転入生は空を見る
そういえば、と思い出す。
小五の夏。僕が所属していた時に転校生が来た。
僕を含むクラス全員が、優しく歓迎していた――ようにして、教師を欺いていた。
小五にしては印象的な、端正な顔立ちをしていた――そんな記憶がある――その転校生は、なぜかイジメの対象にされ、なぜか私物を隠されて、なぜか長髪を引っ張られて、もちろん暗い性格に落ちぶれていった。
いざ僕が、その転校生の側になると、どこか不思議な気分ではあった。もっとも、僕の場合は転入である。
それにイジメられる、とも思っていない。一人を虐げて学級の秩序を保っていた、無知で愚かな小学生とは違うのだ。
大人でもないが、子供でもない。
「じゃあ……芥川ッ君、ちょっと待ってて」
数学担当の紙谷担任教諭。憩ほどではないが小柄の先生が、僕を見上げてそう言った。
あれ。なんだか僕、怯えられてないか。
およそ三〇㎝ほどの身長差がある僕が、無意識に威圧を与えているのかも知れないが、一応この人、教師だよな。
生徒に怯えるなよ。
ちょっと傷つく。
教室内から漏れる声だけで、大体の情報はつかめた。
紙谷先生が僕の――転入生の存在を告知すると、異様なざわめきが吐出された。まあ、予想通りだった。始業式からおよそ二週間、この中途半端な時期に転入生である。
精一杯頑張ったらしい、紙谷先生の前置きがようやく終了した。
というわけで。
それではいよいよ、僕の登場である。
「じゃ、じゃあ、芥川君、入ってきて」
呼ばれてすぐに、僕は戸をくぐる。頭頂部の髪が上の敷居(で、いいのかな?)を掠めた。次からは俯いてくぐらないと。
僕の登場に、二年三組四〇人はざわめく。歓迎なのか拒否なのか――どっちでもなさそうだ。なんとも言えない、なんでもないただのざわめきを発した。
教卓の横に立つ僕は、幽霊みたいだったのかも知れない。おそらく、教室内で誰よりも長身だった僕の顔。その上半分は、憩が指摘した、長すぎる前髪で覆い隠されていたのだから。
窓際の生徒二人が、こそこそと呟きあっていた。「前髪長っ」「暮らそうだねー」とでも言っている。
「それじゃ自己紹介、お願いします……」
僕よりも、紙谷先生の方が緊張している。
もう三年くらいこの高校にいるんだけど、クラスを受け持つのは始めてなんです。
と、先ほど先生は僕に、訊いてもいないのに告げていた。
自己紹介……そう言われても、
「芥川黒です。宜しくお願いします」
としか、発表できる事柄はない。便宜上、彼らには僕の名前を認知してもらわないといけない。
それくらいだ。
僕の言葉があまりにも端的――予想外だったのか、紙谷先生はうろたえて、生徒面々と僕を交互に見ていた。
「えっと……えーっと……」
「……先生、僕の席はあれですか?」
言って、指差す。
窓際の列。その最後尾の、誰も着いてない席。
授業をサボタージュするには、ずいぶんと都合の良さそうな席である。
「あ……はい、そうです」
じゃあ、とばかりに、席へ向かう。鞄を机の横に引っ掛けて、少し低い椅子に腰掛けた。
「ええ、じゃあ……」
と、先生がHRを開始する。
生徒はちらちらと、何度か僕を見る。
僕は空を見る。
目が痛くなるほどに明るく、雲ひとつない青い空だ。
「じゃあ今日は――で、――なので、――ということに」
先生の声はまったく聞こえないけれど、同級生らの内緒話は聞こえる。
「――」「――」「――」
僕は何を考えているかと言えば、それは芥川憩のことである。
僕と違って、自己紹介すらも不可能な憩を、心配する。
溜息を吐く。
今朝はあんなにも笑っていた彼女の、儚すぎる泣き顔を、僕は思い出していた。