第四話
「なんか、話の腰を折られたけどフリスクが消滅したということについては依存ないか?」
「ないです」僕は鼻に詰めたティッシュを抜きながら言った。
「そうしたら、フリスクが消えたことで起こる問題と、俺達はどうすればいいのかを整理してみよう。まず、問題は…」
「買ったばっかりのフリスクがなくなったんで、もう一回買わないといけないです。200円くらい損です」
「うん。まあ、そうなんだけど、そういうことじゃなくて。フリスクが消えたってことは、ガムも消えるかもしれないし、グミも消えるかもしれないわけで、ようするに、今後色々な物が消えてしまう可能性があるってことだな」
「いつ消えるかわからないものを買う気はしないですね。お菓子メーカーの売り上げが落ちて倒産の危機と…。お菓子メーカーがなくなると僕の就職にも影響してきます」
「お菓子メーカーはお前の就職先候補なんだね」
「はい」
「それにしても、物体が消滅するということが何かの法則に基づいているなら対策も立てられると思うんだけど」
「法則ですか?」
「そう。法則。物理法則。物が落ちるのは万有引力の法則によるものだし、物が動いたり止まったりするのにはエネルギー保存の法則や、慣性の法則が関係している。物体が消えることについても何らかの物理法則があるんじゃあないかな?」
「そんな難しいこと僕にはわかんないですよ」
「うん。そうだな。お前には期待していないよ」
その時、不意に僕の背後から変な老人が声をかけてきた。
「ハローヤングマン」
老人はチノパンにネルシャツをinして、その上から白衣をひっかけていた。それだけだと科学者風のいでたちだが、頭髪は白髪ロングヘアにバンダナを巻き、口元はこれまた白い髭で隠れており、ロッカー風のテイストも含んでいた。しかし、鼻に注目してみると鼻毛が両方の鼻の穴からわさっと出ており、変人という表現が一番しっくりとはまった。
「お主たち、今物体が消滅したと話とらんかったか?」
「いえ、話してないです」
「嘘つけ。話とっただろうが」老人はそう言って僕の首を絞めてきた。
「ギャー。話してました。話してました」
「じゃろう。何で嘘をつく」
「おじいさんが変人ぽいので、変人と関わり合いになりたくないと思って」
「誰が変人じゃ」そう言って老人はまた僕の首を絞めてきた。
「ギャー。助けて。殺される。ケンジさん…」
ケンジさんは「大丈夫か?」と言いながら、その顔は明らかに笑いをこらえていた。それどころか、老人が首を絞める手を緩めた時、少し残念そうな顔すらしていた。その顔には「もうやめちゃうの?」と書かれていた。
「わしはこの大学の物理学教授じゃ」
「ええ?教授なんですか?これは知らないこととはいえ失礼をしました」
「本当に失礼なやつじゃ」
「でも、教授にも問題はあるんですよ。鼻毛がわさっと出てるし、最初の挨拶も変だったし、あまりに変人っぽいんですよ」
「おのれ。こやつ。まだ言うか」そう言って教授は再度、僕の首を絞めてきた。
「ギャー。殺される~」
さすがに3回目ともなると、僕も教授も首を絞めるくだりに飽きてきおり、教授の手に力は入っていなかったし、僕の「殺される」という言葉も気持ちの籠らないものとなった。
「そんなことより何か用ですか?」
「おお、そうじゃそうじゃ。お主たち、今物体が消滅したと話しておったじゃろうが」
「いえ、話してないです」
「キエーッ!そこを認めんと話が進まんじゃろうが」
「ああ、ごめんなさい。話してました」
「やはりそうか…」
「無理やり言わせてるじゃないですか…」
「実はのう…3日前。わしの財布から3,000円がなくなった。」
僕は(それって盗まれたんんだろう…?)と思ったけれど、話の腰を折って、話が長引くのが嫌だったので言わずに我慢した。
「わしは、必死で犯人を捜したよ。妻、娘、娘の友だち、娘の担任、研究室の教え子たち、教え子の友人たち。それから近所の子供たち」
今度は(3,000円で必死すぎるだろ…)と思ったけれど、やっぱり言うのを我慢した。
「しかし、犯人は見つからんかった。わしはある結論に到達した。3,000円はわしの財布から消滅してしまったんじゃ。これまで物理学の世界でも、日常生活のレベルでも物体は消滅しないというのがルールじゃった。しかし、つい最近、このルールが変わっている。もはや、世界では物質は消滅するんじゃ。これが新しいルールなんじゃ」
「物質は消滅する…」
「そうじゃ…」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・
「な、なんじゃこの音は?」
「ああ、すいません。雰囲気を出すために効果音を口で言っていました」
「あ、ああ…そうなの…」
「それより教授」ケンジさんが口を開いた。
「物質が消滅するっていうのは、俺もさっき経験したばっかりだし納得がいきます。しかし、物質の消滅に法則性はあるんですか?例えば、質量がいくつ以下のものしか消滅しないとか、物質の反対である反物質とあわさることによって消滅するとか…」
「さあ…の」
「さあのって…」
「今のところ、物質が消滅するという現象が確認できただけで、何故そんなことが起こるのか、どういう法則でそれが起こるのかは何にもわかっとらん。例えばこう考えてくれ。恐竜を滅ぼした隕石。我々は地球より大きい単位でものごとを考えることができるから、隕石が大気圏を突き破って落下し、地球の表面に当たって塵を舞い上げ、太陽光を遮ったとイメージすることができる。しかし、当の本人、恐竜たちにとっては、ただ、世界の理が変わって日光が射さなくなったとしか認識できなかったじゃろう。つまり、現時点では物質が消滅するという現象が確認できただけで、その原因も、影響も何にもわかっとらんのじゃ。もしかしたら人類滅亡レベルの危機かもしれんし、宇宙滅亡レベルの危機かもしれん。あるいは、お菓子や小銭が消えるレベルのことなのかもしれん。今はまだわからないんじゃよ」
「役に立たないジジイだな…」
「ムキー!役に立たないは取り消せ!」ケンジさんの言葉に、教授は怒ってゆでダコのようになっている。それを見て、ケンジさんの瞳が意地悪に光った。その顔には「人を怒らせるのは楽しいなあ」と書いてある。本当に性格の悪い人だ。
「じゃあジジイ」
「ジジイも取り消せ!」
「じゃあ…。あ、呼び名が消滅しちゃった」
ケンジさんの、人を馬鹿にしている時に見せるニコニコ笑顔につられて、僕もつい顔に笑みを浮かべそうになっていたのだが、ふと気がつくと、赤かった教授が半透明になっていた。