第1話 記憶が戻ったら、推しがいた。
クレシアは暗い天井を見つめていた。
(——私、パンツ握りしめて死んだのかもしれない——)
獣罠に足を取られて転倒し、石に頭をぶつけて、私は二日間眠っていたらしい。
その間に思い出したのは、前世の記憶。
日本の、普通の女子高校生だった。
母に頼まれてベランダの洗濯物を取り入れていた時、風が強く吹いて、お気に入りのパンツが飛ばされた。慌てて捕まえようと身を乗り出して——世界が反転した。
そこで記憶が途切れている。
きっとその後落ちて死んでしまったんだろう。私のマンションは八階だった。助かるはずがない。
そして今、私の名はクレシア。森の近くの小さな村で家族と暮らす十六歳だ。
畑を耕し、森で狩りをしたり木の実や山菜を集めたりして細々と暮らしている。近隣の集落と物々交換したり、時には街まで荷馬車で物を売りに行って、布や食べ物を買ってくることもある。前世と比べると不便で質素だけれど、時間の流れは緩やかで森も川も美しい。これはこれで悪くない気もする。
藁のベッドから起き上がる。少しふらつくが前世の記憶が戻った以外に体に不具合はなさそうだ。頭を触るとぶつけたところがまだ少し腫れているが、そのうち治るだろう。それよりも。
じっと手を見る。両手を握ると魔力が集まるのを感じる。
——明らかに、前より強くなっている——
この世界には魔法がある。田舎の村で暮らしていても割合快適なのは生活魔法があるせいだ。かまどに火を起こしたり、夜の明かりに光魔法を使ったり、井戸から水を組むのに水魔法を使ったりできる。人によって魔力の差は多少あるが、ほとんどの人は生活にちょっと使う程度で便利に暮らしている。
しかし。
クレシアの魔力はちょっと強かった。最初は制御が難しいだけかと思っていたが、明らかに使える力が大きかった。そしてそれは喜ばしいことではなく、周囲に大変迷惑をかけてしまう事態に発展していた。
例えば。
洗濯物を乾かそうと風魔法を使うと、物干しごと飛んでいく。
かまどに火をつけようとすると、かまどごと爆発する。
桶に水を汲もうとすると全身水浸しになるほどの水が溢れる。
よって、クレシアは「魔法は使うな」と禁じられてしまっていた。
「ヒョロヒョロと不恰好に背だけ伸びて、魔法もまともに使えなくて、困った娘。これじゃどこにもお嫁にやれないわ」
母がいつも嘆いていた。クレシアは申し訳なくて身を縮めて黙るしかなかった。
しかし。
今は違う。
なぜなら、クレシアの姿はスラリと長身で細身。これは、いわゆるモデル体型では?
背中を丸めるなんて勿体無い、こんなにかっこいいのに!髪も優しい金色で長く豊か。顔は、鏡がないからはっきりわからないけど、水面に映った顔は悪くなさそうだった。
この村の基準では美人じゃなくても、私としてはこれはかなりいけていると思う。個人的に理想の体型だ。
そしてこの魔力。生活魔法じゃうまく使いこなせないけど、魔力多いチートは転生者として有利に働くはず!そう信じたい!だって、魔法がある世界なんだから。
とはいえ、どう使えばいいかはさっぱりわからない。魔物が襲ってきたりしたら倒せるんじゃないかとは思うけれど、攻撃魔法とかやり方知らないと多分できない。我流でなんとかなるものなんだろうか。
魔法学校みたいなところが王都にはあるらしいけど、すごく遠いしお金もかかるらしいからとても無理。
このままだと魔力が溢れてちょっと良くないことになりそうだ。
「クレシア、起きたの?」
母さんが入ってきた。
「大丈夫?」
「うん、もう平気。お腹すいたわ」
「…………」
「何?」
「いえ、ちょっと……雰囲気が変わった気がして。スープがあるから食べなさいな」
「あ、嬉しい!ありがと!」
「……」
湯気の立つスープを木の器によそって、ふうふうと冷ましながら食べる。母さんは不思議そうに見ていた。
「どうしたの?」
「なんだか、変よクレシア。頭打ったせい?話し方も、なんだか顔つきも違う人みたい」
さすが母親、鋭い。
でも私はクレシアで、別人になったわけじゃない。強烈に前世を思い出しただけ。
「そ、そうかもね。頭すごく打ったもんね。でも、別におかしくなってないわ」
「そう?ならいいけど……」
食べ終わって食器を片付けていると後ろから声がかかる。
「クレシア、起きたのか。」
父さんだ。畑から戻ってきたのかな。
「今からゲイルの納屋を建てるってよ。村総出で魔法使うからお前もこい」
この『お前』は私ではなく母さんだ。
私は魔法要員では呼ばれることはない。納屋を建てるより吹き飛ばすのが私の魔法だから。
二つ下の弟リードも一緒に行くらしい。役に立てないことは非常に残念だが、みんながどんなふうに納屋を建てるのか見学させてもらおう。魔力制御のヒントが見つかるかもしれないし。
「私も、行っていい?見てるだけだから。魔法は使わないから」
「……」
父さんもリードも不思議そうな顔をする。
魔法の場には今までのクレシアなら行きたがらないはずだから。でもそんなことは気にしていられない。
なんとか制御の方法を見つけないと、村から追い出される羽目になるかもしれない。割と危機だ。
「ねえ、いいでしょ?」
「本当に、何もするなよ。見るだけだぞ」
父さんの念押しにうんうんと頷いて、家族みんなでゲイルさんの家に向かった。
納屋作りには二十人ほどが手伝いにきていた。魔法で木を持ち上げたり塗った壁をすぐに乾かしたりして着々と作業は進んでいく。手作業で釘を打ち、麻紐を縛る。魔法と手作業のハイブリッドだ。みんな慣れていて阿吽の呼吸で程よい加減の魔法を使いこなしている。羨ましい。私もできるようになりたい。
木を、浮かせる。
できそうな気がするのにな。
森の入り口にやや大きめの枝が落ちていた。あれぐらいなら問題ないだろう。
右手をかざし魔力を掌に集める。ほんの少し、と念じて指先に流すとブワッと風が巻き起こって狙った枝を吹き飛ばした。枝はそのまま木々の間をぶつかりながら飛んでいって、見えなくなった。
なんでこうなる。
「はぁ〜〜」
深いため息をついて振り返ると、納屋づくりをしていた村のみんなが自分を見ていた。ああしまった、やらかした。
「クレシア……」
父さんの表情が曇る。母さんは目を背ける。リードは下を向いた。なんともいえない気まずい沈黙。
「あの、ごめんなさい……」
俯いた時、後ろの方で草を踏み分ける足音がした。
振り返ると、森の方から男が歩てくるのが見えた。黒い長髪を背中でひとつに束ねた長身の人物。肩にかかるほどの大きな布袋を片手で提げている。袋の口からは赤い果物が少し覗いていた。りんごだろうか。
「あのよそ者だ」
「最近森に住み着いてるって」
「どこから来たのかもわからないけど……」
「なんなのかしら」
後ろで村人たちが小声で囁く。
男はまっすぐこちらへ歩いてくる。足取りは落ち着いていて、迷いがない。その姿になぜか視線が外せない。
胸の奥がざわついた。
見覚えがある。
どこかで、知っている。
でも、こんな人を私は知っているはずがない。この村の人じゃない。街の人でもない。独特の雰囲気――。
男は私の前で立ち止まった。
無表情だった。整った顔立ちなのに、驚くほど感情が浮かんでいない。
「今、魔力が暴走していたな」
低く落ち着いた声。かっこいい。
「怪我人は出ていないか」
声色は静かで、責める響きはない。むしろ心配している言葉なのに、表情がまったく変わらないせいで妙な威圧感がある。
その瞳の紫を見た瞬間、頭の奥で何かが繋がった。
黒髪。長身。無表情。
静かな声と紫の瞳。
強大な魔力の気配。
――思い出した。
この人は。
この人は――。
(え、ちょっと待って)
(待って待って待って)
(うそでしょ)
(この人は――)
『宮廷魔法士シリーズ』の。
ヴァレリウス大魔法士様だ――!!
胸の奥で叫び声が爆発したのに、体は固まったまま動かない。
推しが、目の前にいる。
しかも、りんごの入った袋を持って。




