプレゼントしてくれたレースドレスを着て、ブーツを履いた。マラは、エリーサの招待を受けた日より少し濃い目に化粧を施してくれ、髪も丹念に結ってくれた。

 ルルの手足の先から、だんだんとしびれてくるような緊張が伝わってきた。

 音楽学校で精一杯勉強したけれど、まだまだ足りないということはわかる。

 不安と緊張でルルの心は騒いだ。

「おばあちゃん、緊張するよ。私、精一杯勉強したけど、まだまだ学ばなければいけないことはたくさんあるのに、こんな私の歌を虹神様は聞いてくださるかな?」

 つい本音を漏らすと、マラはルルを落ち着かせるように穏かな笑みを向けた。

「大丈夫、ルルの歌は最高よ。虹神様もきっと聞いてくださるわ」

 マラに手を包まれて撫でられた。次第に、ルルの手に暖かさが戻ってくるのを感じた。

「ルル、いつも通りでいいのよ、いつものあなたらしく」

 マラの落ち着いた声は、ルルの心を静めてくれる。

「畑で歌っている時のように、純粋に、真っ直ぐな心で、虹神様に感謝の歌を捧げるのよ」

「うん」

 ルルはマラを抱き締めた。暖かいマラの手が、そっとなだめるようにルルの背中を撫でてくれる。

 マラの暖かさに包まれ、それまで飛び跳ねていた心臓の鼓動が、ゆっくりと穏かなものへと変わっていった。

「ありがとう、おばあちゃん」

 その時、小屋のドアをノックする音が聞こえた。

「あら、もうエリメレクさんがいらっしゃったのかしら」

 マラは驚いている。それもそのはず、エリメレクが約束した時間より、まだ一時間も早い。

「私、見てくるね」

 ルルはそう言って、マラから手を離し、小屋のドアへ向かった。

 開けた瞬間、目の前にギラリと光る刃物が見え、ルルは声を失った。

「騒がないで」

 ルルの喉元に短剣を突きつけているのは、カレットだった。その隣にはダラスがいる。

 カレットは小屋にいるマラからは見えないように、ルルの体を盾にして短剣を持ち、小さな声で早口で言った。

「今から黙って私について来なさい。少しでも騒いだら、あんたを切り殺すわよ。いいわね?」

 うなずいたら顎を切ってしまいそうなほど短剣が近くにあったので、ルルは代わりに「わかった」とだけ答えた。

 どうしよう、どうしよう。

 ルルの頭はパニックになりかけていた。

「ルル、どうしたの?」

 マラの声が小屋の中から飛んできて、ルルは頭から一気に冷水を浴びたように冷静を取り戻した。

「エリメレクさんではないの?」

 マラが心配そうに杖をついてこちらへ向かってくる音が聞こえる。

 マラの命を守らなくてはいけない。ルルはそれだけを考えることにした。

 ダラスが小屋の中に入りそうだったので、ルルはとっさに手をふさいで「待って」と言った。

「おばあちゃんには手を出さないで。お願い。私が何とか話すから」

「私たちのことバラすんじゃないわよ」

 カレットが小声で言い、それから短剣を引っ込める代わりに、ルルをどんと押して小屋に戻した。

 尻餅を着きそうになって小屋に戻ってきたルルに、マラは驚いてさらに寄ってきた。

「ルル、どうしたの? 誰が来たの?」

「おばあちゃん、誰も来てないわ。風の音だったみたい。ちょっと、よろめいちゃった。心配させてごめんね」

 ルルはマラに向かって微笑んでみせたが、上手く笑えたかどうか心配だ。マラに見抜かれないことを心の中で祈りつつ、ルルは言った。

「私、気になることがあるから、少し寄り道してから、お城へ行くね。エリメレクさんには申し訳ないけど、後から行くって伝えてほしいの」

「寄り道って、どこへ行くの?」

 カレットは私をどこへ連れて行くのだろう? ルルもわからない。

「えっと……音楽学校よ」

 苦し紛れに出てきた言葉に、ルルはさらに嘘を重ねて言った。

「忘れ物しちゃったことを思い出したの。今から取りに行ってくるね」

「忘れ物なら後でもいいでしょう? もうすぐエリメレクさんもいらっしゃるわ」

「今行かないといけないの。どうしても必要なものだから」

 ルルは背中にじわりと汗をかいた。急がないと、外でカレットがイライラして待っているに違いない。

「おばあちゃん、本当にごめんなさい。エリメレクさんには私が後から行くって伝えておいて、お願い」

「それは構わないわ、けど……」

 マラを上手く説得できていないのは、マラの不可解そうな表情からわかったが、ここでぐずぐずしていられない。

「本当にごめんなさい。おばあちゃん、大好きよ」

 ルルはマラを抱き締め、それから急いで小屋を出て、しっかりドアを閉じた。

「遅い」

 カレットは目を吊り上げてルルを待っていた。

「さっさと行くわよ」

「どこへ行くの?」

 カレットは返事の代わりに、ギロリと冷たく睨んできた。黙れと目で言われたのを感じ、ルルは口を閉じた。

「っ!」

 突如、腕に痛みが走った。ダラスが、ルルの両手を後ろに回し、手首をぎゅっと何かで巻きつけている。ダラスの手に、縄があるのが見えた。

「ダラス、何するの」

 カレットに睨まれないように、ルルは小さい声で言った。

 ダラスはさっきから怖いほど冷たい表情で、彼自慢の甘い笑みは全くない。

「あんたが逃げ出さないようにするためよ」

 答えたのはカレットだった。どうやら聞こえていたらしい。

 カレットは小道をはずれて、森の中へ入っていく。ルルは思わず足を止めた。じわじわと恐怖が襲ってくる。森の中では悲鳴をあげようにも届かない。街に行けば助けがあるかもしれないという望みも消える。

 手首をぐっと引っ張られ、痛みが走った。ダラスが持っていた縄を引っ張ったのだ。

「来い」

 ダラスの声は、今までに聞いたことのない低い声だった。

 カレットはどんどん森の奥へ入っていく。ルルも観念して、ついていくしかなかった。

 カレットとの距離が少し空いたのを見計らって、ルルは望みをかけてダラスに小声で話しかけた。

「ダラス、お願い、こんなことやめて」

 しかしダラスが耳元に囁いてきた声は、突き放すようにぞっとしたものだった。

「君が俺を奏楽者に選ばなかったからいけないんだよ。自業自得だ」

 ルルは顔から血の気が引いていくのを感じ、何も言えなくなった。

 ダラスはカレットの言いなりになっているのではなく、共謀者だったのだ。

「ここでいいかしら」

 カレットがそう言って立ち止まったのは、うっそうとした木に囲まれて、じめじめしたところだった。

 ダラスはルルを引っ張り、近くの木に自分が持っていた縄を巻きつけた。

 大木に縛り付けられているルルを見て、カレットは嘲笑った。

「歌姫候補とあろうものが、惨めな姿ね」

 ルルは二人に気づかれないように手首を動かしてみたが、縄はびくともしない。

「このままあんたを置いてってもいいけど」

 ルルは自分が干からびて餓死する姿を想像し、背筋が寒くなった。

「あんたの老婆がうるさくなりそうだし」

「おばあちゃんには手を出さないで!」

 思わず叫んだルルは、頬にバシッと強い痛みが走って、一瞬意識を失いそうになった。

「うるさいわよ! あんたは黙ってなさい」

 カレットの血走った目に、ルルは足がすくんだ。

 カレットに叩かれたのだ、と気づいたときには唇が切れていて、血の味が口に広がっていた。

「今日は虹神様が帰られるまで、あんたにはここにいてもらうわよ。あんたを歌姫にさせない、絶対に」

 カレットの声には狂気すら感じる。

「歌姫はこの私よ」

「そうだね、カレット」

 それまで黙っていたダラスが、カレットの方へ歩み寄り、親しげにカレットの肩を抱いた。

「カレットが次の歌姫、俺が次の奏楽者だ。――しかし、エリーサ様たちは、きっとこの子を探し回るぞ。どうする?」

 ルルは二人のやり取りを一言も逃すまいと聞いていた。その一方で、虹神様に向かって、必死に心の中で叫んだ。

 虹神様! お願いです、助けてください!

「そうね。私が城へ行って、あの子は急に怖気づいて逃げたと言うわ」

 カレットはいきいきした様子だった。

「その後で、あの老婆も一緒に街を去ってもらうっていうのはどう?」

「いい案だね」

 ダラスもうなずいた。

「あんた」

 カレットがルルに近寄ってきた。短剣を取り出して、ルルの喉元に突きつけたので、ルルは恐怖で身がすくんだ。

「今夜、あんたを解放してあげるから、あんたの大事な老婆と一緒にこの街を出て行きなさい。そして二度と戻ってくるんじゃないわよ」

 街を出る……ルルにとって生まれ故郷であり、育ってきた場所だ。この街以外、ルルは知らない。

 ルルの目に涙が溢れてきた。

 街を出たら、レインにも、エリーサ様にも、エリメレクさんにも、もう会えなくなる。一ヶ月熱心に指導してくれたグローバン先生はがっかりするだろう。

「泣いたって助けは来ないわよ」

 カレットは軽蔑して冷たく言った。

「いいわね、私の言う通りにしないと、あんたの老婆と小屋もろとも火をつけるから」

「言う通りに、します」

 ルルの声は涙でかすれたが、カレットはそれを聞いて満足げに笑った。勝利の笑みだ。

 カレットは短剣を離し、それからダラスに向かって言った。

「私はこれから城に行って、上手く説明してくるわ。ダラス、あなたはここで、彼女が逃げ出さないように見張っててちょうだい」

「わかった」

 逃げ出すもなにも、ルルにはもうその気力も残っていなかった。

 ただただ、涙が溢れてきて、ルルの頬を濡らす。手首が木にしっかりと固定されているため、涙を拭くこともできず、ぽたぽたと地面に落ちていった。


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