エリーサの願い
「レイン、まったくあなたは……」
エリーサが溜息をついたが、レインは悪びれていない。
「本当のことを言っただけだよ」
「だとしても、わざわざ言うことではないわ」
「カルロがルルに吐いた暴言に比べれば軽いもんさ」
「カルロ長老、ね」
エリーサは言い直し、それからまた小さく溜息をついたが、それ以上レインを叱ることはしなかった。
それからエリーサが、ルルに申し訳なさそうに謝ってきた。
「お気を悪くさせてしまってごめんなさい。カルロ長老には一人娘がいて、その子を歌姫にしたいとやっきになっているの」
「虹神様の選びがあるってことを、無視してるよな」
レインは呟いた。それからルルを見て、いたわるように声をかけてきた。
「気にすることはないよ、ルル」
「でも、カルロ長老の言ったことは本当なの」
「姉様」
レインが眉を潜めたが、エリーサは真剣だった。
「次期歌姫の候補になったからといって、必ず歌姫になれるとは限らないのは事実よ。虹神様は歌だけでなく、心を見られる方だから、謙虚にならないと、足をすくわれることだってあるわ」
「はい」
ルルも真剣にうなずいた。
エリーサ様とレインから歌姫候補として推薦されたのは嬉しいし、虹神様の残光が虹色に光ったことも夢のような嬉しい出来事だが、だからといって歌姫になれたわけではない。それはルルもよくわかっている。
エリーサは続けて言った。
「カルロ長老にお話しした、音楽学校に一ヶ月通ってもらうというのは、本当のことなの。音楽学校の手配も費用も、その間の生活費もこちらが負担するわ」
音楽学校に通える! ルルの心は舞い上がりそうだったが、エリーサとレインの手前、必死にそれを胸に押しとどめた。まさか、本当に、通えるなんて!
「短期間ですぐに歌の技術が上がるわけではないけれど、虹神様に歌を聴いていただく以上、ルルにもきちんと歌を学んでもらいたいの」
エリーサの虹神様に対する真摯な思いが伝わり、ルルは舞い上がってばかりはいられないことに気づいた。
カレットのように六年間もみっちり音楽学校に通って、歌の勉強をしている子はたくさんいる。その中で、カルロ長老の言葉を借りれば――ぽっと出の小娘の自分が、歌の勉強を始めたところで、基礎も技術も敵うはずがない。
けれども、それでも、歌姫を目指してみたい。こんなチャンスが来るなんて、夢にも思わなかった。
私なんかでも歌姫を目指していいんだ!
「私、頑張ります」
力強く答えると、エリーサは微笑んだ。
「頑張ってね。応援してるわ」
「ありがとうございます」
ルルは深々と頭を下げた。
その後、エリーサは執事エリメレクを呼び寄せ、明日にはエリメレクの立会いのもと、制服と教科書や必要な品々を買い揃えることになった。そして、明後日には音楽学校に入学する段取りがあっという間に決まり、ルルは実感が湧かずに、ただただエリーサとエリメレクのやりとりを見守るしかなかった。
エリメレクは穏かな物腰ながらも、仕事はきちんとするようで、エリーサがエリメレクに全幅の信頼を寄せているのがわかった。
「ルル、何かわからないことがあったら、エリメレクに聞いてね。エリメレクはここで長く働いていて、今まで何人もの歌姫の世話をしているのよ」
「僕たちにとって、頼りになるお父さん的存在だな」
レインもエリメレクを信頼しているようだ。
「恐れ入ります。もうお父さんとも言えるような年齢ではありませんが」
エリメレクはそう苦笑したが、嬉しそうなのはわかった。穏かなエリメレクの笑顔は、カルロ長老の残していった後味の悪い空気を、それだけで一掃してくれるものがある。
エリメレクはルルに丁寧に挨拶した。
「それではルル様、明日よろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
エリメレクは穏かな笑みを浮かべて一礼したあと、請け負った様々な仕事をするために、部屋を出て行った。
エリーサの窓からは、夕日のオレンジ色の光の中に、夕闇の紺色が混ざり始めていた。
今頃市場は、片付ける人たちが出ているだろう。マラも小屋で首を長くして待っているに違いない。
エリーサ様とレインと別れるのは名残惜しいが帰ろう、とルルは決めた。
「今日はありがとうございました」
ルルはエリーサとレインに向かって丁寧に頭をさげた。
「音楽学校のこと、何から何までお世話なり、心から感謝しています」
「こちらこそ、長く引きとめた上に、音楽学校の学びを引き受けてくれてありがとう。お菓子を持って帰ってね。おばあさまによろしく伝えてね」
エリーサの美しい微笑みに、ルルも笑顔を返した。
エリーサは容姿の美しさだけでなく、心の美しい人だ。改めてルルは、エリーサが歌姫で良かったと思った。
エリーサでなかったら、ルルが次期歌姫候補として推薦されることもなかっただろう。
「本当にありがとうございました」
何度お礼を言っても言い足りないほどだ。
「一ヵ月後にまた会いましょうね」
一ヵ月後――奏所で虹神様がいらっしゃる日だ。
「はい。よろしくお願い致します」
すると、レインがお菓子の入った袋を手に持って、それから竪琴を持ち、ルルの隣に来た。
「玄関まで送るよ」
「お願いね」とエリーサがレインに言った。
ルルはドアを出る際にも丁寧に礼をした。
「お邪魔しました。お世話になりました」
「またね、ルル」




