楓ちゃんに追いかけられました
※涼馬視点
俺は家の掃除を頑張っていた。
途中までは賢三さんが見ていたが、昼頃から会食があるらしく出かけていった。だから今は1人で掃除をしていた。
汗だくになるまで頑張った。ハァハァと息を荒くしながら中庭でちょっと休憩しようと思った。
―――ザッ、ザッ、ザッ
庭を歩く音が聞こえる。こっちに来る女の子が1人。
楓ちゃんだ。楓ちゃんが習い事を終えて家に帰ってきた!
今気づいたけどいつの間にか夕方になっていた。そうか、もうこんな時間か。掃除に没頭して時間の流れを忘れていた。
「―――うっ……!」
楓ちゃんの姿を見て、俺は思わず気圧されてしまった。
楓ちゃんの肌は雪景色のように白いのに、どす黒いオーラに包まれていて、瞳もまた真っ黒に染まっていて、覚醒している。何よりも闇が似合う女の子になっていた。
怒ってる……帰ってきてもまだまだ怒ってる……いや、出かける前よりも明らかに機嫌が悪化している!!
「お、おかえりなさいませ、楓ちゃん」
楓ちゃんが怖くて、俺はつい丁寧口調で言ってしまった。
「うん、ただいま」
抑揚のない声で返事する楓ちゃん。淡々とした感じの声も可愛いし美しい。そして恐ろしい。
俺にはわかる、これは嵐の前の静けさ。楓ちゃんの外面は怖いくらいとても穏やかでも、内面は大災害のように荒れ狂っている。とにかくブチギレているんだ。
できる限り楓ちゃんを刺激しないようにしないといけない。対応次第では俺の命にも関わる。
真っ黒な闇の瞳で、ジーッとこちらを見つめてくる。俺の顔に冷や汗が伝っていく。
「涼くん、家のお掃除頑張ってくれたんだね。お疲れ様」
「あ、ああ、楓ちゃんの頼みならなんでもやるよ」
「うん、ありがとう。涼くん汗かいてるね、私がタオルで拭いてあげるよ」
「ああ、ありがとう……
…………
―――!?!?!?
って、それタワシじゃねぇか!!!!!!」
俺は自分の目を疑った。
タオルで拭いてくれるって言ったのに、楓ちゃんの右手に持たれているそれはどこからどう見てもタオルじゃない。あまりにも形が違う。
茶色くて丸くて、固いものを掃除する時に使う、あのタワシだ。
楓ちゃんは持っているタワシを俺に近づけてきた。
え……ちょっ……冗談だろ? タワシ? タワシで俺の身体を拭くっていうの? 固いタワシで? 楓ちゃんの凄まじいパワーで?
死しかないだろそんなん。
「ちょっ、ちょっと待て楓ちゃん! それタオルじゃない! タオル違うタワシ!!」
「まあまあ、タオルでもタワシでも大して変わらないよ」
「変わるだろ!! 何もかもが変わるだろ!! 『タ』しか合ってないだろ!!」
ハンカチで顔を拭かれた時もパワーがすごすぎて着火しそうになったんだぞ。それをタワシでとか……今度こそ確実に皮膚を剥がされるだろ。いや剥がされるっていうか剥ぎ取られるだろ。もう殺人だろ殺人。
俺は命の危険を感じて後ずさりする。楓ちゃんもタワシを持ちながらジリジリと迫ってくる。
「い、いや、やっぱりいいよ楓ちゃん……!」
「遠慮しないで。私がちゃんとキレイに丁寧に拭いてあげる」
それはもはや『拭く』じゃねぇんだよ、『削る』なんだよ。
目が……本気だ。本気でタワシで俺の人体をガシガシやるつもりだ。
ダメだ。死ぬ。さすがにこればっかりは死ぬ。無理だ。
―――ダッ!
俺は全力ダッシュで逃げた。
逃げるといってもどこに? ここは楓ちゃんの家だぞ。
とにかく逃げる。この家は超広いんだ。逃げるところはいくらでもある。
「待ってよ涼くん~」
楓ちゃんはタワシを振りかざしたまま走って追いかけてくる。楓ちゃんは足も速い。後ろを振り返ると楓ちゃんがどんどん迫ってくる。俺も全力で走ってるけどこのままじゃ余裕で追いつかれる。全力でもダメだ。リミッターを外さなきゃ。
俺は命を燃やすように全身全霊で逃げる。
ダダダダダダ!!!!!!
ダダダダダダ!!!!!!
中庭を眺められる長い長い廊下で、俺と楓ちゃんの追いかけっこが始まった。
捕まったら狩られる。スリルがありまくる恐怖と絶望の追いかけっこだ。
誰か助けてくれー!! 賢三さん助けて!! あっ、賢三さんは今いないんだった。
他にも使用人さんたちとかいるだろ、家が広すぎてあまり会えないけど! 誰でもいいから助けて!!
あっ、運良く庭を歩いている使用人のお姉さんを見つけた!
「たっ、助けてくださーい!!」
俺は必死で助けを求める。
「あらあらまあまあ、安村様ったらお嬢様と遊んでらっしゃるのですね。微笑ましいことです」
おいっ!! この光景の何が微笑ましいんだ! 絵面的にハンターとエモノだろうが!
ダメだ、使用人のお姉さんは微笑ましそうに見ているだけだ。
ていうか賢三さんがいない今、この家で最強なのはぶっちぎりで楓ちゃん。使用人さんたちの手に負えるレベルではない。やはり自分でなんとかするしかない。自分の危機は自分で乗り越えるんだ!
乗り越える決意をしたところで早くも体力の限界が来ていた。全身全霊で走ろうがこのままでは結局捕まる。
廊下の角のところを曲がり、曲がってすぐのところに階段があるのでそれを素早く駆け上がる。
2階にも部屋がたくさんある。楓ちゃんが階段を昇っているスキにどれかの部屋に逃げ込む。
ははは、楓ちゃん! 俺がどの部屋に逃げたかわかるかな?
逃げ込んで、ドアの鍵も閉めて、近くにあった机や椅子でバリケードを作って入口を念入りに塞ぐ!
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
マジで体力限界ギリギリだった。大きく呼吸をして休憩しないと身体が持たない。
楓ちゃんは今精神的にかなり不安定な状態。一時的なものだと思うのでしばらくすれば頭を冷やして落ち着いてくれるはず。それまでこの部屋に避難していよう……
―――スッ……
!?
突如、俺の視界に長い金髪が……
美しく、滑らかでしなやかな金髪。髪だけでわかる。楓ちゃんの髪だ。
なんで楓ちゃんの髪が上から来てるんだ……?
俺は恐る恐る、視線を上に向けていく。
「涼くん、見ーつけた」
「ぎゃああああああ!!!!!!」
俺は情けなくも悲鳴を上げてしまった。いやこれはビビるって。ホラー映画の展開だって。心臓が弱い人は要注意だって。
天井の板が外されていて、天井裏から楓ちゃんが逆さまでヌッと登場していた。




