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レインの秘密

 ところが、ダラスはお昼の時間にもやって来た。

 午前の授業が終わって副校長室を出たルルに、ダラスが近づいた。ルルは逃げる間もなかった。

「そろそろいい加減に答えてくれない?」

 ダラスは笑みを浮かべているが、その目は真剣で、苛立ちも混じっている。

「俺を奏楽者に選んでくれる?」

 もしここで「選ばない」と言ったら、ダラスはどう反応するのだろう。間違いなく、いい反応をするわけがない。

 冷や汗が流れたルルに、突如、救いの手が来た。

「ルル」

 少し離れたところから声が飛んできた。ルルもダラスも振り返った。

 ルルは目を疑った。

「レイン?」

 背が高くて金髪の髪に綺麗な顔立ち、こちらに向かってくるのは、間違いなくレインだ。

「レイン、どうしたの?」

 ルルは状況を忘れて尋ねた。

「ルルの様子が気になって見に来た。……ダラス、久しぶりだな」

 レインはダラスに向かって厳しい視線を向けた。

「ルルに何してた?」

 レインはルルのすぐ隣に来て、ルルを守るように立った。

「奏楽者にしてくれるように頼んでたところさ。邪魔しないでくれ」

 ダラスはレインに敵意を剥き出しにしている。

「奏楽者の地位はどうだ? エリーサ様の弟ってだけで、もう四年も奏楽者をしてて、さぞ気分がいいだろうな」

「君みたいに色恋沙汰に力を費やさなかったからね、気分は最高だな」

 嫌味たっぷりに言い返したレインに、ダラスの顔が引きつった。レインの声は落ち着いていたが、冷たかった。

「ルルにちょっかいをだす暇があったら、奏楽の練習をしたらどうだ?」

 ダラスはレインを睨み付けた。

「この親の七光りが」

 ダラスは忌々しそうに呟いて、それから、ルルを見た。ルルに微笑もうとしているようだが、上手く笑えていない。

「ルル、さっきの話の続きは……」

「決めました」

「えっ?」

 ダラスは素っ頓狂な声をあげた。今まで誰を奏楽者にするか答えなかったルルが、ここに来て突然答えると言い出したから驚いたのだろう。

 ルルは腹をくくった。ここで言わなければ、ダラスはまだしつこくついて回ってくるだろう。今ならレインもいるから大丈夫だ。

「私はレインを奏楽者にします」

 ダラスはルルの手元を見て、唖然とした表情から、憤然としたものへと変わった。

「なるほど、そういうことか」

 ルルはその時、レインの服をぎゅっと握り締めていたことに気づき、慌てて手を離した。

「レイン、お前も人のこと言えないな」

 ありったけの軽蔑した表情でダラスは言うと、ルルとレインに背を向けて去って行った。

「レイン、ごめんなさい」

 それまでダラスを睨んでいたレインが、視線を外してルルを見た。レインの目は、もう穏かなものに変わっている。

「私、さっき気づかずにレインの服を握ってたの。ダラスは勘違いしたかもしれない」

「そのことはいいよ。……しかし、あいつがここにいたこと、もっとよく考えるべきだった」

 後半のレインの言葉は、ルルに対してではなく自分に対して言っていた。

「レインはダラスのことよく知っているのね?」

「同じ年に入学した、同級生なんだ。昔からあいつは歌姫候補を見つけては付き合うような奴だった。そうやって奏楽者になるのを狙ってる。どうせ今はカレットと付き合ってるんだろう」

 まったくその通りだ。

「あとで校長先生に相談して、厳重に注意してもらうよ。あいつには効き目がなさそうだけど、やらないよりはいい」

「ありがとう、レイン。でも、もう大丈夫」

「本当に?」

「うん」

 ダラスにはレインを奏楽者にするとはっきり告げたし、ダラスはルルとレインが付き合っていると勘違いしている。これ以上、ルルに言い寄ったりしてこないだろう。

「大丈夫だよ、レイン」

 まだ納得してないレインに、ルルはもう一度繰り返して言った。

「心配してくれてありがとう」

「ルルがそう言うなら……」

 レインはようやくルルに微笑み、それから手に持っている袋を見せた。

「ルルの好きなバターミルクパンを買ってきたんだ。食べよう」

「レインも一緒?」

 期待を込めて尋ねると、嬉しい答えが返って来た。

「ああ、この後少し時間が空いたから、一緒に食べよう」

「うん!」

 これまでダラスやカレットのことで嫌な思いをしてきたことが、レインのお誘いで一気に吹き飛んだ。これで残りの学校生活も頑張れそうだ。

 その時ルルは、レインが赤茶髪の少年に変装していた時に助けてくれたことやプレゼントのお礼をまだしていないことを思い出した。

「レイン、広場で私を助けてくれて、たくさんのお金をくれて、プレゼントをしてくれて、本当にありがとう。私もおばあちゃんも、とっても感謝してるの」

「たいしたことはしてないよ。僕も楽しませてもらったし」

 レインはにっこりと笑った。

「たまに変装して街に出るんだ、いい気分転換になるから」

「私、気が付かなくてごめんなさい」

「いいよ、気が付かないようにこっちもしてたんだ」

「お土産のお菓子に入っていた手紙を見てビックリしたの」

 レインは声を上げて笑い、茶目っ気たっぷりに言った。

「驚いたルルの顔、見たかったな」

 その時、レインとルルの横を、何人かの生徒が通り過ぎた。どの生徒も、びっくりしてレインを見つめ、それからレインに向かって一礼する。女子生徒の中には「レイン様よ」と友人と囁いて頬を赤らめる子もいた。

「お昼を食べるのに、いい場所があるんだ。案内するよ」

 レインはそう言って、食堂とは違う方向に向かって歩き出した。

「勉強はどう?」

 歩きながら、レインはルルに向かって尋ねた。

「グローバン先生は厳しくない?」

「厳しいけれど、優しいところもあるよ」

「僕、あの先生苦手なんだよな。あの無表情な顔で何度叱られたことか」

 レインはとたんに口元をきゅっと結んでグローバンの真似をしたので、ルルは思わず笑った。

 歩いている途中も、何人かの生徒とすれ違ったが、やはりみんな、驚いた表情でレインを見て、それから尊敬の眼差しで一礼する。

「レインは有名人ね」

「奏楽者が学校に来るのが珍しいだけだよ」

 レインは控えめに言って肩をすくませた。

 やがてレインは校舎の裏口と思える場所から外に出た。

 ルルは澄んだ新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。とても気持ちがいい。

 いつも外に出るのは日もだいぶ傾いてからなので、学校にいる間に、真上に昇った太陽の暖かい光を直接浴びるのは久しぶりだった。

「こっちだよ」

 レインはルルの手を取って、緩やかな丘を登った。芝生の丘で、白と黄色の小さな花がところどころで群生し、芝生の周りには木々が生えている。太陽の光が降り注ぎ、爽やかな風が吹いていた。

「素敵なところね」

「僕の隠れ場。学校にいた時、時々ここに来てたんだ。――座ろう」

 ルルはレインと一緒に芝生の上に座った。

 木々の間からは、音楽学校の赤いレンガの塔、そして塔に取り付けられた時計が見える。午後の授業までもう少し時間はある。

「はい、ルル」

 レインは袋からバターミルクパンを取り出してルルに渡してきた。

「ありがとう」

 バターミルクパンはまだ温かい。

「さっき、買ってきたばかりなんだ。バターミルクパンの他にも色々買ってきたよ」

 そういってレインは袋から、蜂蜜パンやらメロンパン、クリームパンやあんぱんを次々出してきた。全種類買ったのかと思うほど、二人では食べきれない量だ。

「余った分はルルにあげる。もともとそのつもりで多く買ってきたんだ」

「ありがとう、レイン」

 おいしいパンをマラにも持って帰ったら、きっと喜んでくれるだろう。今夜はパン祭りになるに違いない。

 レインはルルに微笑み、それから目を閉じて短く食前の祈りをし始めた。

「この食事を虹神様に感謝していただきます」

 ルルも目を閉じて、レインの祈りに耳を傾けた。

 それから二人で一緒にバターミルクパンを食べた。

 ルルにとっては三度目のバターミルクパンだが、何度食べてもおいしい。濃厚なバターとミルクの味が口いっぱいに広がり、ルルは顔がほころんだ。

「そのノート、授業で使ってるもの?」

 レインがルルの脇に置いてあるノートに気づいた。

「うん、復習しようと思って」

「見てもいい?」

「うん」

 ルルがノートを渡すと、レインはノートを受け取ってぱらぱらとめくり始めた。

「ルルは偉いな。きちんとノートとって復習してるのか」

「そうしないと、私、覚えが悪いから」ルルは苦笑した。「レインはエリーサ様と一緒に卒業したって聞いたよ。天才奏楽者だって」

「それ、誰から聞いたの?」

 レインは顔をあげた。あまり嬉しくなさそうだ。

「エリメレクさん」

「そうか。まあ、エリメレクなら仕方ないな。……僕と姉様の母は歌姫だった、父は奏楽者」

 ルルはびっくりして目を丸くした。

 レインは面白くなさそうに続けた。

「だから、あいつは親の七光りだって言ったんだ」

 初めて知った。レインとエリーサが歌姫と奏楽者の子ども――羨ましい家柄だが、当人にとってはそれがいい思い出を残さないこともあるようだ。

 突如、レインはルルに向かって言った。

「僕はルルの歌声が最高に好きだな。二週間前に、虹神様がいらっしゃった時、ルルの歌を聴きに寄ったのもよくわかるよ」

 レインが、畑で歌っていたルルの前に虹神様が現れた日のことを言っていることがわかり、ルルはびっくりした。

「レインもその場にいたの?」

「いや、僕は城から虹神様が来るのを見て待っていたんだ。虹神様が街のはずれの森の中に姿を消したときは焦ったよ。何があったのか、城へ来るのをやめたのか、――結局また森から姿を見せて、街の中を回って城へ来てくださったから良かったけど。それで、森の中に何があったのか、確かめに行こうと思ったんだ」

「それじゃあ、レインは小屋に来たの?」

「そう、次の日、畑で歌っているルルの歌を初めて聴いて、衝撃を受けたよ。次の歌姫はルルしかいないと思った」

「レインが来ているなんて、知らなかったよ」

 自分が知らない間に、歌を聴かれていたのは、何だか恥ずかしいものだ。

「結構近くまで寄ったんだけどね、ルルは気づいてなかったな」

 いたずらっ子のようなレインの笑みに、ルルは頬が赤くなった。

「だって、まさかレインがいるとは思わないもの」

「ルルが小屋に入ってしまったから、追いかけて話をしようかどうか迷ったよ。けれどすぐにルルが小屋から出てきたから、後をつけたんだ」

「えっ」

 レインは決まり悪そうに謝った。

「黙っててごめん。ルルがどんな子なのか知りたかったんだ」

 まさかレインにつけられていたとは全く気が付かなかったが、嫌な気はしなかった。

 レインが広場で助けに入ってくれなければ、カレットとぶつかった後、ルルはもっと惨めな思いをさせられていたに違いない。

「レインが来てくれて、私はとても助かったよ。ありがとう」

 ルルが礼を言うと、レインはほっとした表情で、それから照れたように頬をかいた。

「とっさにそうしてたんだ。変装した状態で顔を合わせるつもりはなかったんだけど、ルルともっと話してみたいと思って、結局あの日は色々付き合わせてしまった」

「私は楽しかったよ」

 今でもよく覚えている。まるでデートのような幸せなひと時だった。

 レインは微笑んだ。

「ルルと別れたあと、早速姉様に報告した。姉様も興味を示してすぐに手紙を書いた」

「それで次の日に、私のところにエリーサ様の招待状が来たのね」

 すべてが今、ようやくつながった。

「そう。そうしたら、すぐにルルが来てくれて、しかも化粧して僕がプレゼントした服を着てくれていて驚いたし嬉しかったよ」

 じっと見つめられ、ルルの鼓動は不規則になった。

 丘に暖かな風が吹き、ルルの髪を揺らした。乱れた髪を手で戻しながら、ルルはレインに言った。

「私、あの時助けてくれたのが、レインだって知ってビックリしたけれど――レインで本当に良かった」

 心の底からそう思う。

 そして、レインがいなければ、ルルはエリーサから招待を受けることも、こうして歌姫候補として音楽学校に通うこともできなかったのだ。

「レイン、ありがとう」

 何度感謝のお礼を言っても言い尽くせない、服と靴だけじゃない、たくさんのプレゼントをルルはレインに貰っている。

「私、歌姫になれるように頑張るよ」

 それが最大のレインへの恩返しだとルルは思った。

「応援してる」とレインは言ったが、その表情がふと曇ったのを、ルルは見逃さなかった。

「レイン、どうかしたの?」

「奏楽者のことだけど、ルル……何も僕を選ばなきゃいけないってことじゃない。ルルには選ぶ権利がある」

 ルルは面食らった。もしかして、レインはさっきのルルの言葉を本気で言ったわけじゃないと思っているのだろうか。

「私、レインに奏楽者になってもらいたいの」

 案の定レインは目を見張った。

「ダラスから逃れるためにそう言ったんじゃなくて?」

 ルルは首を横に振り、それからレインの透き通るような綺麗な青い瞳を真剣に見つめた。

「本気で言ったの。私、レインの奏楽好きよ」

 レインがルルの歌を好きだと言ってくれたように、ルルもレインの竪琴の音色が好きだ。

「レインが奏楽してくれたとき、とっても歌いやすかったの。虹神様に思いを向けて、心から歌うことができた。レインは素晴らしい奏楽者よ。レイン以外の奏楽者なんて、考えられない」

 考えたくもない。ダラスに言われる前からずっと、とっくに決まってたのだと、今ならわかる。自分の奏楽者はレインしかいない。

 ぐっと体を引き寄せられ、レインの金色に光る髪が頬にふれた。

 抱き締められたのだと気づくと、ルルの顔は真っ赤になった。

「ありがとう、ルル」

 耳元でレインの声が聞こえる。

 ルルの心臓はばくばく音を立てていたが、ふと肝心なことに気づいた。

「けど私、まだ歌姫に選ばれてもいないよ」

 するとレインが体を離して、はっきりと言った。

「僕の中では、もうルルは選ばれてるんだよ」

 にっとレインが笑ったので、ルルも微笑んだ。何よりも嬉しい、励みになる言葉だ。

「そろそろ時間か」

 レインが塔の時計を見て立ち上がり、それからルルの手を取って立ち上がらせてくれた。

「グローバン先生の部屋まで送るよ」

 副校長室へ向かう間も、レインはずっと手を握ったままだった。

 すれ違う生徒たちはレインに一礼し、驚いた顔をしてルルと繋いでいる手も見たが、あえて話しかけてくることはしなかった。

 副校長室の前に来ると、ルルはレインと別れるのが名残惜しくなり、思わず尋ねた。

「またお昼一緒に食べれる?」

「そうしたいのは山々だけど、あいにく無理そうなんだ」

 ルルはがっかりするのを自分でも抑えられなかった。

「次に会えるのは虹神様がいらっしゃる時なのね」

「待ってるよ」

 レインにそっと髪を撫でられ、ルルはうなずいた。

「レイン、今日は本当にありがとう。それから」

 ルルはレインから貰った、大量のパンが入った袋を持ち上げた。

「ごちそうさまです」

「どういたしまして」

 レインは微笑んだ。やはりレインは綺麗な顔立ちをしている。ルルの頬はほんのり赤くなった。

「ルル、またね」

「うん。行ってきます」

 レインに見守られ、ルルは副校長室へ入った。

 グローバンは机で何か物を書いていたが、ルルをちらりと見ると、手元にある大きな袋にその視線を移した。

「随分と大きな荷物を持ってるのね」

「レインからパンを頂きました」

「レイン? ここにレインが来ていたの?」

「はい」

 言わない方が良かっただろうか、とルルは思った。レインがグローバンに何度も叱られていて苦手だと言っていたことを思い出す。

「あの子ほど手を焼いた生徒はいませんでしたね」

 グローバンはふとそう漏らしたが、口元に少しだけ笑みが浮かんだのをルルは見た。

「けれど、あの子ほど才能に溢れた生徒もいませんでしたよ。あの子は生まれつき奏楽の才があるわね」

 グローバンが他の生徒を褒めるのを、ルルは初めて聞いた。ぜひ、レインにも聞いてもらいたかった。

 やはりレインはすごい人なのだ、とルルは改めて知った。

「それでは午後の授業を始めましょうか」

 グローバンの表情はいつも通りに戻っていた。

「はい、よろしくお願いします」

 ルルも気を引き締めて、午後の授業に臨んだ。


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