10月11日昼過ぎ ~ ひとりめの到着 1/2
『まもなく黎明、黎明に到着します。下車される方はご準備ください』
車内に響いた自動アナウンスに、窓から外を眺めていた百瀬廉は、勢いよく立ち上がり、パシパシと両頬を叩いた。
――よしっ、いよいよだ。
車窓を飛ぶように流れていた景色が減速し始める。
中国地方を走る本州西部ラインは、日本国内を繋ぐ主要幹線のひとつだ。北海道、四国、九州、それに本州を東部、中部、西部の三つに分けた、合計六本の幹線が全国を走っている。
幹線は、建設当時には安全とされた場所を走っているはずだが、黎明に到着するまで、隆起や陥没で穴が開いた地面、崩落した山肌、削り取られた河岸など、荒れた景色が途切れることはなかった。
埼玉県の家族学校で育った廉にとって、瀬戸内に来たのはもちろん、関東地方を離れたのもこれが初めてだった。
それは廉に限ったことではない。日常生活から「リアル旅行」が消えたのはずいぶん昔のことだし、ビレッジを移る時以外、長距離移動する機会がないのは一般的だ。
だが、初めての長旅、初めて乗った本州西部ラインの景色は、毎日の災害報道でうんざりするほど目にする映像と変わらなかった。日本中どの地方も同じように災害にあい、同じように爪痕を残している。
瀬戸内海は外海ではないため、太平洋や日本海の沿岸部ほどではないが、津波や高波にえぐられ、海面上昇にもさらされ、海岸線は内陸に向かってせり上がるように移動し続けている。
廉の新しい所属先となるビレッジ、家族学校「飛鳥」は、広島県黎明市、黎明駅から車で十分ほどのところにあった。
家族学校の転校は十月一日付だ。九月初旬、全国の家族学校の転校生が発表されると、転入、転出、それぞれの学校間で手続きが進められる。
飛鳥からの指示どおりに荷物も送り、今日十月十一日が廉の移動日だった。
とはいえ、予定はあくまで未定で、実際に飛鳥に行きつけるかどうかは、天気次第の運任せだった。
「異常」気象という言葉が成立するほどに普段の天気が穏やかで、「天気予報」が存在していた時代は遠い昔だ。数分後の天気が予測不能で、いつなんどき想定を越えた事態が起こるかわからない――、いうなれば毎日が異常気象、超短期的気候変動が日常的に起こる現在では、どこもかしこもが災害危険地域であり、廉の行程が予定どおりにいくかどうかは、突風に向かってサイコロを投げて占うに等しかった。
それは、飛鳥がある黎明市も例外ではないはずだった。
初めて飛鳥を知った時のことを思い出すと、廉は今でも全身が総毛たつ。
あの日、廉は、自室でグローバルネット配信の「世界不思議ニュース」をつけ、配布された固形栄養でドリンクを作っていた。
その日の話題は、生徒数が千人に満たない瀬戸内にある家族学校だった。
「また、減らされてる」
経常的な食糧不足のため、固形栄養はますます欠かせないものになっているが、配布量が極端に少ない時がある。それに気を取られ、最初は番組を見てもいなかった。
薄すぎるドリンクを手に、ベッドに座って画面に目を向け、廉は、あやうくマグカップを落としそうになった。
「嘘だろ……」
そこには、信じがたい光景が映し出されていた。
カメラは、その家族学校の建物周辺を追っているのだが、いたるところが緑で覆われている。
青々とした葉がびっしり生い茂った木々が地面に濃い影を落とし、その地面には緑のビロードを敷きつめたように苔が広がっている。木々の足元には下草がこんもりと群生し、赤や白、ピンクや青と、色とりどりの大小の花まで競い合うように咲き乱れていた。
「これ、どう見たって、森じゃん」
そうは言ったものの、廉は森を見たことがなかった。
ひょっとしたら今でも、くまなく全国を探せば、人の立ち入らない山奥にひっそりと生き延びた原生林や、災害を逃れて残った人工林が見つかるかもしれない。だが、人が暮らす居住区周辺から緑が消えたのは、ここ最近の話ではない。
それなのに――である。
「ここ、何ていう家族学校だっけ?」
この時代、誰かが屋外で木や草花を育てたいと言ったら、間違いなく止められる。
それは無謀という他ないからだ。
朝から四十度を越える日は、火傷するほどの地熱で、葉や茎が干からびる前に人間のほうが倒れてしまう。作業中に豪雨にあおうものなら、あっという間に洪水に飲み込まれるのは人も一緒だ。
野菜や果物はすべて屋内で機械栽培されているのに、屋外で命を張ってまで、食材にならない木や草花の世話をする物好きはいない。街路樹の下で木漏れ日が踊り、庭先でかぐわしく花がほころぶ――なんてことは、遠いお伽話の中でしかない。そのはずが――。
――ドクドクッ
廉は胸を押さえた。
生まれて初めて目にした森の瑞々しさにときめいたのか、動悸がしている。
画面越しにも伝わる、葉を揺らして風にしなる枝のたおやかさや、甘い香りが鼻先をくすぐりそうな花びらの艶やかさ――。
「……ん? あれ? ここまで甘い香りが……」
そして、カメラが樹に近寄り、画面いっぱいに濃い緑色の葉がクローズアップされた時だった。
しっとりと水気を含んだ露の雫が葉の上で珠を結び、ころころと転がった。
そして、そのまま加速して転がり続け、画面の端から勢いよく飛び出した。
「えっ?!」
ギョッとした時にはもう、廉の首にひんやりしたものが当たっていた。
何とも清らかなものが首筋を伝わり落ち、それは広がりながら、とろけそうに優しく肩を撫でていった。
恐る恐る首に触れてみても、水滴が落ちた跡はない。
「これって、どっきり系、バーチャルマジッグショーじゃないよな?」
何が起きたのか困惑しているうちに、番組では、スタジオに設置されたスクリーン越しに、庭の世話をしている幼い子どもたちのインタビューが始まっていた。
『花や草や木が元気なのには、何か秘密があるのかな?』
『ひみつ?』
子どもたちは、聞かれたことの意味がわからない、といった風にきょとんとし、互いの顔を見合わせている。
『じゃあ、毎日、お花や草に何してあげてるのかな?』
さらに聞かれると、
『お水あげてる』と、小さな男の子が手をあげ、
『お日さまの光も』と、同じ年頃の女の子が続いた。
「特別なことはしてない――てか?」
廉が首をひねった。
インタビュアーは、驚きつつも「なるほど」とうなずいている。
「おいおい、納得してる場合か。太陽が出て、水やりもできて、森まである――、そんな天候ありえないだろ。そこ、つっこんで聞いてくんないと」
不満げに画面をにらみながら、廉の声が大きくなる。
そして、ふと、あるものを見つけた。
――何だ?
子どもたちの周囲に白い光がある。
それは体の輪郭に沿っているので、ひとりひとり、白い光の線で縁取られているように見える。
インタビュアーの言葉にこくんとうなずいたり、質問されて隣の子の顔をうかがったり、もじもじと手足を動かしても、光は消えない。
その時――。
「うっ!」
狙い撃ちされたように、額の真ん中を熱いものが貫いた。
衝撃でガクッと床に膝をつく。
頭に手を当てると、額が心臓になったみたいに、ドクンドクンと脈打っている。
体が大きく傾き、そのまま床に倒れ込んだ。
床についた腕の肘から先にピリピリと電流のようなものが走っている。
両手を持ち上げると、周りに何かがうっすらと見えた。
――光……?
子どもたちと同じに、両手の輪郭に沿って幅三センチほどの白い光の線が見える。
――僕まで? なんで?
そう思ったとたん、光が部屋いっぱいに広がった。画面から強烈な光が洪水のようになだれ込んできたのだ。それは、まるで廉という受け皿を得たことで、一気に堰を切って溢れ出たかのようだった。
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