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第六話

 落ち込んで無口になっている僕をしばらく見守っていたケンジさんが静かに口を開いた。そして、それはちょっと意外な一言だった。


「でも…全部嘘かもよ」


 意味は全くわからなかったけれど、そう呟いた時のケンジさんは、とても優しそうに見えたし、それだけで僕はやっぱりこの人が好きなんだと思わされてしまう。そして、そんな無意味なカリスマ性を生まれながらにして持ち合わせていて、なおかつ全くどうでもいいタイミングで行使しては、僕を虜にしてしまうケンジさんをやっぱりうらやましいと思った。


「嘘って何がですか?」

「いや、子供の頃から思ってたんだけどさ…」そう言って、ケンジさんは自動販売機でアイスの缶コーヒーを買った。


 ガシャコン!!


「家にはオヤジがいておふくろがいて、学校に行けば先生とか友だちがいて、毎日それは変わらなくて、そんな毎日を変わらず運営させるルールがあって、でもそれって本当に本当なのか?ってたまに思うことがあった」


 プシュッ!!という音を立てて、プルタブを上げる。


「社会とか常識は人間が作ったものだから、時代によって簡単に変わってしまうものだし、自然だって1万年とか、100万年とかの長いスパンで見れば変化の真っただ中にあって、いずれは変わってしまうし、確かなものなんて何一つないんじゃないかって気がしてた。物理法則ですら、ずっと同じじゃあないんだって、今日知っちまったし。だからさ、この世のこと、本当は全部嘘なのかもしれない。そんな気がする。前からそんな気がしてたんだよ」


「『マトリックス』みたいな感じですか?」


「うん。そんなイメージかもね。『マトリックス』ではネロが仮想世界を抜け出して現実世界に行くことができたけど、でも、本当は、その現実世界が現実だって保証はどこにもないし、もしかしたら、そこもまた誰かに見させられている夢なのかも知れない。さらに言うと、観客として『マトリックス』を見ている俺や、お前にとっての現実世界、この「今」も誰かが俺達に見せている夢なのかも知れない。なんて、ちょっと子供が考えるような空想かな?」


 いつの間にか、照れながらも真剣なトーンになってしまったケンジさんの言葉を聞きながら、僕は、正直ハートにびびが入るくらいの衝撃を受けていた。そんなことめったにあるもんじゃない。僕の人生では今回を含めてたった二度あっただけである。


 最初の一回は3か月前、8月上旬の朝5時前に暴力的なまでに突然やってきた。


 大学に入って数カ月がたった僕は好きな勉強を思いっきりしたいという崇高な向上心も、女の子にもてまくりたいという純真な下心もあっという間に枯らしてしまい、ただ酒を飲んで煙草を吸って、オナニーができればそれでいいという絵にかいた以上の駄目大学生となっていた。いつものように学生寮の部屋で、日課となった早朝名曲アルバムを見ながら夜が明けていくのを感じていた。それから共同の便所に小便をしに行ったところ、友だちのウメに会った。


 ウメもおそらく退屈だったのだろう。「ちょっと散歩に行こうや」と僕を誘うのでそのまま財布も持たずにウメの散歩に付き合った。二人とも特段話すこともなく歩き、3分ほどで新目白通りに出て、20階建の都営早稲田アパートが見えたので「ちょっと登ってみようや」とエレベーターに運ばれ、最上階から階段で屋上へ上った。屋上は地上30メートルほどだろうか?東京の街を見下ろすことができたし、空には雲もなく、気持ちが良かったが、僕もウメも頭が腐っているので全く何の感慨も持たずボーっとしていた。


 そして、陽が昇った。


 朝日はジオラマみたいな街を照らし、ビルの陰影がはっきりと映し出されて、死んでいた建物達が今、初めて命を注ぎ込まれたように見えた。そこには何のメッセージもなく、事実、ウメはその光景を見ても焦点のあわない半開きの目を動かすことすらなかったが、僕はその瞬間激しく心を打たれてしまった。それは本当に一瞬のことで、おそらく明日この朝日を見てもこんなふうに感じることはないだろう。そして僕の心を激しく切り裂いたこの美しさが僕に何かを与えてくれたり、僕の中の何かを呼び起こすということは決してないだろうということもわかっていた。ただ、それはその時そこにあった。世界はただ美しいだけで、不条理なくらいに僕とは全く関係のないものだった。世界は僕のことなんか毛ほども求めず、必要としない。生まれてはじめてその事実を突き付けられてすごく寂しく感じた。


 でも、それでも僕はハートがぼろぼろになるくらい心を打たれてしまったんだ。


「何でお前、またちょっと涙目になってるんだよ?」ケンジさんの言うとおり、僕の目にはまたうっすらと涙がたまっていた。

「いや、今、突然何だかすごいものが僕の中に飛び込んできて…」

「すごいものって?」

「何だか言葉にするのはすごく難しそうなんですけど、人生とか世界の真実みたいなものが、あるいは、悟りみたいな…」

「すげえな…お前。悟ったの?」

「はい…何でかわからないですけど、急に今いろいろなことがわかっちゃいました」

「マジか…。ちょっくら教えて」

「ええ、いいですけど、ちょっと一言で言える感じじゃあなくて、ロジカルなものだし、それをうまく言葉にできるかわかんないですけど、話してみます」

「ははあ!!お願いします」


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