久しぶりのデートのようなものでした
休日で人が多い繁華街を、雲母と歩く。
俺はただ雲母についていくだけ。どこに行くんだろうか。
雲母の横顔を見ながら歩いていると、勘違いしそうになる。また彼氏と彼女の関係に戻って、毎日こうして並んで歩きたい……なんて願望が、俺の心の悪い部分に呼びかけられる。強い誘惑だ。そして悪い誘惑だ。
俺はまとわりついてきた誘惑を振り払った。
違う……違うぞ俺。そういうのじゃないぞ。今日はあくまで真面目な話をするために雲母といるんだ。それ以上でもそれ以下でもないんだ。勘違いするな。
楓ちゃんとセックスしといてそんなゲスな願望が存在すること自体が大きな罪だ。
「ねぇ、涼馬」
「な、なんだ?」
「久しぶりのデートって感じね」
「!!!!!!」
え……デート……?
え、ちょっと待て。これって、デートなのか?
デートという言葉に心が強く揺さぶられる。それと同時に心の中に浮かぶのは、楓ちゃん。
心の中が混沌として、すごく悪いことをしているような気分になってくる。
「ちょっと待て、デートとかじゃなくて大切な話をしたいだけなんだけど」
「ふふっ、何照れてんのよ涼馬。今まで何度もこうして手を繋いでデートしてきたじゃない」
「っ……デートじゃねぇって……一旦手を離してくれ」
「ふふっ」
ぎゅっ
手を握ったまま、むしろさらに強く握って、クスクスと妖艶な笑みを浮かべた雲母。俺の記憶とピッタリ一致する表情。
過去の想い出が、俺の思考を鈍らせる。真面目な話をしたいのに変な気分になってくる。昔はこのまま雲母に溺れていったが、今はそうはいかないんだ。気をしっかり持て。
とにかくこれはデートじゃない。認めない!
こうして雲母に連れてこられた場所は、すげぇ高そうなカフェ。
うん、俺が奢るんだろうな。今までのデートはすべて俺が奢ってきたからな、今回も俺が奢ることになると思う。いや、なると思うじゃなくてなる。
家賃が払えなくて前の家を追い出された俺は、当然サイフの中身は氷河期のように寒い。
楓ちゃんに超高額の給料を渡されたがそれは受け取るわけにはいかなくて楓ちゃんに預けている。だからとにかく現在の所持金は悲しい。
一応今回は足りる……よな? たぶん。男として金が足りませんでしたなんてことは許されないぞ。
「何サイフの中を見てんのよ。安心しなさい、ここはあたしが出してあげるから」
「えっ!?!?!?」
「うるさっ、何よそのオーバーなリアクション」
「……すまん、たぶん聞き間違いだと思うんだ。もう一回言ってくれ」
「だからあたしが金出すって言ってんのよ」
「―――…………
!?!?!?!?!?!?」
俺は目玉が吹っ飛びそうなくらい驚愕し、自分の耳が信じられなかった。
あの超ワガママな雲母が……奢ってくれる……だと……!?
う……ウソだろ……!? あの雲母が? ありえん。7年交際経験の中からどれだけ記憶を引っ張り出そうとしても、雲母が奢るなんてデータはどこにもないのに。
「お……お前……本当に雲母か……!?」
俺は雲母の頬を軽くつねってみた。
ズンッ!!
「いってぇ!!!!!!」
ハイヒールで足の甲を踏まれた。マジで痛い。踏むっていうか刺してるだろこれ。足に穴が空くかと思った。
うああっ……足を踏まれた経験は何度かある、この痛みは雲母だ……間違いなく雲母本人だ。踏まれた痛みで本人かどうかわかるなんて悲しいな。
「なーんてうっそーん。割り勘よ、わ、り、か、ん」
「…………」
まあ、割り勘だとしても雲母にしては奇跡だよ。こいつが自分の分を自分で払うなんて初めてだよ。
「いいから早く店に入るわよ」
雲母はスタスタ歩いて入店し、俺も足を引きずりながらついていった。
カフェの一番奥の席に座った。静かで話がしやすそうな席だ。
……そう、話をするだけだ。絶対に変な気分になるんじゃないぞ、俺。
雲母はメロンソーダを注文し、俺はコーヒーを注文した。
「……で、雲母。さっそく大切な話をしようと思うんだが……」
「ん~、おいし~」
……聞いてねぇな。メロンソーダに夢中か。
アイスを頬張って頬に手を当てて幸せそうな顔をする雲母は、可愛い。昔たくさん見てきた表情だ。この顔を見たくてたくさん奢ってきたんだ、好きに決まってる。別れても全然変わんねぇなこいつ。
「おい、雲母……話が……」
「何よ、メロンソーダの時間を邪魔しないで。超おいしいんだから」
ギロッと睨まれた。相変わらず甘いものに目がない雲母だな。仕方ない、食い終わるまで待つか。
完食したなと思ったらおかわりしやがって、2倍待たされた。
……よし、今度こそ食い終わったな、やっと本題に入れる。
「雲母、俺とヨリを戻そうというのはどういうことだ? 今さらどういうつもりなんだよ、ちゃんと説明しろ」
「言ったはずよ、あんたしかいないって。あたしにはあんたが必要なのよ」
「だからそれがなんでかって聞いてんだよ。お前は俺を捨てただろ!? 俺のことがつまんなくて飽きたって、二度と顔も見たくないって言ってたじゃねぇかよ。あれはなんだったんだよ。
あれを撤回するというのならそれ相応の理由を聞かせてくれねぇと納得できねぇんだよ!」
俺はついテーブルをバンッ! と強く叩いてしまった。
ああ、イライラする。俺は泣くくらい辛かったのにケロッとしてるこいつの態度が。
悔しいし認めたくないけど、今でも好きだ、この女が。好きだからこそ怒りが収まらない止められない。
もし仮に雲母と復縁することになるとしても、ここだけはキッチリ説明してもらわないと気が済まない。
俺も、楓ちゃんと二股かけちまってるくせに、こんなに怒る資格があるとでも思っているのか、最悪だな。自分自身が最悪なのはわかっててもここだけは激しい感情が漏れ出るのを止められなかった。
俺が怒りを丸出しにしても、雲母は余裕そうな笑みを崩すことはなく平然としていた。
「フッ……女心にいちいち理由を求めるなんて、あんたも男としてまだまだね」
「……女心……?」
「そ、女心。理由があるとしたらそれだけで十分よ」
……それだけ……?
いや、ちっとも十分じゃねぇんだけど。マジで女心の二文字だけで終わらせる気なのか?
女心と秋の空とは言うけど、限度ってもんがあるだろ。こいつ、本当にそれだけで俺を納得させられると本気で思ってやがる。
雲母はそれ以上何も言おうとしない。ガチのマジでこれだけで大切な話が終わりなのか? 冗談じゃない。
その女心というものをもっと詳しく聞かせろ。元カレとしてそれを聞く権利くらいはあるはずだ。
「……お前、好きな人ができたって言ってたよな。そいつと何かあったのか?」
「やぁねぇ、いくらあたしでも元カレに他の男の話をするほどノンデリじゃないわ」
「…………」
そりゃ確かに、雲母に新しい彼氏ができたとしてその男の話なんか死ぬほど聞きたくないし俺には関係ないけどさぁ。
なんかすげぇごまかされた気がするんだけど。結局何も聞けてない。こいつと話し合いをするためにここに来たのに、これじゃ何も意味ないじゃん。
ちくしょう、モヤモヤを晴らすどころかさらに曇っていく。こんなことならやっぱりおとなしく家にいた方がよかったのか……今後悔しても遅い。
―――この時間、すごく無駄にしたような気分だ。俺は選択肢を間違えた。ハッキリ言ってもう帰りたい。楓ちゃんの家に帰りたい。
……ん? 帰りたい?
……?
?
好きな女が会いに来てくれて、好きな女と一緒にいるというのに、帰りたいのか、俺。
ついさっき、今でも好きだって再確認したばかりなのに?
雲母と7年も付き合ってきて、ムカつくとかウザいって思ったことはいくらでもあった。雲母に振り回されまくって困らされたことはいくらでもあった。
だけど、それを不服に感じたことなんて今まで一度もなかったのに。何があっても幸せだったのに。
無駄な時間とか帰りたいなんて思ったのはこれが初めてだ。
どんなにムカついてもずっと雲母にそばにいてほしいと願い続けてきた俺にとって、これはとんでもない事態。自分で自分が信じられない。俺の心は困惑と混乱でグチャグチャに荒れてきている。
あれだけ好きだった雲母。あれだけ愛した雲母。
その彼女が目の前にいるのに、こんなに近くにいるのに、言うほど幸せな気持ちじゃない……ような気がしてきた。
昔は苦じゃなかったことが、苦になってきている。それがなぜなのか、自分自身でもよくわからない。
雲母と一緒にいるのに、俺の心の中心にいるのは、楓ちゃん。
どんなに心の中が荒れ狂っていても楓ちゃんがいる世界だけは、とても穏やかで心地よいものであった。




