そして至奏所(しそうじょ)へ
至奏所の白い大理石の床と柱は、他の空間とは違い、光がより多く集まっているように見える。
至奏所の光を目にした瞬間、それまでの緊張とは比べ物にならないくらい大きな緊張が一気に押し寄せてきて、ルルの足が震えた。
「ルル、深呼吸をして」
隣に立っているレインが穏かな声でアドバイスしてきた。
「はい」
ルルは言われた通り、深呼吸をした。
「その調子、大きく息を吸って、吐いて、吸って、吐いて」
レインが竪琴を構え、弦に指を滑らせた。細くて長い指だ。どこかで見たような気がするが、そのことについては今は考えられなかった。
美しい琴の音色が流れ始めた。まるで川の流れのように、そのメロディーはルルの耳に入り、体内を潤していくようだ。
ばくばくと激しい音を立てていた心臓が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。足の震えも治まってきた。
「目を閉じて。肩の力を抜いて、リラックスして」
レインの声も、まるで竪琴の音色に同化しているようだ。聴き心地が良く、ルルは言われるままに目を閉じて、肩の力を抜いた。
竪琴の音色が少しずつ変わってきた。それまで水のように染み込んでいくようなものだったのが、次第に明るく、力に溢れた音色に変わっていく。
ルルは畑に突如現れた虹神様のことが頭に浮かんだ。
金粉のようにキラキラとした光の欠片を、ルルに向かって注いでくれた。流れ星のように、煌々として大きくて美しい光をしていた、虹神様。
琴の音色がだんだんと湧き上がってくるようなものになった。
「歌ってごらん」
背中をそっと押すようなレインの促しを受け、ルルは口を開き、そして、歌いだした。
決まった歌詞もなく、メロディーもない。虹神様が現れた時のように、ルルは心地よく歌えた。
最初はリードしてくれていたレインの竪琴の音色が、やがて、ルルの歌声に合わせるように寄り添うのを感じた。ルルが思うままに、歌の中で飛んだり跳ねたり、早くしたり遅くしたりしても、レインの奏楽はぴったりとくっついて、ルルを支えてくれる。
畑で一人、歌っているのとは違う。ルルは自分の歌が、どんどん力を増していくような感覚がした。
奏所を取り巻く温かく優しい光が、さらに熱を帯びたように感じた。何かが、ルルを取り囲んでいる気がする。
「ルル、驚かないで、目をそっと開けてごらん」
レインにそっと言われ、ルルはゆっくりと目を開け、「あっ」と息を呑んだ。
虹色の光が、リボンのようにルルを取り巻いている。虹色の光はまるで喜び踊っているかのようだ。一つ一つの光が、キラキラと虹色に輝いていて、ルルはその美しさに目が奪われた。
なんて美しい光なんだろう。
そっと手を伸ばし、虹色の光にふれてみたが、霧のようにスゥーと抜けてしまった。伸ばした手の平に、ちょこんと虹色の光が乗ってきた。まるでルルを相手に遊んでるみたいだ。
「虹神様の残光が、ルルの歌に反応したんだ」
レインは竪琴を弾きながら説明してくれた。それを見て、ルルは自分が歌うのをすっかり忘れていたことに気づいた。
「ごめんなさい、すぐに歌います」
急いで歌おうとしたルルを、レインが首を横に振って止めた。
「今は虹神様の光を見てて、そのうち消えてしまうから」
レインの竪琴の音色はゆったりと落ち着いており、虹色の光を刺激しないようにしようとしているのか、音を小さくして弾いている。
虹色の光は、ルルの髪や手足にふれてきた。口元にもふれてくると、唇がほんのり熱を帯びたような気がした。肌も温かく感じる。
虹色の光はルルに近づいては離れ、近づいては離れを繰り返し、キラキラと輝いた。
この美しい光景を、マラにも見せたかった。きっと今頃、小屋の中で、心待ちにしていることだろう。
帰ったらこの景色をちゃんと説明できるように、ルルは自分を囲む虹色の光を、しっかりと目に焼き付けた。
やがて、虹色の光は、霧が晴れていくように、すーっと消えて見えなくなり、レインの竪琴の音もやんだ。
一瞬の静寂の後、
「ルル!」
エリーサが駆け寄ってきて、ルルの手を取った。その美しい顔は喜びに溢れている。
「とても素晴らしかった! 虹神様もルルの歌を喜んでくださっていたわ」
エリーサの瞳には涙さえ浮かんでいる。
「感動したわ、ありがとう」
「最高の歌だったよ」
レインもルルに向かって微笑んだ。どきりとするほど美しい笑顔だ。
「竪琴を弾くのを忘れそうになるくらい、聞き惚れた」
エリーサとレインの手放しの賛辞に、ルルは頬が赤くなった。
けれど、こうして奏所で緊張に飲まれずに歌えたのは、レインのおかげだ。レインがルルをリラックスさせてくれ、竪琴でリードし、支えてくれた。
「ありがとうございます。レインのおかげです」
「ルルは謙遜だな」
「ルル、あなたにお話ししたいことがあるの」
エリーサは興奮しているようだった。
「私の部屋に戻りましょう。レインも来てちょうだい。それから、エリメレクにカルロ長老を呼んでもらいましょう」
レインはうなずいたが、ルルは状況がよく飲み込めなかった。しかし、何かただ事ではないことが起きているのは確かだ。
虹色の光はとっくになくなっていたが、奏所は相変わらず温かい優しい光で包まれ、木々はみずみずしい葉をつけ、花たちは満開に咲き誇っている。
ルルは最後にもう一度、至奏所を見た。白い大理石の柱と床は、そこに虹神様がいなくても、重々しくて、そして荘厳な雰囲気が漂っている。虹色の光はもうなくなっていた。
「行きましょう」
エリーサに手をひかれ、ルルは生命に溢れた奏所をあとにした。




