鳥羽思音
「へぇー、東京の高校かあ」
そうかそうか、と老けた口調で言われた。
「羨ましいなー東京、面白い場所とかあるのー?」
「いや、そんなことはないと思うけど」
便利よりも騒がしい、という印象はかなり強い。生まれも育ちも東京都のとある区内である僕だが、一七年間一日も欠かさずに、うるさい空間を我慢していた節があったぞ。
「私これでも映画好きなんだ。だから、東京とか大阪とかの大型都市に憧れるんだー」
「映画館……」
あれ……
「この辺にもあった気がするけど」
ショッピングモールの大型映画館。憩が喜びそうな映画が、そういえば上映中だったな。彼女は映画館の存在をまだ知らないだろうが。
「うーん……それはそうだけど、地方――じゃないか、もうちょっと小さい映画館で上映してる映画が好きなんだよ。説明難しいなあ……」
「ミニシアター?」
「そうそれ!」
助け舟を出すと、軽快に乗り込んだ。
「B級じゃないけど――そういう映画が好きなんだ」
「なるほどね」
学生にしては不思議な趣味だった。
この同級生、鳥羽思音がなぜ僕に話しかけたのか、今のところはさっぱり分からない。
憩や紙谷先生みたいに特別小柄ではない、女子の平均をなぞるように、極普通の背丈。染めたわけではなさそうな茶髪の少女。か弱そうな顔立ちを裏切ってか、中々饒舌である。笑顔も清々しい。
隣席だから、なのか? 左隣が存在しない僕(の席)にとって、唯一のお隣さんである。
ついでに、住所的な意味でも隣がいない。
だからどうした。
「芥川君は、映画とか観ないの?」
と、机を挟んで映画話に花を咲かせる、僕と鳥羽である。
僕は観賞、というか水をあげているだけかも知れないが。
「たまに、かな。ホントにたまーに」
「そうなんだー、ジャンルは? どんなジャンル?」
「ジャンルは……特に決まってないけど、小説原作の映画はよく観るよ」
「へぇー、なんか大人ー」
楽しい反応だ。
ついでに僕も楽しんでいる。
「小説読むの?」
唐突に、鳥羽が身を乗り出してきた。映画好きが、小説に反応した。
「まあ、結構読む方だけど」
「おお~、そっちのジャンルは?」
「大抵なんでも。『アレ』な小説以外は」
ちなみに『なんでも』の中には、憩の愛してやまないライトノベルは含まれていない。
「…………」
あれ。
鳥羽の反応がさっきとは違う。
彼女の予想を大きく外れた答えを僕が言ったのだろうか。
僕の予想を大きく外れた反応を彼女はしているのだが。
急激に静かになる。
「そういえば」
と、とりあえず僕が切り出す。
「今日って、僕も授業受けないといけないのかな」
さりげなく必要事項を確認する、ちゃっかりとした僕。
合理的である。
「多分そうだと思うけど……芥川くん、教科書は?」
「ないよ」
「うーん……体育は教科書要らないけど、他の授業が――」
「一時間目って体育じゃないのか」
そういえば、と付け足す。
瞬間、鳥羽がフリーズする。
教室も、異様なくらいに静かだった。
僕以外の、全世界の時間が停止したのではと、馬鹿馬鹿しい錯覚だ。もちろん、そんな超能力染みていて、怪異的な現象が起こるはずもない。鳥羽はフリーズしている。錯覚の原因は、教室内には、僕と鳥羽以外誰もいないから、である。
男子は教室じゃなくて、男子更衣室で着替えるのだと先生は言っていた。男女平等(?)に更衣室を造ってくれているのは、悪い気がしない。
時計を見ると、一〇分の授業間休憩は、すでに終わろうとしている。
「鳥羽……さん?」
いつの間にか、鳥羽は座っていた椅子から消えていた。
なんとなく振り返ると、自分のロッカーから体操着を取って、教室を出て行く彼女の残像――の幻覚があった。それだけの速度で走り去ったらしい。
校則に従順そうな――あくまで印象だが――鳥羽が、『廊下を走るな』の張り紙を無視し、全力で更衣室まで向かったらしい。
スケジュールを忘れていたのか。
みんながいなくなった時点で気づいて欲しいが、彼女に声をかけなかった同級生も案外薄情だ。
僕のせい……じゃないとは断言できない。それがちょっと辛い。
「…………」
取り残された。
寂寥っぽいものが首筋を撫でた。
溜息をして、ゆっくり立ち上がる。体操服すらも持ち合わせていない僕は、体育館に大急ぎで向かう必要はない。とはいえサボるつもりじゃない、決して。遅刻をするつもりで、教室を出る。
紙谷先生曰く――さっきから、紙谷先生からの情報ばかりだ――、球技大会が五月の初めにあるらしい。
組対抗のバスケットボール大会。
クラス内で、五人一組のチームを結成し、それぞれが1ゲームだけ対戦する。一班は一班と。二班は二班との対戦、である。単純明快でありがたい。
先ほど僕は、この学級の生徒人数を四〇人だと述べた気もするが、それは目視だったらしい。およそ四〇人に過ぎなかった。
三九人の生徒と担任一人で構成されていた二年三組は、今日から合計四一人となる。
おそらく僕は人数に空きのある、八班に所属するだろう。
「……バスケか」
呟いて、思い出す。
中三の冬に、同じように組別のバスケットボール大会が、開催されたらしい。
『らしい』とはつまり、僕は参加していないということである。
病欠、という建前を担任に伝え、学校をサボった。用事は確かにあったので、本当はサボりではない。
昔話を、感傷に浸るわけでもなく思い出していると、チャイムが鳴り響いた。
キーンコーンカーンコーン、と。前校で採用されていたチャイムとまったく同じ音である。