わたくしの恋を終わりにします。〜悪役令嬢と呼ばれていましたので、大好きなあなたの真実の恋を応援いたしますわ。
「リディア・フローレンス! 本日この場をもって、君との婚約を破棄する!!」
ふえ?
と、お口の中の食べ物をもぐもぐと咀嚼して、顔をあげる。
そこにはなぜか怒ったお顔のレオナルド殿下がわたくしを指差しておりました。
人を指差すのははしたないですよ、そうたぶん殿下のお母様ならおっしゃったでしょう。
わたくしも長いこと王妃殿下の元で妃教育を受けてきましたから、それくらいはわかります。
すくっと仁王立ちの殿下の隣には、いつもおそばにいる子リスちゃんみたいなカレン嬢。
可愛らしいふわふわな巻き毛が風もないのに靡いているように見えるのは、きっと彼女が小刻みに震えているからかもしれません。
今にも泣き出しそうな瞳を震わせ、殿下の腕に手を回す彼女。
ああ。
いけません。
このままでは……。
「承知、いたしました」
わたくしはそれだけ何とか口にすると、そのままくるっと振り向いて立ち去ろうといたしました。
ええ。
この場にはもう、わたくしの居場所はありません。
せっかくの秋の懇親会でしたけれど、わたくしに今できることは早くこの場を立ち去ることだけ。
悪役令嬢、なのですものね。
流石に、ここまで嫌われているのだとは思ってもいませんでしたけれど、これも運命なのでしょう。
「待て!! 何を企んでいるのかは知らないが、このまま逃げるのは許さないぞ!!」
はい?
「企む、だなんて。滅相もございませんわ」
わたくしは殿下の方に振り向いて、さっと華麗にカーテシーを決める。
ふっと顔をあげ、殿下のお顔を覗き見ると、ふるふると怒りを堪えていらっしゃるようにも見えました。
ごめんなさい、わたくし、殿下を怒らせるつもりなんて、これっぽっちもありませんでしたのに……。
あ、だめ。
油断をすると涙が出そうになってしまう。
「王太子妃たるもの人前で感情を露わにしてはいけません」
そう諭してくださった王妃様のお言葉がふっと蘇り、きっと口をつぐみ、なんとか涙を抑えることに成功しました。
「それだ。君のその表情のない人形の面のような顔。そのせいで君は裏でなんと呼ばれているのか知っているのか!!?」
ああ。もちろん、知っておりますわ……。
「悪役令嬢、でしょうか……」
「ああ、そうだ。君の今までの悪行の数々も、本性がその悪役令嬢だからだと、皆が噂しているじゃないか!!」
悪行、で、ございますか……。心当たりはないのですが……。
「悪行、とは、何でございましょう?」
なんとかそれだけを口にし、目を伏せる。
わたくしの顔が気に入らないのだとおっしゃった殿下に、その顔をこのまま晒し続けるのも躊躇われます。
なんとか早くお話が終わってくれればよいのですけれど……。
「ふん! 今更シラを切ったところでもう遅いぞ。君がここにいるカレン嬢に対して行った数々の嫌がらせ。教科書を破って捨てたことも、ドレスを台無しにしたことも、挙げ句の果てに彼女の猫を攫ったことも。全てわかってる!!」
「嫌がらせ、で、ございますか……」
「そうだ!! 全て事実だろう? 何か反論でもできるのならしてみるがいい!」
「教科書、というのはあの日のことでしょうか? カレン様。わたくしたちが初めてお会いした時の……」
「初めてだなんて、ひどいです!! 先日の魔法学の講義の日ですわ。この半年ずっとわたしと同じ科目を受講していましたよね?」
殿下にしがみついたまま、わたくしに反論なさるカレン様。
でも、仕方ありません。わたくしは……。
「わたくし、魔法学の講義はとってはいましたけれど、出席したのはあの日が初めてだったのですもの……」
「え!?」
「ですから、あの時教科書を貸してくださったカレン様には本当に感謝していましたのよ……」
「なんでよ!? あの先生、出席してないと単位下さらないわよ?」
「ご心配おかけして申し訳ありません。王宮での妃教育が忙しく、学院に通う時間が捻出できなかったので、教授にもその事情はお話してあったと思います。単位はいただけなくとも教授の講義を拝聴したい、と」
「リディア! 君は、カレンに嫉妬してこの半年嫌がらせを続けてきたのではなかったのか!?」
「いえ、殿下。わたくし、カレン様のことは可愛らしくてお優しい方だと思っておりますし……。あ、そうですわカレン様。あのあと目を離した隙に教科書はビリビリに破かれておりました……、申し訳ございませんでした。先に帰られていらっしゃったので、後日お詫びに新しい教科書を贈っておきましたけれど、お手元には届きましたでしょうか? お礼とお詫び、遅くなりまして申し訳ありませんでした」
「他にも!! ドレスを台無しにしたのだろう? それは!」
「ええ、殿下。今カレン様がお召しになっているドレスをフローレンス公爵家からお贈りさせていただきました。台無し? になったのでございますか?」
「え? これって殿下からのプレゼントじゃなかったの?」
「いや、私、じゃない」
「だって、わたしのドレスが破れてしまっていたの、って、殿下にお話した直後に届いたのよ。それにこの色、殿下の瞳と同じサファイヤブルーでとっても綺麗だもの、誰だって殿下からだって思うわよ」
そう。本当はわたくしが自分のためにとつくらせていたドレス。
でも、わたくしは知ってしまったのだもの。
だから、レオナルド殿下の真実の恋を応援することに決めたのだから……。
「では!! カレンの猫を誘拐したっていうのはどういうことだ! 言い逃れはできないぞ、カレンの猫を君の屋敷で見たというものは一人や二人じゃないからな」
「猫、とは、白猫のミシャのことでございますか?」
「ええ、白猫だったわ!!」
「白くて、毛が長くてふわふわで……」
「ええ、そうよ! 隣国から買い求めた猫なのよ! そこいらにいる猫じゃないんだから!!」
「それなら……。先日の嵐の日、でした。長い毛玉に草や葉っぱをいっぱい絡ませた迷い猫が、わたくしのお家の庭に紛れ込んでおりまして……。かなり衰弱しておりましたし、一時的に保護することとさせていただいたのです。ご安心ください、今ではご飯もいっぱい食べるようになりましたし、元気にまるまるとしておりますわ。飼い主様を探したくて病院や学院にも似顔絵を貼っていましたから、わたくしのお家に猫がいるというのはかなり広範囲に広まってくれたのでしょうね。よかったです。殿下やカレン様のお耳にまで届いたのなら、本当に良かったのです……」
泣いてしまいそうになるのを我慢していたせいだろうか、顔がこわばってしまっている。うっすら笑みを浮かべようとしたけれど、うまくできたかもわからなかった。
「じゃぁ、誘拐、じゃ、なかったってこと……?」
「猫は、自由にお外を歩きたいと思うものですから……。閉じ込めていても、そこから逃げ出してしまうこともありますわ……。良かったです。無事保護できて、本当に良かった……」
きょとんとしたお顔でこちらをみるカレン様。
「あ、ありがとう……」
小さく、でも、はっきりと、そうおっしゃってくださいました。
やっぱり、思った通りお優しい方なのだな。
わたくしとは違う、本当に可愛らしい方……。
やっぱり間違ってはいなかった。この方とレオナルド殿下の恋が真実のものなのなら、わたくしは身を引き応援して差し上げるのが、きっと正しいのだろう。
「あの人形の面のような顔よりも、私は君の朗らかな笑顔の方が好きだよ。カレン、これは真実の恋だ」
偶然にも通りかかった東屋で、カレン様と仲睦まじくしていらっしゃったレオナルド殿下。
そのセリフを聞いて。
わたくしの心には衝撃が走りました。
ああ、そうだったのか。
わたくしは、本当にレオナルド殿下に嫌われていたのか。と。
わたくしのお母様はレオナルド殿下のお父様、国王陛下の妹でした。
だから、わたくしと殿下は従兄妹になります。
幼い頃からともに育ち、そして自然に婚約者となったけれど。
それでもいつか、わたくしの両親のように、殿下と仲睦まじい夫婦になれるのだろう、って。
そう思っておりました、のに……。
わたくしにはもう長いこと見せてくれなくなったあの笑顔。
そんなカレン様に向ける笑顔に嫉妬しなかったか、といえば、嘘になります。
いくらわたくしでも、それくらいは思ってしまいます。
だって、本気で好きだったのですよ?
そんな感情も湧き出てこなかったとしたら、その方が人としておかしくないですか?
でも。
だからこそ。
殿下が幸せになるのなら、と。
わたくしが身を引けば、お二人はきっと幸せになれるだろうから、と。
殿下の真実の恋というものを、応援するべきじゃないか、って。
そう思ってしまったのでした。
「もうよろしいでしょうか? 殿下。それではわたくしはこれで……」
何もおっしゃらなくなってしまった殿下を見て。
わたくしはそういうと、改めてくるっと踵を返し歩きだしたのでした。
今度こそ、帰ろう。
今夜は帰ってお布団で思いっきり泣こう。
そう、思って。
「待ってくれ、リディア!」
ふえ?
殿下のお声に思わず立ち止まって。
でも、だめ、です。
振り返ると泣き出してしまいそうなので、そのまま頑張って我慢、しなくっちゃ……。
ぎゅっと口をつぐんで。
ぎゅっと涙を堪えて。
ああだめ。
『なんでしょう、殿下』
本当ならそうお応えすべきでしょうけれど、だめです。声も出せない。
「リディア、その、すまない。君の悪行、といったのは撤回させてくれ。全て私の勘違いだったようだ……」
わたくしはぎゅっと口をつぐんだまま、振り向いてなんとかお辞儀をしました。
勘違いの件はわかりましたわと、そういう意味を込めたつもりでしたけれど……。
伝わりましたでしょうか……。
「ま。まってくれ、リディア。先ほどの婚約破棄を含め全て撤回する。だから……」
ひっく。
泣きそうになっていた嗚咽を飲み込むと、わたくしはじっと彼のことを見つめて……。
どうしてしまったのでしょう。殿下は、真実の恋に生きるのではなかったのでしょうか?
婚約破棄を撤回だなんて、そんなの……。
ごくんともう一回息を飲み込んで、わたくしは前を見据えてゆっくりと声を出しました。
「大丈夫です、殿下。婚約破棄はもう了承いたしましたので、撤回などなさらなくても」
ほら、隣のカレン様も不安がっておいでです。
今更、真実の恋を諦めるおつもりでは、ないですよね?
「しかし、それでは困る。父上や母上を納得させられるだけの理由なしには婚約破棄などできやしないじゃないか」
はい?
「特に、母上だ。あの人はずっと君の母上のことを崇拝していたからな。なんの理由もなく婚約破棄など、許してもらえるわけがない」
ええ……。
「それって、わたくしのことはお嫌いだけれど、陛下とお妃様が怖いから婚約破棄はおやめになる、と、そういうことでしょうか……?」
「まあ、そういうことだ。しかしそれは君もそうだろう? 家のために渋々私と婚約したのだろうから」
「そんな、そんなことはありませんわ! わたくしは殿下のことを愛しておりましたから!」
「今更取り繕わなくてもわかっている。でなければいつもいつも感情を押し殺した人形のような顔を見せるわけないものな。君は私のことなど、歯牙にもかけていないのだろう?」
ああ。
殿下はずっとそんなふうに思っていらっしゃったのか。
悲しい。
悲しくて。悲しくて。
先ほど驚いて一旦止まった涙が、溢れてきて……。
止まらない。
ほおまでぐしょぐしょに濡れて。
ああ、だめだ。
もう、ここにはいられない……。
「婚約破棄、確かに承りました。ですから、あなたとはここまで、です。カレン様とお幸せになってくださいませ」
涙声で、でも、なるべくしっかり聞こえるようにゆっくりとそれだけいうと、わたくしはばっと振り返り、今度こそ足早にその場を去りました。
後ろで殿下のお声がするけれど、もう何をおっしゃっているのかも聞き取れません。
わたくしは半ば走るようにフロアを出ると、そのまま公爵家の馬車を呼び、逃げるように帰路についたのでした。
◇◇◇
「ごめんなさいリディア。貴女がわたくしの娘になってくれることをずっと望んでいました。でも、あのこがしでかしたことを許してほしいという資格はわたくしにはありません。ですから、ここからは、貴女は自由です。お心のままに……」
それだけが書かれた王妃様からのお手紙を受け取って、わたくしはベッドの上で今までの思い出に耽っていました。
幼い頃、ともに遊んだ記憶。
たぶん、当時はわたくしも笑顔で殿下に笑いかけていたと思う。
わたくしが笑わなくなったから、殿下はわたくしがご自分のことを嫌っていると思い込まれたのでしょうか?
だから、わたくしが何か悪いことをしたのだと、簡単に信じ込まれたのでしょうか。
わたくしがどう思っているのかなんか考えもせず、わたくしのことを悪役令嬢だと、そう蔑んでいらっしゃったのでしょうか。
昨夜お屋敷に帰りつき自分のベッドに潜り込み泣いたときは、もしかしたらわたくしも悪かったのかも、と、そういう気持ちにもなりました、けれど。
それでも、です。
あんまりじゃ、ないでしょうか。
「お嬢様。王太子殿下がおみえになりました」
コンコンというノックの音と共に、侍女のそんな声が聞こえて。
「会いたくありません。お断りしてくださいませ」
ベッドに伏せったまま、そう応える。
「しかし、お嬢様」
「会いたくないの。おかえり頂いてください」
コンコン
え? またノック?
「リディア、いるんだろう、開けてくれ。話がしたいんだ」
うそ。なんで、殿下!?
「殿下。いくら王太子殿下といえど、許可もなくレディの部屋を訪ねるなんて!」
思わずそう声を荒げてしまいました。
「君に会いたかった。会ってあの涙の意味を聞きたかったんだ」
はい?
涙に意味なんて、あるんでしょうか。
ああ、もしかしたらあの涙も嘘だと思われているのでしょうか。
何か別のたくらみでもあるかのように。
「悲しかったから涙がでてしまった、それだけです。はしたないところをお見せしてもうしわけありませんでした」
「君が私を愛していてくれたというのは、本当のことなのか?」
「そこまで疑われていらっしゃるのですか……」
「すまない。しかし、なら、そうであるなら尚更だ。婚約破棄は撤回させてくれ」
「何故です? もう王妃様も認めてくださいました。あなたが破棄できない理由も、もうありませんよ」
「違う。私が破棄したくないのだ。すまなかった。君のことをずっと誤解してしまっていたのだ。だから、やりなおそう。私は君をもう一度愛したいと思っているから……」
ドアの向こう側から聞こえてくる、そんな真摯なお声。
ああ。
でも。
「お断り、します」
「何故だ! 君は私を愛してくれていたのだろう? なら何故」
そう。
愛していました。
だから、きっと。
だから、なおさら、なのだと――。
「愛していた、からです。だから――」
「意味がわからないよ! 愛してくれているなら喜ぶべきところのはずだろ? 婚約破棄を撤回したいと、君を愛したいと、そう言っているんだぞ!」
ああ。
この人は、たぶんきっと、ずっとこの調子なのでしょう。
わたしの気持ちなんか考えてもくれない。
わたしの気持ちなんかよりも、自分の導き出した結論だけが正しいと、そう信じて疑わないのだ、と。
「あなたは、わたくしの気持ちを聞きもしないで、わたくしのことを悪役令嬢、だの、悪いことを企んでいる、だの、そう決めつけていらっしゃったのでしょう?」
「だからそれは! 勘違いなのだと謝罪しただろ!」
「愛していたからこそ。そう決めつけられたわたくしの心がどれほど傷ついた、のか、慮ってもくださらない。そんなあなたとこれ以上、婚約を続ける気持ちにはどうしてもなれません。ですから、お帰りください……」
愛していたからこそ、悲しかった。
だからこそ、あなたの真実の恋を応援しようと決めたのだ。
そうでも考えなければ、心が弾けてどうしようもなくなるところだったから。
「お願いだリディア。ここを開けてくれ。顔を見て話をしたいんだ。そうすればきっと君にも私の今の気持ちがわかってもらえると思うから」
お顔を見たら、絆される?
そうかもしれない、お顔を見てもこのまま強く突っぱねるのは、わたくしにはできないかもしれない。
だから。だめ、だ。
「あなたには、カレン様がいらっしゃるでしょう? 彼女との恋は真実の恋ではなかったのですか」
「そ、それは……」
「わたくし、あなたがカレン様に『これは真実の恋だ』と語ってらしたところにたまたまでくわしたのです。だから、もういいのです。ご自分の気持ちを偽らなくても」
「ち、違うんだ、リディア。私は彼女に、幼い頃の君の笑顔を重ねていただけなんだ。君の涙を見て、わかったんだ。私が愛しているのが君だったということが!」
一つ。
ゆっくりと深呼吸をして。前を向きます。
扉の向こうの彼に、ちゃんと聞こえるように。
「もう、遅いのです」
と、そう、言って。
「遅くなんかない! やり直そう、やり直せるはずだ!!」
「終わりにしたのです。殿下」
「終わり? 何を」
「あなたを愛していたわたくしを――だから。もう遅いです」
扉の向こうの沈黙はしばらく続き。
そして、諦めたのか、殿下が去っていく足音が聞こえました。
わたくしは、窓のカーテンを開けて。
空はどこまでも広く、青く、澄み渡っていました。
まるでわたくしの心を優しく癒してくれるかのように、涼やかに。
玄関を出て行かれるレオナルド殿下が、一瞬だけ振り返りこちらを見ました。
わたくしはその殿下の姿を見送り。
どうかカレン様とお幸せに。
そう祈る気持ちで目を瞑り。
終わりにします。
いえ、もう、終わりにしたのです。
わたくしの恋は、これで――。
青空が目に染みて、少しだけ涙が溢れるのがわかりました。
FIN




