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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

なろう公式企画

四八センチ

作者: 烏屋マイニ

 黒板に向かって左側。教室の窓側の隅に設置されたテレビを見て、由緒(ゆい)はふと違和感を覚えた。それは教材のDVDを流したり、校内放送で校長の顔を映したりするために使われる、ごく普通のテレビだ。

 由緒が気になったのはテレビそのものではなく、それが設置された角度だった。普段、彼女がいる五年三組の教室のテレビに比べ、この五年四組のテレビは黒板がある壁面に対して、やや深い角度で配置されているように見える。しかし、窓や黒板との位置関係を見る限り、大きな差異があるとも思えない。

 一体、どのような目の錯覚かとテレビの前まで歩いて行こうとすると、背後から肩を掴まれた。由緒が振り向くと、体操服姿の女子が立っている。五年四組の委員長、久山桜子(くやまさくらこ)だった。髪が長く肌も白くて、人形のように愛らしい容姿をしている。

古賀(こが)さん。下着のままでどこへ行くの?」

「ごめん、桜子ちゃん。脱いだの忘れてた」

 由緒は、あははと笑い、急いで体操服を着込んだ。二限から三組と四組の合同体育授業があるので、今はそれぞれの教室に男女が別れて着替えをしている最中だったのだ。

「忘れてた?」

 桜子は目を丸くする。服を脱いだことを忘れる女子がいるとは、彼女にとって思いもよらない事なのだろう。しかし、由緒は夢中になると、重要な事がストンと頭から抜け落ちてしまう癖があった。自宅では、トイレで読んだ本に集中しすぎてパンツを上げ忘れ、トイレを出ようとしたところで派手にすっ転んだ事もある。彼女が学校で、そのような醜態を晒さずにいられるのは、トイレが和式で、本など読める環境にないからに過ぎない。

「ちょっと、テレビが気になるんだよね」

「何も映ってないけど」

「そうじゃなくて、角度」

 由緒は自分の疑念を説明するが、桜子は首を傾げるばかりだった。それは、彼女に注意力が欠けているからではなく、単に比較の対象を見たことが無いからだ。三組のテレビを見せれば、由緒の違和感を共有してもらえるかも知れない。

 由緒は、ちょっと三組まで見に行こうと誘うが、桜子は着替え終えたのだから、さっさと集合すべきだと主張して、由緒を校庭に引っ張り出した。そして校庭に出たところで、彼女は重要な問題を指摘した。

「今は男子の着替えが置いてあるから、入るのは良くないと思うの」

「なるほど、それは気付かなかった」

「テレビの事は後で調べるわ」

 桜子はそう言うと由緒に背を向け、三組の委員長を捕まえて、クラスごとに生徒を整列させ始めた。

「桜子ちゃん、美人だなあ」

 てきぱきと働く桜子の姿を見ながら、由緒は呟いた。

「ああ。古賀があれと同じ女子だとは、思えないくらいだ」

「なんだと!」

 ムッとして振り向けば、クラスメートの八神圭介(やがみけいすけ)だった。ニヤニヤ笑いならまだしも、真顔で言っているからタチが悪い。

「なんだもかんだも、短パンからパンツをはみ出させて平気でいるようなヤツを、そこらの女子と同じには見れないだろ」

 由緒は慌てて短パンを引っ張り上げるが、ハイレグになるばかりで、あまりうまくいかなかった。

「体操服をパンツに押し込んでるからだ」

 圭介に指摘され、由緒は体操服の裾をパンツから引っ張り出した。

「ヘソを出すな」

「うるさーい!」

「うるさいとはなんだ。親切で言ってるのに」

「親切の前に、ちょっとはドキドキしろよ。女子のパンツとおヘソを見たんだぞ」

 由緒は泣きたくなった。

「あのな、古賀」圭介は由緒の肩に手を置き、そして桜子を指さした。「あれが、女子だ」

「くそうっ」

 由緒はがくりと膝を突いた。そして、彼女ははっと顔を上げた。

「つまり、桜子ちゃんのパンツとおヘソなら、圭介でもドキドキするってことか?」

「どうしてそうなる」

「私のへそがどうかした?」

 指をさされて訝しく思った桜子が歩み寄ってくる。

「圭介は、桜子ちゃんのおヘソが見たいんだって」

 桜子はじろりと圭介を睨む。圭介は桜子の視線を真っ直ぐに見つめ返す。言い訳しないとは、なかなか男らしいなと由緒は感心する。

「古賀さんも見たいの?」

「そりゃもう、ぜひ参考にしたい」

「なんの参考だ」

 圭介は不審をあらわに聞いてくる。

「えーと、女子力的な?」

「どう考えても猫に小判だろ」

「なんだと!」

 すると桜子は体操服の裾をまくり上げてヘソを見せた。一切、迷いを感じさせない動きだった。圭介と由緒は呆気にとられて固まった。

「そろそろ先生が来るわ。二人とも、列に並んで」

 桜子は表情一つ変えずに言い置き、二人に背を向けて歩み去った。

「古賀、お前のおかげだ。ありがとう」

 圭介は真顔で言うと、男子の列に戻った。その背を見送りながら、改めて男らしいヤツだと思う由緒だった。

「圭介、お前というヤツは!」

「久山さんにお腹を見せてもらうとか!」

「どんな手を使った!」

 彼が、他の男子からボコボコに小突かれたとしても、由緒の評価は揺らがなかった。


 合同体育を終えて、二限の後の中休み。由緒はと言えば自分の席でグッタリしていた。授業の内容はクラス対抗のドッヂボールで、学習と言うよりもレクリエーションの要素が強かったから、みんなには好評だった。しかし、生憎と由緒は運動が苦手で、体力も運動神経もハムスター級だったから、完全にスタミナを使い果たし、今の状態に至るわけである。

 唐突に教室の後ろの扉が開き、桜子が現れた。彼女は近くにいた女子を捕まえて、何事か話し掛ける。声を掛けられた女子は、それに二、三言返し桜子を通した。桜子は教室を見渡し、由緒を見つけると、真っ直ぐに彼女の席へ歩み寄った。

「古賀さん」

「どうしたの、桜子ちゃん?」

「テレビを調べに来たの」

 桜子は三角定規と分度器を見せる。

「四組は調べた?」

 由緒は重い身体を引っ張り上げ、桜子と並んでテレビに向かった。

「五二度だったわ」

 桜子は屈み込み、床に三角定規と分度器を当て、テレビが置かれた台の角度を測る。由緒も同じように腰を落として、彼女に向かい合うような格好で作業を見守った。

「四五度」桜子は目盛を読み上げ、由緒を見た。「古賀さんが言った通りね」

 それが何を意味するのかはわからないが、由緒の違和感は錯覚では無かったようだ。

「古賀、パンツ丸出しで何やってるんだ」

 圭介がやってきた。

「なんだと?」

 由緒は慌てて立ち上がり、スカートの裾を押さえた。丈の短いスカートで床に屈み込めば、そうなることは明白だった。桜子も立ち上がり、振り向いて圭介に顔を向ける。

「久山さんまで?」

 圭介はぎょっとして言った。

「私はパンツを丸出しになんてしてないわ」

「いや、そうじゃなくて。そもそも見える角度じゃなかったし」

「そう、それ。ぼくたち、角度を調べてたんだ」

 と、由緒。

「パンチラの角度か?」圭介はふんと鼻を鳴らした。「お前のあれはチラじゃなくてモロだ。一緒にするな」

「パンツから離れろ、パンツ星人」

 由緒は圭介に、三組と四組のテレビの配置に関する角度の違いについて説明した。

「そりゃあ、ぴったり同じ角度に置く方が難しいだろ」

 圭介は疑わしげに言った。

「テレビの両端を、窓の真ん中と黒板の端にそろえてあるのは、どっちの教室も同じなの。だとしたら、角度も同じになるはずでしょ?」

 と、桜子。

「こうなると、一組と二組も調べたいなあ。何か理由、わかるかも」

「そうね」

 由緒の意見に、桜子も賛同する。

「だったら、昼休みに行ってみるか。どっちのクラスにも、幼稚園からの友達がいるんだ。遊びに行っても文句は言われないだろう」

「圭介。お前は意外に使えるヤツだな」

「古賀さん。そこは頼りになるって言うべきよ」桜子は訂正し、圭介に目を向けた。「ありがとう、八神くん」

「大したことじゃない」

 圭介は平静を装うが、由緒には鼻の下が伸びているように見えた。なぜか腹が立ったので、一発ぶん殴ってやろうかと思ったが、その必要は無かった。圭介が桜子と親しげに話す様子を遠巻きに見ていた男子たちが、桜子が教室を出て行くなり圭介を袋叩きにしたからだ。


 給食を食べ終えた三人は廊下で合流し、圭介の先導で二組の教室へ向かった。圭介が入り口で名前を告げると、すぐに友人の男子がやってきた。彼は圭介の横に立つ桜子を見て、ぎょっとする。

「久山さん?」

「なんか調べたいことがあるらしいんだ。中に入ってもいいか?」

「ああ、構わないけど」

 由緒と桜子は、すぐにテレビの前へ向かい、計測を始めた。

「お前、なんで久山さんと知り合いなんだよ」

「友だちの女子が、久山さんの友だちなんだ」

「へえ、女子に友だちがいるのか」

「まあな」

「なあ、八神。一発、殴ってもいいか?」

「は?」

 圭介と彼の友人のやりとりを聞き流しながら、由緒は桜子の作業を見守った。

「三九度」

 桜子が目盛を読み上げ、立ち上がってテレビの周囲を見渡した。

「やっぱり、他の教室と配置が違っているようには見えないわね」

「ひょっとして、教室が歪んでるんじゃ?」

「もしそうなら大変な事よ。学校が崩れるかも知れないわ」

 由緒は目をすがめて窓と黒板を見つめ、そして気付いた。

「なんだか、窮屈な感じがする」

 由緒が呟くと、桜子は首を傾げた。

「ほら。窓の横の壁、三組や四組のに比べて狭く見えない?」

「そうね。確かに、そう見えるわ。どう言う事かしら?」

「わからないなあ。一組も覗いてみよう」

 由緒が圭介に目を向けると、彼は友人にコブラツイストを掛けられている最中だった。桜子が「まだ八神くんに用があるから」と言って圭介を解放させ、それから三人は一組へと向かった。

「久山さん?」

 一組の圭介の友人も、二組の男子とまったく同じ反応を返した。「一発、殴らせろ」と言うところまで、そっくり同じだ。しかし、何もかも同じと言うわけではなかった。

「桜子ちゃん、窓!」

 由緒が指さす。

「ええ、わかってるわ」

 窓は黒板が掛かる正面の壁に、ぴたりと寄せて取り付けられていた。

「窓の位置が全部の教室で、ちょっとずつズレてるんだ」

「ズレた窓に合わせてテレビを置いたから、それぞれ角度が変わってたのね」

 由緒と桜子は顔を見合わせた。テレビの謎は解けたが、なぜ教室ごとに窓の位置がズレているのか、その理由がわからない。由緒は圭介にも意見を求めようとしたが、彼は友人から卍固めを掛けられていて、それどころではない様子だった。二人は圭介を残して、一組の教室を出た。

「もういっぺん、四組を調べた方がよさそうだね」

「そうね」桜子は賛成した。「でも、それは放課後にしましょう。一組と二組を調べられたから八神くんにはもう用は無いんだけど、彼抜きで進めるのは可哀想だわ」

「そうだね」由緒は笑った。「じゃあ、また放課後に」


 帰りのホームルームを終えて、由緒が圭介と連れ立って教室を出ると、桜子が廊下で待っていた。彼らは四組の教室へ入り、さっそく窓に駆け寄る。窓は明らかに教室前側の壁から離れていて、その距離は二〇センチ以上あるように見えた。

 桜子は担任席から三〇センチ定規を拝借し、テレビの裏に潜り込んでそれを壁に押し当てた。

「ぼくにも見せて」

 由緒もテレビの裏に入り、桜子と肩をくっつけ合った。

「俺は?」

 と、圭介。

「三人は無理よ」

 桜子はにべもなく言った。

「二四センチか」

 由緒は指でなぞりながら、定規の目盛を読み上げた。

「教室ごとに、窓が八センチずつズレてる計算ね。一組がゼロ、二組が八、三組が一六、それから、ここが二四センチ」

 桜子がつぶやく。しかし、由緒はもっと興味深い発見をしていた。

「桜子ちゃん」

 由緒は桜子の手を取って、窓の横にその指先を置いた。意図を理解できないのか、桜子は戸惑った様子で由緒を見る。

「次はこっち」

 由緒は桜子の指先を壁際に移した。壁に触れて、桜子ははっと息を飲む。

「壁際の四センチはツルツルしてるのに、窓から二〇センチはザラザラしてるんだ。変だと思わない?」

 桜子は指を滑らせて、その感触を何度も比べ、こくりと頷いた。

「たぶん、ズレてるのは窓じゃなくて、この壁なんだ。元々、壁はこのザラザラした場所にあって、改築とかでずらしたんじゃないかな。そのズレが積み重なって、ここでは二四センチになった」

「つまり、全部の教室が本来の大きさより、八センチ短くなってるってこと?」

「うん、ぼくはそう考えてる」

 二人がテレビの裏から抜け出すと、女子が一人、桜子に何をやっているのかと聞いてきた。桜子は「友だちの算数の課題を手伝ってるの」と嘘を吐いて、その女子を追っ払った。

 由緒は二人の会話を上の空で聞きながら、四組の教室を出た。八センチずつ縮められた教室。積み重なったズレ。答えが出そうで出ない。ふと顔を上げてみれば、黒地に白い字で「多目的室」と書かれた室名札が目に入った。四組の隣りの教室だ。その向こうにも教室はあるが、そこの室名札は真っ黒で何も記されていない。

「おい、古賀」

 圭介が呼びかける。

「え、なに?」

「急にフラフラ教室を出たかと思ったら、こんなところでぼーっとして。どうかしたのか?」

「ごめん、考え事してた」由緒は、あははと笑った。「そんなことより、あの名前の無い教室ってなんだっけ?」

「ただの倉庫だ」

「でも、何かを出し入れしてるところは、見たこと無いわ。気にしてなかったけど、よく考えたらおかしな部屋ね」

 桜子は首を傾げながら言った。

 由緒は倉庫の前まで移動した。前の扉の窓には、裏側からカーテンが掛けられていて、中を覗くことはできない。後ろの扉も同様だった。

「こんな部屋があるなんて、知らなかったなあ」

「廊下の一番奥で、めったに来ることはないからな」

 由緒は扉に手を掛けた。しかし、施錠されているようで、扉はびくともしない。

「開かずの教室ね」

 桜子がぽつりと言った。

「なにそれ。怪談?」

「ええ。女子が一人、行方不明になって、それ以来、閉鎖されてる教室が学校のどこかにあるって話。八神くんは聞いたことある?」

「あるよ。ここがそれだって証拠はないが」

「ぼくは初耳だなあ。けど、行方不明になったから閉鎖って、なんか理屈おかしくない?」由緒は腕組みして疑念を呟く。「死体があったとかなら分かるけど」

「ちょっと長い話なの。後で詳しく話すわ」

「うん。ありがとう、桜子ちゃん」

 由緒はもう一度、何も書かれていない室名札を見上げた。そこには薄っすらと「5-6」と言う文字の跡が見えた。

「ゴノロク?」由緒は驚いて桜子に目を向ける。「ここも教室なの?」

「昔は子供の数が多かったそうだから、教室も今より多かったんじゃないかしら」

 由緒の頭に閃く物があった。全ての教室が八センチずつ縮められているのだとしたら、かつては教室だった多目的室と、この倉庫も同様のはずだ。そして、この教室は校舎の端にある。となれば、積み重なった八センチのズレは――

「四八センチ」

 由緒は言った。

「なんだって?」

「圭介は掛け算もできないのか。八センチの六倍で、四八センチってことさ」

「それがどうかしたのか?」

「たぶん、この倉庫の裏には四八センチの隙間があるんだ。見て。後ろの扉から廊下のどん詰まりまでの長さ。多目的室の後ろの扉と、倉庫の前の扉との間より、ぜんぜん長いよね。なにがあるのかな?」

「隠し部屋か」

 圭介が呟く。

「それも、子供が一人隠れられるくらいのね」

 由緒が言うと、圭介と桜子は顔を見合わせた。

「私、職員室に行って鍵を借りて来るわ」

 桜子は告げて、廊下を駆け出した。

「古賀、本当にいいのか?」

 桜子の背を見送りながら圭介が聞いてくる。

「え、何が?」

「ここが本当に開かずの教室なら、イヤなものを見るかも知れないぞ」

「行方不明になった女子の死体とか?」

 圭介は何も答えなかった。

 ほどなくして桜子が鍵を持って帰って来た。三人は錠を開け、今は倉庫となった六組の教室に足を踏み入れた。室内は真っ暗で、埃のニオイが鼻を突く。部屋の灯りがぱっと点いた。振り向くと、入口横のスイッチに手を置く圭介の姿があった。

 倉庫と言うが、中は普通の教室とほとんど変わらなかった。ずらりと並んだ机に、黒板、担任席、古びたブラウン管のテレビも置いてある。由緒は机の間を抜けて、教室の一番後ろにある荷物棚の前に立った。それは教室で学ぶ子供たちが、ランドセルや体操服を置くための設備で、四段と一五列の正方形の棚が、蜂の巣のように並んでいる。

 どこかに隠し部屋への入口は無いかと念入りに探っていると、由緒は扉に近い棚の奥に奇妙な仕掛けを見つけた。仕掛けをいじると、棚を仕切る板は#の形にすっぽりと抜けた。その場にしゃがみこみ背板を押す。それは忍者屋敷の隠し扉のようにくるりと回転し、それからぱたりと奥へ倒れ込んだ。そうして開いた口から、黄色っぽいオレンジ色の光が漏れ出して来た。

 由緒は四つん這いになって、入口に首を突っ込んだ。廃屋に踏み込んだ時のようなアンモニア臭が、薄っすらと鼻を刺激する。首を捻って見上げると、天井に白熱電球がぶら下がっているのが見えた。

 部屋の中は、由緒が計算した四八センチよりも幅があるようだった。理由はすぐに分かった。壁が薄いのだ。四組で見たザラザラした跡は二〇センチあったのに、ここの壁は棚の背板と同じ二センチ程度しか厚みがない。これなら子供どころか、大人も余裕で隠れられるだろう。ふと視線を部屋の一番奥に移すと、何か黒っぽい塊が見えた。

「古賀、ちょっといいか?」

 後ろから圭介の声が聞こえる。

「後にして。奥に何かあるんだけど、薄暗くてよく見えないんだ」

「けど、パンツが丸見えだぞ」

「くそうっ、またか!」

 由緒は慌てて這い出した。

「奥の何かってヤツは俺が取ってくる。そこで待ってろ」

 そう言って圭介は隠し部屋に入って行った。

「驚いたね」

 由緒は立ち上がって膝を払いながら、桜子に話しかけた。

「そうね」

 桜子は厳しい表情を浮かべ、隠し部屋の入口を見つめている。

「どうしたの、桜子ちゃん。顔、怖いよ?」

 由緒に言われて桜子ははっとなる。

「圭介が、パンツのことばっかり気にしてるから怒ってるんだね。しょうがないよ、パンツ星人なんだから。怒るだけ体力の無駄さ」

 桜子は苦笑しながら頷いた。

「誰がパンツ星人だ」

 圭介が這い出してきた。彼が隠し部屋から持ち出してきたものは三つ。黒いリュックサックと、赤いランドセルと、体操服の袋。

「これって、例の行方不明になった女の子の?」

「さあな。けど、リュックは大人用だ」

 圭介は無造作にリュックのファスナーを開けた。中から出てきたのは、古いビデオカメラと大量の八ミリカセットだった。

「壊れてなかったら再生できるかも知れない。備品も全部入ってる」

 圭介はテレビの前に移動すると、ビデオカメラとテレビを手際よくケーブルで繋いで行く。そしてセッティングが終わると、テレビの電源を入れ、ビデオカメラの再生ボタンを押した。三人は息を飲んだ。テレビに映し出されたのは、着替え中の女子児童たちの姿だった。

「ひょっとして、他のも全部?」

 由緒は絶句する。

「確認するか?」

 圭介は聞いた。

「もういいわ。八神くん、止めて」

 桜子が言うと、圭介は停止ボタンを押した。画像は消え、テレビは暗転した。

「隠し部屋って言うか、盗撮部屋だったんだ」

 由緒はぽつりと言った。彼女はひどく失望し、同時に呆れていた。わざわざ学校を改装してまで作り出した隠し部屋なのに、そこで行われていたことと言えば、卑しい覗き行為だったのだ。実にバカバカしい結末だった。

「ひょっとして、このランドセルと体操服は、盗撮犯の変態趣味ってこと?」

「どうかしら。ちゃんと調べた方がいいと思うわ」

 桜子に促され、由緒は体操服の袋を手に取った。由緒は目を見開いた。それには「5-3 古賀由緒」と書かれていたのだ。

「古賀さんは、死体も出てないのに教室を閉鎖するなんて、おかしいって言ったわね」桜子は唐突に言った。「でも、その怪談では、死体が二つ出たことになっているの」

 由緒はのろのろと顔を上げて桜子を見た。

「女の子が行方不明になってから三日後の朝、彼女が姿を消した教室で、一人の先生が首を吊ったの。ポケットには、自分が女の子を誘拐して殺したって書かれた遺書が入ってたそうよ。そして、先生が首を吊った場所のすぐそばに、その子の死体も置かれていた。でも、その先生が女の子をどうやって連れ去って、どうやって死体を教室に運び込んだのか、誰にもわからなかったの。教室が閉鎖されたのは、その後よ」

「そっかあ。やっぱり、死体があったんだ」

 由緒は口元を引きつらせながら、あははと笑って言った。

「ここで、何があったの?」

「知らない!」

 由緒は叫んだ。

「何があったの?」

 もう一度、桜子は静かに言った。


 その日、由緒は今日一日と同じように、各教室のテレビの角度を調べて回っていた。桜子や圭介のように手伝う友人はいなかったが、彼女はたった一人で四八センチの謎を解き明かした。そして放課後、皆が帰宅して空っぽになった、この六組の教室を訪れた由緒は、隠し部屋の入口を見つけ出し――

「そこで何をしている?」

 ぎょっとして振り向くと、いつの間にか六組の担任が立っていた。若くて優しいと評判の男性教諭だったが、その時の彼は冷たく恐ろしい目つきで由緒を睨んでいた。勝手に他所の教室へ忍び込んだことを咎められると思った由緒は、しょんぼりとうなだれた。

「君は……三組の古賀だね」

 教師は由緒の名札を読み上げた。

「ああ、怒ってるわけじゃないんだ。よくここを見つけられたなって、驚いてるだけだよ」

 教師が優しく笑ってみせたので、由緒は少しホッとした。しかし、不安が全て拭い去られたわけではなかった。彼は怒っていないと言っているが、このことを他の先生に告げ口されでもすれば、結局は怒られることになる。どんなに優しくてカッコイイ先生でも、彼は大人なのだ。大人はすぐに子供を裏切る。

「中を見てみる? 秘密にできるなら、だけど」

 由緒は頷いていた。もちろん好奇心はあったが、それよりも、彼を共犯に仕立てたい気持ちが強かった。秘密を共有すれば、たとえ大人でも簡単に裏切らることはないだろうと考えたのだ。彼女は促されるまま、隠し部屋へ潜り込んだ。すぐ後から教師も続いた。彼は仕切り板と背板をはめ直し、完全に出口を塞いだ。

 教師は立ち上がると、由緒を見て笑みを浮かべた。由緒は微笑み返した。教師の手が伸びて、由緒の首を掴んだ。首を掴む力はどんどん強くなった。由緒は立っていられなくなり、バランスを崩して仰向けに倒れ込んだ。教師は由緒の首を掴んだまま、彼女に馬乗りになった。

「お前が悪いんだぞ!」

 首を掴む手に体重が掛かった。

 ひどく喉が痛かった。

「お前が!」

 貧血を起こした時のように、すうっと頭が冷たくなって、ひどい耳鳴りがした。

「お前が!」

 視界が暗く狭まった。

「お前が!」

 暗闇の中で、教師の叫ぶ声だけが聞こえた。

「お前が!」

 由緒は「ごめんなさい」と言おうとしたが、口がぱくぱく動くだけで、声は出なかった。

 そして、ついに声も聞こえなくなった。


 話し終えた由緒を、桜子は強く抱きしめた。圭介は真っ直ぐに立って、声も出さずに泣いていた。いつも通りの真顔だが、涙と鼻水でひどい有様になっていた。由緒は、桜子の背中をポンポンと叩いた。

「桜子ちゃん、ギブギブ」

 桜子は由緒から身体を離した。彼女の顔も、圭介と似たり寄ったりで、美人が台無しだった。

「ぼく、どうすればいいのかな。成仏のしかたなんて知らないよ?」

「大丈夫」桜子は微笑んだ。「私か、八神くんのどっちかについて行けばいいの」

「それだけ?」

「ええ、それだけよ」

「どっちかなんて、やだなあ。三人一緒がいいや」

「それはできないの」

 由緒は圭介に目を向けた。

「泣くな、パンツ星人」

「泣いていない」

 圭介は袖で涙と鼻水を拭った。

「もう、ぼくのパンツが見られないからって、そんなに悲しむな」

「パンツ星人は、一度見たパンツは忘れないんだ」圭介はまた、ぼろぼろと涙を流した。「だから、悲しんだりしない」

「そっか」由緒は笑った。「それなら安心だ」

 桜子は頷き、由緒の手を取った。二人は圭介を残して教室の出口へ向かった。扉を開けると、そこは優しい光であふれていた。夏休みの朝みたいだなあ、と由緒は思った。そして、振り返って圭介に小さく手を振った。

「バイバイ」

 由緒と桜子は、光の中に溶けて消えた。

学校で怪談となれば、パンツでしょう。


(7/21)誤字修正

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[良い点] これは怖い話だ怖い話だと思いながら読んでいくと、圭介くんがパンツ星人で由緒ちゃんとの絡みが面白かったりといい意味で拍子抜けしちゃいました。 いい話なのに何故か疑問がたくさんあって、これは…
[良い点]  物語のとっかかりが面白くて、結末が気になり、最後まで読んでしまいました。  着眼点がよくて、よいホラーだと思います。 [気になる点]  色々な想像ができるラストなのですが、何回か読み返し…
[一言] ? なんや?いみがわからんぞ。 最初に出た女の子2人は霊でいいんか?
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