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前夜 1/3

 

 前夜 


 ――こんなことになるなんて……。

 桐原正人は、日頃のク―ルさに不似合いな仕草で髪をかきむしった。

 自分が何を思ったところで、今さら、何も変わらない。

 最高知能をかき集め、模索し、プログラムにかけても、起死回生は望めない。

 今頃、地球のことを地球人だけが考えたって、手遅れなのだ。

 やり直すとしたら、はるか昔まで引き返さねばならない。

 そんなこと、わかっている。

 でも――。

 ――これでいいのか?

 メタリックな壁に表示された時刻は、21時57分。

 あと二時間で時間で明日になる。

 そうしたら、最後の計画が動き出す。

 ――くそっ。

 力まかせにデスクの足を蹴る。

 ――本当に、これしかないのか?

 ゴオ―ッという音と共に、ぶ厚い壁越しにも体に伝わる不気味な軋み。

 ビルを丸ごと吹き飛ばしそうな外の暴風のように、正人の気持ちは吹き荒れていた。


 20ⅩⅩ年、10月10日、夜10時 ニューヨーク。

 昔は不夜城として昼夜を問わず人で溢れていた煌びやかな街が、今は死んだように息を潜め、動く影ひとつない。

 あるのは、大気さえ凍りつかせる凄まじい寒気と、空と大地の境目もわからない茫洋とした暗黒の闇ばかり――。

 街と呼ぶのがはばかられるかつての大都会は、変わり果てた姿を恥じ入るように、夜の闇を厚くまとっていた。在りし日の華やかな面影は割れ落ちた大地に埋もれ、深海のごとき黒い淵に沈んでいる。

 天にも、地にも、その狭間にも、どこにも光はない。

 吹き始めた強風に嵐の到来を察してか、月も星も姿を消している。

 大半のビルはとっくに朽ちて廃墟と化しているが、今なお使用中のビルも、荒れそうな雲行きに早々に防災シャッターを下ろしたのだろう。灯りの漏れている建物はない。

 生きものの気配や温もりのかけらもない、凶器のような暴風が荒れ狂う古の大都市は、滅んだ文明の遺跡のようだ。

 突然、暗黒の夜空に大きな投網を放ったように、銀色の無数の稲光が走り抜けた。尖った爪で引っ掻いたような細い光は、一度ほとばしると次第に間隔をつめながら、垂れ込めた厚い雲をうっすらと照らし出す。

 沸騰した湯のようにグツグツと大気を吐き出す雲の動きが加速するにつれ、地上を吹く風も一気に激しさを増していく。天空の生きものたちが飛び跳ねるせいで雲の床にぼこぼこと穴が開いたみたいに、どす黒い雲のあちこちから、重たそうな空気がねっとりと滴り落ちてくる。

 ふいに何本もの太い稲妻が上空を引き裂き、少し遅れて雷鳴が轟くと、大地が震えた。

 ここからが本番だと言わんばかりに、巨大な白光が天空をぎざぎざに切り刻み、大音響が街を揺さぶる。爆撃のような雷の襲来を受けて、四方八方から落雷の炎があがり、鳴り響く轟音が朽ちたビルたちを震え上がらせた。

 黒い墓石が立ち並んだようなビル群の中で、ひとつだけ銀色のビルが、大しけの海のように波打つ黒雲の下、稲妻が走る度に白く鮮やかに浮かび上がる。

 それは、数少ない現役の建物のひとつ、新世界連盟ビルだった。

 厚く垂れた黒雲に頭を抑え込まれたビルは、身動きが取れず、血の気が引いた蒼白の姿を闇に晒していた。

 その新世界連盟ビルの地下九階、統括司令本部補佐室に正人はいた。

 きれいさっぱり何もないデスクの上には、旅行バッグが置かれている。

 誰もいないとこんなに広い部屋だったかと、今さらながら正人は思う。

 こうしてデスクに座って、することもなく自分の職場を眺めるのは、ここに配属された新人の時以来だ。

 今日付けで閉鎖される部署の床にはごみが散らばっている。明け方まで働いていたスタッフたちが慌ただしく私物を運び出した跡だ。

 いつもここに満ちていた殺気だった喧騒が嘘のように消え、ところ狭しと置かれていた通信用の機器も撤去されている。着ていた服を剥ぎ取られたように心もとなく殺伐とした部屋は、灰色の静寂の中、覚めることのない眠りについていた。

 ふいに、チカッと何かが目の端で光った。

 部屋のライトに照らされて、床の隅で銀色に鈍く光るものがある。

 誰かが落としたのだろう、それは、もう使うことのない統括司令本部のバッチだった。

つわものどもの夢の跡……か」

 ここにいた全員の二年にわたる昼夜を問わぬ働きが実を結ぶ保証はない。

 今のこの世界で何かが結実する可能性なんて、ないに等しい。

 でも――。

 ――本当にこれでいいのか?

 何十回、何百回と繰り返している問いに、答などない。

 間違った選択だったとしても、この道を突き進むしかないのだ。

 もう、誰にも何も変えられない。

  この星で何かを計画しようとする時、成功する確率が予測できなくなったのはいつ頃からだったか――、正人には記憶がない。自分が幼かったのか、いや、たぶん、もっとずっと昔、正人が生まれる前だ。

 いつ、どの時代のこれを境にという明確な線引きなどないのだ。気がついたら、この世界の未来はおぼつかないものになっていた。そして、そのおぼつかない時代に自分は生まれた、――それだけのことだ。

 ――だけど。

 思わず奥歯をかみしめる。

 受け入れるしかないと自分に言い聞かせたはずなのに、心が叫びそうになる。

 ――まさか、こんな事態が起こるなんて、誰に想像できたっていうんだ?

 正人の気持ちの行き場はどこにもなかった。


 


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