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音楽学校登校

 朝を迎え、ルルは畑仕事をいつもより早めに終え、収穫したものは全部マラに渡した。生活費はお城から十分に給付されたので、市場に売りに出さなくても良くなったのだ。

 制服に身を通したルルの胸は、緊張と高揚で入り混じっていた。

「忘れ物はないわね?」

「大丈夫」

 リストを確認しすぎて丸暗記してしまったくらい、準備は完璧だ。

「気をつけて行ってらっしゃい」

「うん、行ってきます!」

 マラに見送られ、ルルは小屋を出て、小道を歩いた。

 三日前はこの小道を野菜を持った籠を手にして歩いていたのに、今は音楽学校の教科書や筆記用具が入った鞄を提げて歩いている。こんな夢のような状況になるなんて、三日前の自分には、まったく予想も想像もできなかったことだ。

 暖かい太陽の光を浴びながら、ルルは賑やかな市場を抜け、広場を通り、高級店通りを抜けた先にある音楽学校へ向かった。

 音楽学校は赤いレンガの建築物で、玄関らしき大きなアーチの上には、高い塔がそびえ建ち、その塔の上の部分には時計がある。人の背丈の四倍もあるかと思うほど大きな玄関は、完全に開いており、そこへ、音楽学校の制服を着た女の子や男の子たちが吸い込まれていくのが見えた。

 私もあの中に加わってもいいんだよね……。

 ルルはどきどきしながら玄関をくぐった。生徒たちはルルに怪訝な視線を向けてこないし、入ってはいけないと注意してくる先生もいない。本当に、音楽学校の生徒になれたのだ。

 ルルはほっと胸をなでおろすと同時に、喜びも湧いてきた。

 初めて入る音楽学校の建物の内部は、玄関の同じ形をしたアーチと柱がいくつも並び、天井は高く、廊下は広くて長かった。その両脇には教室らしき部屋がいくつもあり、生徒たちがそれぞれの教室へ向かっていく。

 ルルはエリメレクに教えてもらった地図を頼りに、広い廊下を抜け、いくつか角を曲がった先にある、一つの部屋のドアまで来た。

 黒のペンキが塗られたドアには「副校長室」と書かれたプレートがはめ込んである。 ルルは地図を見て、間違いなくここの部屋を地図が指し示していることを確認した。

 心臓がどきどき言っている。

 ルルは服装と髪の最終チェックをし、それからドアをノックした。

「どうぞ」という女性のきびきびした声が聞こえ、ルルは「失礼します」とドアを開けた。

 広い部屋で天井が高く、壁は一面本棚だった。まるで図書館かと錯覚してしまいそうなほど大量の本に囲まれた部屋の中央には、ソファがあり、その奥に大きなテーブル、そしてその向こうに一人の女性が腰掛けていた。

 ルルは丁寧に頭を下げた。

「ルルと申します。よろしくお願いいたします」

「あなたがルルね。ようこそ、音楽学校へ」

 女性が立ち上がってこちらへ来た。すらりとした背に、銀縁の眼鏡をかけ、口元がきゅっと引き締まっており、高いヒールを履いているため、歩くとカッカッと音がした。

「副校長のグローバンです。これから一ヶ月、あなたの個人授業の担当をします、どうぞよろしく」

「はい、よろしくお願いいたします」

 グローバンの履いている高いヒールの分、彼女の方が背が高い。

「時間もあまりないですから、まずは最初にあなたの歌唱力を見ましょう」

 グローバンはずらりと並ぶ本棚へ向かい、迷うことなく一冊の本を取り出した。

「賛歌集は持ってきたわね?」

「はい」

 リストに載っていたし、ちゃんと鞄に入れたことも覚えている。ルルは急いで鞄から賛歌集を取り出した。

「では、五番を歌ってちょうだい」

 ルルの背中に冷や汗が流れた。

 賛歌集の五番を開いたものの、五本線と黒の丸い玉の羅列が並んでいるようにしか見えない。

「すみません、私、楽譜が読めません」

 グローバン先生が目を見開いて驚いたのがわかった。

「ではいつもどうやって歌っているの?」

「心に浮かんだメロディーを歌っています」

 ルルは答えながらも恥ずかしくなってきた。

 グローバン先生の表情は冷静を取り戻していたが、さっきの驚きようからすると、楽譜が読めないということは、あまりいいことではないらしい。

「自作の曲を歌っているのね。初代歌姫・セイレーンもそうだったと聞いたことがあるけれど、ここで学ぶ以上、やはり楽譜が読めるようにしないといけないわね」

 後半のグローバン先生のセリフはほとんど独り言に近かった。

「わかりました。では、あなたがいつも歌ってる歌を歌って」

「はい」

 ルルは奏所でレインがルルにアドバイスしてくれた時のことを思い出し、深呼吸をして、肩の力を落とした。

 グローバンがじっとこちらを観察しているのが見える。

 ルルは目を閉じ、最後に大きく深く息を吸い、歌いだした。

 メロディーも歌詞もない。奏所で見た虹神様の虹の光を心に浮かべながら歌った。

 しばらくルルが歌ったあとで、パンパンと手を叩く音がして「はい、そこまででいいわ」というグローバンの声がした。ルルは歌うのをやめた。

 目を開けると、グローバンは一枚の紙を取り出し、そこに何かを書き込んでいる。

 何を書いているのか、ルルの立っている場所からでは読むことができない。

 代わりにルルはグローバンの表情を観察してみたが、口元はきゅっと引き締まっており、喜んでいるようにも、逆に怒っているようにも見えない。

 良かったのだろうか? 悪かったのだろうか?

 ルルはごくりと唾を飲み込んだ。

 熱心にグローバンは紙に書き続けながら、事務的な声で言った。

「良い歌でしたけれど、基礎がまだ不十分ね」

 それからグローバンはこちらを見た。まるで医者が患者を観察しているみたいだ。

「姿勢や口の開け方も直さなければいけない部分があるし、呼吸法や発声の練習も必要ね。腹斜筋も鍛えないと」

 専門用語が次から次へと出てくる。ルルにとっては初めて聞く言葉ばかりだ。

「音楽の知識だけでなく、歌姫を目指すなら、街の歴史も学ぶ必要があるわ」

 溜息のように呟いて、グローバンはまた紙に書き込んだ。

 ルルはじわじわと緊張が広がり、手に汗をかくのを感じた。

「あなたには教えることが山ほどあるわ。一ヶ月でやれるところまで、やってみましょう」

「はい、よろしくお願いします」

 どうやらその時、ルルの顔が強張っていたようだった。

 それまでほとんど表情を動かさなかったグローバンが、ルルの表情を見て、小さく微笑んだ。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。あなたには素質が十分ありますから。あなたの頑張り次第で、いくらでも伸びる可能性はありますよ。頑張りましょう」

 優しい励ましの言葉に、ルルの緊張が少しほぐれた。

「はい、よろしくお願いします」

 ルルはもう一度丁寧に頭を下げた。


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