家族学校「飛鳥」
十月は、家族学校の転校の季節である。
「転校」といっても、通常の学校の転校と、家族学校の転校とでは、時期も意味合いも異なる。
「学校」と名がついていても、家族学校は教育機関ではないからだ。
にもかかわらず、名前に「学校」がついているのは、日本で最初の家族学校が設立された当時、災害孤児が急増し、子どもたちの教育問題が取り沙汰されたことと、施設の建物が完成するまで、廃校になった昔の中学校の校舎を使ったことでそう呼ばれたのが、そのまま定着したためだ。同じ理由から、家族学校の居住者は、年齢や職業に関係なく「生徒」と呼ばれている。
家族学校は、ビレッジの種類のひとつである。
ビレッジとは、外部に依存することなく、そこだけで生活できる独立完結型コミュニティのことで、現在、すべての日本人は何らかのビレッジに所属している。
自己完結型のコンパクトでスマートな都市づくりは、国内外で以前から実行に移されていた。が、ビレッジ構想では、激化する自然環境の危険を避けるべく、屋内での生活が前提であり、すべてが建物の内部に収納され、規模は小さい。
ひとつのビレッジの収容人数は千人から五千人ほどで、都市というより村に近く、ビレッジと呼ぶ所以になっている。
ビレッジには、公的機関が運営するもの、民間企業が保有するもの、何らかの共通項によって自主的に世帯が集合したものなど、いくつかの種類がある。
家族学校は、被災者救済の目的でつくられたビレッジである。家族を亡くしてひとりになった乳幼児はもちろん、すべての世代の者が一緒に暮らしている。
発足当時、災害や感染症などで家族を失くした世帯が全体の大多数になっており、社会の最小単位である家族という形態は維持できなくなっていた。そういう背景から、家族学校では、赤ん坊から高齢者まで、各世代を家族構成に近い比率にし、学校全体でひとつの大きな家族であることをモットーとしている。
生徒が成長して校風との相性や風土への適応性が変わることを考慮し、また、仕事や結婚などライフステージによる転機もあり、転校制度が設けられている。
家族学校の転校はビレッジ間の移動であり、暮らす場所ごと、生活環境が変わることを意味する。
時期は、全国いっせいに三年に一度、十月と決められている。
今年は、家族学校の転校がある年だ。
現在、飛鳥には、三才から八十二才までの約九百名の生徒が在籍している。そのうち半数近くが高校生までの子どもたち、一割が大学生と大学院生、残りの半数が社会人だ。
飛鳥からも、毎回わずかながら転出する者が出る。就職・転職、結婚に伴い、公的機関や企業が提供する居住区に移るためだ。他の家族学校への転校希望が出されたことは、これまで一度もない。
飛鳥のある黎明市は、四十年ほど前、台風と高潮で地形が変わった瀬戸内の沿岸に新しくできた市だ。
ビレッジの立地場所としては珍しく、飛鳥は海沿いに建っている。一世紀近く昔は、人気の観光スポットだった港が近くにあったところだ。かつて風光明媚とうたわれた古い街並みは、今は海に沈んでいる。
瀬戸内は、水平線を隠してしまうほど島が多く、向かいには四国もあるため、太平洋側で起きた津波の影響を直接受けることは少ない。が、九州と四国の間を上ってきた津波は、多くの島々に当たり、海底の地形をえぐり、ビリヤードの玉のように角度を変えながら進むため、進路や高さの予測は難しい。
飛鳥が建っているのは、海岸沿いといっても、低い山ほどには標高のある丘の上だ。設立当時は周辺に他の施設もあったが、高波や高潮による浸水やビレッジ間の統合で閉鎖された。
本来なら暴風時の風当りが凄まじい場所なのだが、巨大な煙突が折れて根元が少しだけ筒状に残ったような丘の形状が、天然の要塞となって飛鳥を守っている。斜めに切り取られた筒の背の高いほうが海を背にして、陸側に丸く伸ばした腕の内側に飛鳥を抱き込んでいる。
そして、飛鳥には、他のどんなビレッジにもない、誰もが目を疑うような特徴があった。
丘の懐に抱かれた飛鳥のまわりには、ヒナを寝かせる巣のように、木が生い茂っているのだ。
激しい寒暖差、豪雨か日照りかの二極化する降水量、陥没し隆起する大地――、激変する自然環境の中、人の生活圏から緑が消えて久しい。
それが、どういった仕組みでだか、飛鳥のまわりだけ、青々と濃い緑が育っている。
いつ頃から樹が根づき、草木が芽吹いたのか、はっきりと覚えている者はいない。
鎮守の森に守られた昔の神社のように、飛鳥は緑の森にすっぽりと包まれていた。
晴れた日、飛鳥の丘からは瀬戸内海を見渡せた。
更新:週一、月曜




