10月11日早朝 飛鳥 ~ 予兆 1/3
早朝の飛鳥の丘を、さらりとした風が吹き抜けていく。
「うわ~ッ、どうしちゃったの、この空」
「凄っ! まるごと、晴れてる」
雲ひとつない真っ青な空が、見渡すかぎり、どこまでも広がっている。
「俺、継ぎはぎじゃない空見たの、初めてっす」
「ぜんぶが同じ、ひとつの空なんて、見ないもんなぁ」
「いつも、寄せ集めの、モザイク状の空だもんね」
眼下に広がる海が、朝日をはじいて眩しく光る。
瀬戸内海には、大小多くの島々が散らばっている。石の代わりに島を配置した石庭のような海を、水平の彼方まで青空が覆い、さんさんと太陽が降り注いでいた。
「う~ん、いい気持ち」
「最高っす!」
両手を伸ばして思いきり深呼吸したり、子どもみたいに叫び声をあげて走り回る生徒たちを、美緒は静かに見つめた。
つばの広い麦藁帽が風にゆるく煽られ、首の後ろで無造作に結わえた髪の毛が頬をなでる。こんもりと茂った何種類ものハーブが、お辞儀をするように膝元で揺れた。
美緒と三人の生徒たちは、ハーブを摘みに丘に来て、この空に遭遇した。
「こんなに晴れてて、暑くないなんて、不思議」
「朝から四十度越えると、外に出れないんで、ここに来たの、久しぶりっすよね」
波のない海には船影ひとつなかった。
農業、林業、漁業など、自然に係わる産業が気候変動のせいで衰退し、人工的な手法に切り替わったのはずいぶん昔だ。今では、漁業も屋内での養殖に頼っている。だが、このあたりには、生業ではないが、天気の良い時だけ、昔ながらの手法で天然ものの魚を獲る者たちがいた。
この晴れ方は、天気が良いどころではない。異常だ。空の端から端まで全体が晴れている。船を沖合まで出しても、天気の急変で帰れなくなることもなさそうだ。彼らがこのチャンスを見逃すはずはないから、とっくに早朝の漁を終えて引き上げたのだろう。
「漁に出れたら、魚を少し分けて欲しいって頼んでたんだけど、大丈夫そうね」
美緒が嬉しそうに目を輝かせた。
「転校生に飛鳥のスペシャル料理を食べさせるんだって、美緒さん、言ってましたもんね」
「美緒、今回の転校生は、ふたりだったわよね?」
「うん、高校一年の男の子と、中学三年の女の子」
美緒は、今年大学を卒業し、自分が育った飛鳥の職員になった。今回の転校生の受け入れを担当している。
「そのふたりはラッキーだな。獲れたての魚に、地植えのハーブなんて、国賓級のもてなしだぞ」
「美緒マジックさま様っすよね」
「ほんと、朝から、めいっぱい晴れにしてくれちゃって」
「この天気、夕方までもたせてくださいね。なら、転校生も無事到着できるし、歓迎会も予定どおりやれるっす」
「ちょっと待って」
意義あり――とばかりに、美緒が両手をあげて制止した。
「このお天気、私の仕業だって思ってない?」
「げっ」
少年がすっとんきょうな声をあげた。
「まさか、違うんすか?」
「違うわよ。当たり前でしょ」
「私も、てっきり、美緒だと思ってたわ」
美緒が顔をしかめてにらむ。
「もお、自然は安易にいじっちゃダメだって、いつも言ってるでしょ?」
「なら、まじ、激レアっす。こんな天気」
「空が丸ごと晴れるなんて、ないもんね」
「へえ、これ、美緒さんじゃないんだ」
それぞれ驚いた顔を見合わせる。
――でも、この空は自然にできたものじゃないわ。
美緒は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
――作ったあなたたちに、自覚がないだけよ。
「さあ、さっさとハーブを摘んで、朝食までに戻りましょ」
「了解」
それからしばらくハ―ブ園で作業をする間、空には一点の陰りもなく、ずっと晴れが保たれていた。
想像できる中で一番透明な青を選んで隅々まで染め上げ、キラキラした光の粒までまき散らした空を見上げて、美緒はひとり眉をひそめた。
気流の流れも雲の発生も、当然ながら、地理的環境や物理的条件によって作られる。だが、少なくとも飛鳥のまわり、黎明市がすっぽり入る範囲の天気についていうなら、それだけではないことを美緒は知っている。
このあたりの天気は、時として、飛鳥の生徒たちによって、驚くほど変貌してしまうことがあるのだ。
ただ念じるだけ、――それだけで天気が変わってしまう。
しかも、やっかいなことに、当人たちにそれをやってのけた自覚はない。
更新:週一、月曜




