第29話『深海のノイズ』
氷の架け橋を、トラックは快調に飛ばしていた。
三六〇度、見渡す限りの水平線。
エンジンは唸りを上げ、サリナの塩分除去と俺の魔法は、完璧なリズムで氷を生み出し続けている。
「……順調ね。データも良好。このままなら予定通り島に着くわ」
助手席でサリナが計器を見ながら満足げに頷いた。
だが、俺の神経はリラックスしていなかった。
シエラの様子がおかしいからだ。
「……うっ、ぁ……!」
ナビシートのシエラが、両手でヘッドホンを強く押さえ、ガタガタと震え出している。
顔面は蒼白で、額から大粒の脂汗が流れ落ちていた。
「どうしたシエラ! ノイズか?」
「……音が、大きすぎます……!
空気中じゃない……水の中を、壁のように押し寄せてくる……!」
シエラが悲鳴のような声を絞り出す。
「悲鳴……怒号……いえ、もっと単純な『殺意』の塊……!
速い……! 逃げ場がない……!」
「水の中、だと?」
俺はハッとして、ハンドルを握る手に力を込めた。
水中音速。
空気中の音速が秒速約三四〇メートルなのに対し、水中では約一五〇〇メートル。およそ四・五倍もの速度で伝播する。
しかも水は空気よりも密度が高く、音エネルギーが減衰しにくい。
深海からの咆哮は、逃げ場のない衝撃波となって、シエラの超聴覚を直撃しているのだ。
「相当デカイぞ。この距離でシエラをパンクさせるなんて……」
その時だった。
「――ッ! 下です! 真下から来ます!」
シエラの絶叫。
俺が反応するよりも早く、世界が反転した。
ドゴォォォォォォンッ!!
トラックの前方、俺たちがこれから走るはずだった氷の道が、爆発したように砕け散った。
巨大な水柱が上がり、視界を塞ぐ。
「うわあああああ!?」
「きゃあああっ!?」
急ブレーキと横滑り。
ミナとルルの悲鳴が響く中、水柱の向こうから「それ」は姿を現した。
ぬらりと光る、赤黒い巨体。
無数に蠢く、トラックよりも太い触手。
表面にはフジツボや海藻がびっしりと張り付き、まるで「動く島」が浮上してきたかのようだ。
伝説の海魔――『クラーケン』。
「ウソでしょ……伝説級じゃない!」
サリナが窓枠を掴んで絶句した。
「深海の主よ!? なんでこんな浅瀬に!?」
「こいつか……! 物流を止めていた『見えない壁』の正体は!」
俺は舌打ちをした。
こいつが徘徊していたら、どんな船だってひとたまりもない。沈められて藻屑だ。
ヒュンッ!
風切り音と共に、巨大な触手の一本が振り下ろされた。
狙いはトラックではない。「足元の氷」だ。
「ッ! つかまってろ! 落ちたら終わりだ!」
俺はハンドルを乱暴に切り、進行方向へ魔力を叩きつけて新たな氷を作りながら、ドリフト状態で回避行動を取った。
直後、俺たちがいた場所の氷が粉々に粉砕され、海水が渦を巻く。
知能が高い。
陸の生き物は、海に落ちれば無力だと知っていやがる。
「ベアトリス! 迎撃だ!」
「承知ッ!!」
ベアトリスが窓から身を乗り出し、剣を振るった。
質量ゼロの剣が生み出す、圧縮された空気の刃が触手を直撃する。
ズバンッ!
肉が裂ける音がした。だが、浅い。
分厚い脂肪とヌルヌルした粘液が衝撃を吸収し、さらに傷口は見る間に塞がっていく。
「くっ……手応えがありません!
まるで水を斬っているようです! それに再生速度が異常です!」
「物理攻撃は効きにくいってか……チッ、タチが悪い!」
俺はさらにハンドルを切り返し、次々と迫る触手の連撃を躱し続けた。
だが、ジリ貧だ。
進行方向の氷を次々と破壊され、俺たちの足場はどんどん狭くなっている。
凍らせて動きを止めるか?
いや、無理だ。相手がデカすぎる。
海水を凍らせて道を作りながら、同時にこの巨体を凍結させるだけの魔力出力はない。
「……おい、技術顧問!」
俺は隣で青ざめているサリナに叫んだ。
「あのデカブツの弱点はなんだ! 生態系の頂点にも泣き所くらいあるだろ!」
「む、無理よ! あんな質量の塊、魔法も物理も弾き返すわ!」
サリナが冷や汗を拭いながら早口でまくしたてる。
「基本構造は軟体動物よ! 皮膚は粘液でガードされてるけど、中身は水分の塊……巨大な水風船みたいなものなんだから……」
そこで、彼女の言葉が止まった。
同時に、俺の思考もそこで違和感を覚える。
水分の塊。
水風船。
軟体動物。
俺とサリナの視線が交差した。
二人の技術者の目に、同じ「解法」の光が宿る。
「……おい、サリナ」
「……何よ、ケント」
俺たちはニヤリと笑った。
物理でダメなら、化学で殺ればいい。
「「……浸透圧!!」」
声が重なった。
最悪の状況で、最高にエゲつない作戦の方程式が完成した瞬間だった。
次回は
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※本作品は、執筆の補助・推敲にAIツールを活用しています。




