第一話:ゴミと見なされた大魔導師と、緑色の厄災
馬車がガタガトと揺れるのをやめ、御者の野太い声が聞こえる。
「着きましたぜ。ここが魔法学園『アステリオン』だ」
ガルディックことケンジロウがのっそりと外へ出ると、目の前に巨大な門がそびえ立っていた。その向こうには、統一感という概念を母親の胎内に置き忘れてきたかのような、奇妙なデザインの建物群が広がっている。ゴシック様式の塔の隣にキノコのような形の校舎が建ち、その奥にはピラミッドまがいの建造物まで見える。
(なんだこのデザインは……。設計した建築家は、たぶん酒に酔った勢いで図面を引いたんだろうな。そうでなければ、この混沌とした光景は説明がつかん)
門をくぐると、そこは庭園のような広場になっていた。木々が植えられ、ベンチが置かれ、生徒たちが思い思いの場所で談笑している。平和な光景だ。しかし、その平和はすぐに別の種類の騒がしさへと変わった。
「きゃっ、あれ、ルシウス様じゃない?」
「今日も素敵だわ……。あの涼しげな眼差し、たまらない……」
女子生徒たちの甲高い声が、四方八方から突き刺さる。ケンジロウが鼻をほじりながら横目で見た先には、涼しい顔で歩く青年、ルシウスの姿があった。
(へえ、こいつルシウスって名前なのか。それにしても、モテすぎじゃないか? 少女たちの目からハートが飛び出しているのが見えるようだ。別に、羨ましいとか、そういうわけじゃないがな、断じて)
ケンジロウがそう毒づいていると、視界の隅に、女子生徒たちとは明らかに違う人種が映り込んだ。ベンチに座っていた、頭のつるつるした一人の男子生徒が、恍惚とした表情でルシウスを見つめ、その目は完全にハートマークになっていた。
それを見た瞬間、ケンジロウは思わず叫んでいた。
「お前もかーーーーッ!?」
辺りが一瞬、しんとなる。ルシウスが怪訝な顔で振り返った。
「何か言ったか」
「いや、なんでもない。ハエが飛んでいたもんでな」
ケンジロウはしれっと嘘をつき、何事もなかったかのように歩き続けた。
数歩進んだところで、ルシウスは一つのベンチを指さして立ち止まった。
「ここで待っていてくれ。学園長に話をつけてくる」
「はい...はい」
ケンジロウは言われた通り、ふんぞり返ってベンチに腰掛け、足を組んだ。
ルシウスが去ってしばらく経った頃、一体の奇妙なものがケンジロウの前を通り過ぎた。メイド服を着た、人間サイズのからくり人形だ。手にはモップを持ち、せっせと廊下を掃除している。
(へえ、魔法のゴーレムか。便利でいいな、こういうの)
そう感心した、まさにその瞬間だった。
人形の首が、ありえない角度で、ギリギリと音を立てながら360度回転した。そして、ケンジロウの位置でピタリと止まる。その目は、不気味な赤色に光っていた。
『危険……危険……第一級指定ゴミ……最大レベルでの清掃を要ス』
電子的な、感情のない声が響く。ケンジロウはきょろきょろと周りを見渡した。
(まさか……お、俺のことじゃ……ないよな?)
その希望的観測は、次の光景によって無慈悲に打ち砕かれた。
メイド人形の華奢だった体が、みるみるうちに膨張し始めたのだ。メリメリと音を立てて筋肉が隆起し、可憐なメイド服は引き裂かれ、中から現れたのは筋骨隆々のターミネーターまがいの姿だった。
(これはヤバいかもしれん。いや、絶対ヤバい。逃げるが勝ちだ!)
ケンジロウは本能的な恐怖に突き動かされ、人生で一番の速度で走り出した。ゴミとしての己の尊厳を守るため、必死に逃げた。背後からは、変貌を遂げた掃除人形が猛烈なスピードで追いかけてくる。
「はあ、はあ……!」
近くにあった騎士の石像の裏に隠れ、ぜいぜいと息を整える。
(なんとか撒いたか……。死ぬかと思ったぜ、マジで)
安堵のため息をついた直後。
ドガァァン!バキィィン!!
けたたましい破壊音と共に、彼が隠れていた石像が粉々に砕け散った。爆風で前方に吹っ飛ばされたケンジロウは、なんとか受け身をとって立ち上がる。目の前には、拳を振り上げた掃除人形が仁王立ちしていた。
「やるしかないようだな……相手になってやるぜ」
(……とは言ったものの、どうやって? 今のはただ、一度でいいから言ってみたかっただけの決め台詞なんだが……)
内心で冷や汗をだらだら流しながらも、ケンジロウは考える。
(待てよ、このジジイの体は、確か大魔導師だったはずだ。だったら、何か強力な技が眠っているに違いない。集中しろ……俺の中に眠る力を、引きずり出すんだ!)
突如、ケンジロウの雰囲気が変わった。その目は鋭く細められ、深く腰を落として力を溜めるようなポーズをとる。両掌を、ゆっくりと近づいてくる掃除人形に向け、喉を張り裂く勢いで叫んだ!
「マホォォォーーーッ!! ジジィィィーーーッ!!」
その瞬間だった。
ブッフォォォォォォォォ!!
「……あれ?」
ケンジロウの尻から放たれたのは、魔法ではなかった。それは濃密で巨大な、深緑色のガスだった。爆発的な勢いで噴出したそれは、あっという間に周囲に広がり、学園の中庭一帯を覆い尽くしていく。視界は急速に白……いや、緑に染まっていった。
「うわっ、なんだこの臭い!」「目が、目がぁ!」「毒ガスだー!」
生徒たちの悲鳴が響き渡る。誰もが鼻を押さえ、逃げ惑っていた。目の前にいた掃除人形は、緑のガスを吸い込んだせいか、ガクガクと奇妙な動きを繰り返し、やがてショートしたかのように動きを止めた。
ケンジロウもまた、自らが放った災厄から逃れるように、こっそりとその場を離れた。
数分後、校舎からルシウスが咳き込みながら出てきた。彼は緑のガスに包まれた惨状を見て、眉をひそめた。
「一体何があったんだ」
「さあな。少しうたた寝をしていたら、目が覚めたらこの有様だった」
ガルディック(ケンジロウ)は、涼しい顔で答えた。
(もちろん、俺が原因で、掃除人形にゴミとして処分されそうになったなんて言えるわけがない)
「……そうか。まあいい。とにかく、明日の始業までにはこの問題を解決しておく。お前はどこか宿でも探して泊まってこい。ほら、これで」
ルシウスはそう言って、十枚ほどの硬貨をケンジロウに投げ渡した。
「十リモンだ」
(リモン、ね。どうやらこの世界の通貨らしい)
「わかった。じゃあ、俺は行くとするか」
ケンジロウはそう言って歩き出した。
(……待てよ、宿屋ってどうやって探すんだ? まあいい、少し散歩でもするか)
こうして、時に、ゴミはゴミそのものよりも厄介な存在になり得るという事実が、また一つ証明されたのであった。
「おい待て、どういう意味だそれは」
「……」