執事エリメレク
次の日、音楽学校に必要な制服や教科書などを買いに行くため、エリメレクがルルの小屋に迎えに来た。
「ルル様、本日はよろしくお願いいたします」
エリメレクは相変わらず穏かな笑顔をしている。城で会った時と変わらず、白髪をきちんととかし、服装も汚れがまったくない。
「はい、よろしくお願いいたします」
マラもルルの後ろから、杖をつきながらやって来た。
そして、エリメレクに深々とお辞儀をした。
「ルルの祖母のマラと申します。どうぞ、ルルをよろしくお願いいたします」
エリメレクはマラにも丁寧に挨拶を返した。
「執事のエリメレクと申します。本日は大事なお嬢さんをお預りいたします。夕方には必ず送り届けます」
「はい、お世話になります」
マラとエリメレクは雰囲気が似ている、とルルは思った。穏かで優しい空気が二人の間に流れている。
「では、ルル様、行きましょうか」
「はい。――おばあちゃん、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
ルルはマラに手を振り、マラも笑みを浮かべて手を振り返した。
エリメレクはマラに向かって再度丁寧なお辞儀をし、それから二人はマラに見送られながら、街へ向かう小道を歩いた。
小道には木の葉っぱの間から木漏れ日が差し込み、爽やかな空気に乗って、鳥の鳴き声も聞こえてくる。
いつもは一人で歩くことが多いこの小道を、執事のエリメレクと一緒に歩いているのは、なんだか不思議な感じだ。
エリメレクは背筋もぴしっと伸びていて、足取りもしっかりしている。片足の悪いマラとずっと住んできたせいか、マラと同い年くらいにみえるエリメレクの元気さに、ルルは内心驚いた。
「昨夜はよく眠れましたか?」
エリメレクが尋ねてきた。
「最初は、なかなか眠れませんでした」
昨日はめまぐるしい一日だったせいで、寝床に横になっても眠れなかった。色々思い出すこと、考えることがありすぎたのだ。
「私みたいに、音楽学校に短期入学する人は他にもいるんですか?」
「いいえ。ルル様は特別です」
エリメレクは微笑んだ。
「音楽学校は十歳から入学する方がほとんどです。まれに編入する方もいますが、ルル様のように一ヶ月間の短期入学は、音楽学校始まって以来の初めてのことだと、先日入学手続きをした際に、学校職員の方が口にしておりました」
そうだったんだ……ルルは自分の今置かれている状況が、ただごとではないことを改めて知った。
そういえば、エリメレクは歌姫を何人も見てきたと、エリーサが言っていたことをルルは思い出した。
「歌姫様はみんな、音楽学校に十歳で入学して学んだ方ですか?」
「私が見てきた歌姫様は、みなそうでした。エリーサ様も、十歳の時に音楽学校に入られ、十七歳で卒業すると同時に歌姫になられました」
「レインも、その時に奏楽者になったんですか?」
「ええ、そうです。レイン様の竪琴は学校に在学されている時から話題になって、お城にいた私の耳にも入るほどでした。天才奏楽者という評判通り、レイン様はエリーサ様と四歳離れているにも関らず、飛び級されて一緒に音楽学校を卒業されました」
初めて知ったレインの過去にルルは舌を巻いた。
レインはそのことを自慢することも鼻にかけることもしないで、ルルに気さくに話しかけてくれたことを思い出し、改めて魅力的な人だとルルは思った。
街の広場を通り、高級店が並ぶ通りに来ると、ルルは赤茶髪の少年――レインと一緒に来たことを思い出した。
あの日のことが、まるで何ヶ月も前のように懐かしく感じる。
通りの落ち着いた雰囲気が変わらずそこにあり、甘い焼きたてのバターミルクパンの匂いもする。レインにバターミルクパンをおごってもらい、ベンチに並んで座って食べたことも、よく覚えている。
エリメレクは歩き出したが、向かっているのは、ルルの見間違えでなければ、バターミルクパンのあるパン屋だった。
「レイン様からのことづけです」
そう言って、エリメレクは焼きたてのバターミルクパンを買い、ルルに渡してきた。
「ルル様がこれをお好きのようだから渡してほしいと仰っていました」
「レインが……」
ルルは感激しながら、甘い香りがする温かいバターミルクパンを受け取った。
「ありがとうございます」
バターとミルクが絶妙なバランスのパンを食べながら、ルルはレインの優しさに、胸が温かくなるのを感じた。
「レインは今日はどこにいるんですか?」
「レイン様はエリーサ様と街の会議に出席しております」
奏楽者という立場上、レインも忙しいのだろう。そう簡単に会えるような人ではないのだ。
私は音楽学校に入学して、きっちり学ばなければ、とルルは気持ちを切り替えた。




