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奏所(そうじょ)へ

 何も起こらない。ただ心臓だけが相変わらず激しい音をたてている。

 ルルは次に片方の手と腕を奏所に入れた――よし、大丈夫――次は体、最後に顔ともう片方の足を入れた。

 とたんに光がルルを照らし、ルルは怖くなって、ぎゅっと目を閉じた。

 何も起こらない。けれど、まぶたを閉じていても明るいのがわかる。

 そして不思議なことに、その光が太陽と違う雰囲気を感じた。目を閉じていても、まるで生き物のようにルルの周りを動いているような感じがする。優しくて温かい光だ。

「ルル、目を開けて。大丈夫、何も起こらないから」

 そっと目を開けたルルは、目の前に広がる光景に、目を疑った。

 なんと、森が広がっている。

 床には青々とした草が広がっており、みずみずしい葉っぱをつけた木が生え、色とりどりの花が咲き乱れている。

 ここが本当に城の中? ルルは上を見上げた。頭上高くまで木々の葉っぱが伸びていたが、間違いない、確かに葉の隙間から塔の形をした天井が見える。まるで森のように様々な植物が生えているその部屋は、電気もないのに、明るい光で満ちていた。

「驚いたでしょう。ここが奏所なの」

 エリーサは呆気に取られているルルに、説明してくれた。

「ここは虹神様の残光ざんこうで満ちているの。だから、太陽の光が差し込まなくても、植物が成長するのよ」

「虹神様の残光、ですか」

「ええ、ルルも感じるでしょう」

 エリーサは明るい光に満ちた空間で両手を広げた。

「優しくて温かい、太陽の光とは違う雰囲気を――」

「はい」

 ルルはうなずいた。奏所に入って目を瞑っていた時、ルルが感じたことは間違いではなかったのだ。

「だから、ここの植物は一年中枯れることはないのよ」

 エリーサの言う通り、奏所に生える植物はどれも元気だった。

 足元の草は柔らかく、踏むたびに押し返されるような弾力があり、花はたくさんの種類が植わっていて、それぞれ開花の時期が違うはずなのに、どれも満開に咲き誇っている。この部屋は、生命の力で溢れている。

「進みましょうか。今日は虹神様はいらっしゃらないけれど、降りる場所が決まっているの。もう少し先よ」

 まるで整えられた森のような奏所の中を、エリーサはまっすぐ進んだ。

 ルルもエリーサのあとを追った。足の震えはいつのまにか治まっていた。

 やがて、白い大理石の柱が四本見えた。円柱で、人が二人ぐらい腕を伸ばさないと囲むことができない太さで、高さは三メートルほどだろうか、柱にはそれぞれ歌姫の紋章が刻まれており、見事な彫刻だった。その柱の中央には、正方形の、柱と同じ白い大理石の床が敷いてある。

「あそこが、虹神様が降りられる場所よ。至奏所しそうじょというの。至奏所には、私たちも入ることができないのよ」

 歌姫様でも入ることができない、虹神様の場所・至奏所……ルルの心に畏怖の念が湧いた。

 その時、どこからか琴の美しい音色が聞こえてきた。

 ルルはどきっとして、至奏所を見たが、変わった様子はない。よく聞くと、音色は至奏所を囲む森の中から聞こえてくる。

 水のように流れるメロディーはうっとりするものだが、緊張しているルルにその余裕はなかった。

 木々たちが歌っているのだろうか? 突飛な考えだとわかってはいても、奏所ならあり得そうだ。

 どきどきしながら、隣にいるエリーサをうかがったが、彼女は平然としている。

 そしてエリーサは、森に向かって歩き出した。エリーサから離れないように、ルルも慌ててついていった。

 琴の音色がだんだん大きくなっていく。

 エリーサは一つの木の前に立ち止まって上を見上げ、そして穏かな声で、笑みを浮かべながら言った。

「レイン、そこにいるんでしょう」

 すると、それまで聞こえていた美しい音が、ピタリと止んだ。

 誰かいるのだろうか? 

 ルルもエリーサに習って上を見上げたが、葉っぱが生い茂っていて、何も見えない。

 幹の近くから見上げたら見えるだろうか?

 ルルが木に近寄ったとき、目の前に何か大きなものが落ちてきた。

「きゃっ!」

「おっと」

 尻餅をつきそうになったルルの手を、誰かがぱしっと掴んだ。

「ごめん、怪我はない?」

「はい、私の方こそ、ごめんなさい」

 心臓がばくばくいってたが、ルルも急いで謝った。

「いや、ちゃんと注意しなかった僕が悪かったよ」

 目の前にいるのは綺麗な金色の髪をした少年だった。

 ルルは奏所に、すでに他の人がいたことに動揺して後ずさりしそうになったが、少年が強い力でルルの手を取っていたので、後ろには行かなかった。

 するとエリーサが紹介してくれた。

「ルル、こちらはレイン。私の弟よ」

 エリーサ様の弟! ルルは慌てて挨拶した。

「初めまして、レイン様。私はルルと申します」

「僕のことはレイン、でいいよ。僕もルルって呼ばせてもらうから」

 どうやら歌姫の弟レインは、随分気さくな人らしい。

「レインは、竪琴たてごとの奏楽者なの。だから、奏所に入ることができるのよ」

 エリーサの説明を聞いて、ルルはレインが竪琴を手に持っていることに、今さらながら気づいた。

 どうりで彼が奏所にいるわけだ。奏楽者は歌姫と同様、奏所に入ることが許されている。

 それにしても、なんて、美しい顔立ちをしているんだろう。ルルはエリーサの時のように、レインもまじまじと見てしまった。金髪は光の当たり具合によっては濃い黄金色に輝いていて、瞳は透き通るような青い色をしている。エリーサの弟だというのは納得だ。

 ルルがレインをじっと見ていたように、レインもルルを見ていたようだった。

 間近で目が合うと、レインが尋ねてきた。

「初めて奏所に入ってみて、どう? 僕は奏所に入る前の広間みたいなところを想像してたから、初めて奏所に来たときは随分驚いたよ」

 奏所にいるのにレインの話し方には一切緊張は感じられず、まるでどこかの庭で会話しているかのようだった。

 ルルは虹神様が聞き耳を立てているんじゃないかと、どきどきしながら答えた。

「私もびっくりしました。森の中にいるみたいで。でも、太陽がないのに虹神様の光が溢れていて、植物もすくすく育っていて、生命に溢れていて、素敵なところですね」

 エリーサがそれを聞いて、ルルに同意するように微笑んだのを視界の端で捉えながら、ルルは正直に言った。

「――けれど、まだ緊張してます」

 レインは明るく笑った。

「そのうち慣れるさ」

「ルル、今まで竪琴の奏楽と一緒に歌ったことはある?」

 エリーサの質問を受けて、ルルは首を横に振った。

「ありません」

「それじゃ今回が初挑戦か」とレイン。

 その表情はむしろ喜んでいるようにも見える。

「よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします。あの、どういう風に歌ったらいいですか?」

「普段の歌い方でいいよ。僕が合わせる」

「ルル、至奏所の近くで歌っていただけるかしら」

 エリーサの提案に、ルルはうなずいた。虹神様が降りられる至奏所の近くで、歌姫様を前にして歌う――ついにその時が来たのだ。


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