つばきちゃんの気持ちです
体育館のモップ掛けをつばきちゃんが手伝ってくれて、ようやく半分くらいが終わった。
「涼馬さん」
「なんだ?」
「いえ、その……ぶふぅっ、くくく……」
つばきちゃんと目が合ったらつばきちゃんは笑いを堪えきれずに笑った。
ああ、キスマークだらけのこの顔ね。さっきも笑われたからね。さっきの笑いだけじゃまだ足りなかったんだな。
「すいません、もう笑いません」
「気にするな。笑ってもいいよ」
俺に遠慮せず笑いたいならいくらでも笑えばいいさ。俺なんて笑いものにふさわしいからな。
「涼馬さん、そのキスマーク、中条会長がつけたものですよね」
「っ……ま、まあ……」
まあ、つばきちゃん視点だと楓ちゃんしかいないよな。俺にキスするような女の子は。
「事故とかじゃないですよね。キスマークがたくさんあるし、明らかに故意にキスしてますよね」
「……あ、ああ……」
このキスマークがあまりにも動かぬ証拠で、何も言えることはない。
「中条会長がキスするってことは、やっぱり涼馬さんは中条会長と本当に結婚する関係ってことですか?」
「……そ、それは……」
そうだったな。楓ちゃんが全校集会で結婚するとか子どもをいっぱい産むとか言っちゃってたもんな。
つばきちゃんのこの問い、前にも聞かれた。あの時はそんなに追求してくることはなかったが、キスマークいっぱいな顔してりゃ今回はそうもいかないよな。
「涼馬さんは中条会長との関係を友達って言ってましたけど、絶対違いますよね。たくさんキスをしてる時点でどう考えても結婚を前提にお付き合いしてるとしか思えないですよ」
「…………付き合っては、いないよ」
楓ちゃんとの関係は、ペット。
俺にそれ以外の価値はない。今は特に確実に。
「そうなんですか? 涼馬さんも中条会長のことが好きで、中条会長も全校集会で涼馬さんを愛してると言っていたじゃないですか。違うんですか?」
「それは違くはない、けど」
「違くないのに付き合ってないんですか? 付き合ってもない殿方にキスしちゃうような女なんですか、中条会長は」
「楓ちゃんがふしだらとかそういうわけじゃないんだ。楓ちゃんは何も悪くない、すべて俺が悪いんだ。
俺に楓ちゃんと付き合う資格はない。今のままでは絶対に付き合っちゃいけない。俺が変わらない限り、楓ちゃんとお付き合いするなんて許されないんだ」
そう、変わらなければいけない。
仮に今のまま楓ちゃんと結婚するとしたら、楓ちゃんにゴミを押しつけるのと同じなんだ。それは失礼極まりない。
これから先どんな結果になろうとも、俺は変わらなければいけないんだ。
「……? 何かあったんですか。というか何かやらかしたんですか涼馬さん」
ヤバイ、ちょっとしゃべりすぎたな。雲母のことはつばきちゃんには関係ない。これ以上は話す気はない。
「……いや、まあ、とにかくいろいろ事情があるというか、とにかく俺が悪いんだ」
「へぇ~……とりあえず、中条会長とまだ付き合ってないってことでいいんですよね?」
「え? ああ……」
「だったら早いもの勝ちでもいいですよね?」
「……は? え、何が? どういうこと?」
つばきちゃんが言った『早いもの勝ち』というのが全然わからなかった。
「涼馬さんが中条会長と正式にお付き合いしてるのであれば、いくら失言癖のある私でもさすがに言わないでおこうと思ってたことがあるんですが、そうでもなさそうなので言いますね。
実は私も、涼馬さんのことが好きなんですよね」
「―――!?!?!?」
思ったことをなんでもハッキリと言ってしまうつばきちゃんの性格。
その性格の彼女から言われた言葉はずっしりと重みがあって、衝撃が大きかった。
な……なんで今……今朝、雲母と再会したばかりのこのタイミングで……
雲母なのか楓ちゃんなのかで揺れている今、つばきちゃんまで入ってきて俺の心はカオスを極めた。
なんということだ。俺が優柔不断なせいでつばきちゃんまで巻き込んでしまった。
俺が楓ちゃんを選んで正式にお付き合いしていればつばきちゃんもこんなこと言い出すこともなくすべて丸く収まったのに、俺のせいで……
「最初はこの学校に男性がいるなんてめずらしいな〜、くらいにしか思ってなかったんですけど。
話してみるとけっこう楽しいなって思って、私のようなぼっちと友達になってくれて、すごくいいなぁって思うようになりました」
……男がめずらしい……
そうだ、この学校、この環境。男がいない世界だった。男は俺しかいないんだ。
もしかして、男が俺しかいないから俺を好きになったのではないのか? 俺に魅力があるとかそういうことでは断じてないのではないか? 他に男がいなくて俺しか知らないから俺をあまりにも過大評価してるだけなのではないか?
恋は盲目とはよく言うが、まさかここまでとは……
一時の気の迷いだよきっと。そうでなきゃ俺なんかを好きになるなんてありえん。
やっぱり元カノのことを話そう。二股かけてる最低野郎だってことをつばきちゃんにわからせてやろう。つばきちゃんの目を覚まさせてやろう。
初恋の相手が俺なんてかわいそうだ。あとで絶対に黒歴史になるヤツだ。
俺はつばきちゃんに事情を話した。
7年付き合ってた彼女がいたこと、その彼女にフラれたこと、どん底の俺を楓ちゃんが救ってくれたこと。楓ちゃんにお世話になってるのに元カノにずっと未練があること。
今朝元カノと再会したこと。元カノにヨリを戻そうって言われたこと。
楓ちゃんと元カノ2人とも好きで選べなくなっていること。これらを話した。
楓ちゃんのペットになっているということだけはやはり話せない。楓ちゃんと2人だけの秘密だ。
「なるほど、2人の女の子が好きで選べなくて悩んでるんですね。オトナの男性ってなかなか刺激的な恋をしてるんですねぇ」
「俺は全然大人じゃないけどな、トシだけ食ってていつまでもガキだ。中学生とかならともかく、成人した男がこんなにウジウジしてるなんて恥晒しにも程があるだろう。つばきちゃんもそう思わないか?」
「別にいいんじゃないですか、2人とも好きでも。
フラれてもずっと未練があるってことは、元カノがそれだけ大切だったってことですよね? そう簡単には吹っ切れなくても仕方ありませんよ。その元カノが再び会いに来たというのなら迷ってしまうのも仕方ないことです。
一方で、恩人である中条会長のこともすごく大切にしてるのもわかります。
確かに二股は最低ですけどね、涼馬さんはちゃんと真剣に考えてくれているじゃないですか。どちらの女の子も大切な涼馬さんの気持ち、私は否定しません」
「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、とにかく俺はやめとけ。俺なんてつばきちゃんに好かれる価値なんてないから」
「さっきからずいぶんと自分を卑下してらっしゃいますね。たとえ涼馬さんが言うことでも私は認めません。
誰を好きになろうと私の勝手だし好きになる価値があるかどうかは私が決めます。何があっても涼馬さんを好きになったこと、後悔はしませんよ」
「…………」
つばきちゃんは優しい。ハッキリ言う性格で人にダメージを与えることもあるけど、こういう時裏表のない人の言葉はスーッと効く。
優しいからこそ、つばきちゃんの言葉が嬉しいからこそ、なおさら俺のことを好きになるべきではない。
俺はフイッと彼女から目を背けてモップ掛けを再開しようとするが、つばきちゃんに肩を掴まれた。
「涼馬さんっ」
「なんだ……もう俺に構うな」
「せっかくだから、私のことも好きになってみませんか?」
「なっ……!?!?!?」
俺はつばきちゃんから目を逸らすはずだったが、つい振り返ってつばきちゃんの顔を見てしまった。
そこにはクスクスと妖艶に微笑むつばきちゃんの姿がそこにあった。楓ちゃんもよくこの表情をする。俺が好きな表情。つい視線が惹きつけられてしまう。
「な……何を言ってる! 俺が二股かけてるクソ野郎ってことがわかっててなんでそんなことが言えるんだ!?」
「どうせ2人好きなら、3人好きになっちゃっても大して変わらないんじゃないですか?」
「何をバカな……迷惑かける子をこれ以上増やしてどうすんだ」
「今すぐに決めろとは言いません。どうです? もしよかったら私のことも考えてみませんか? ってことです」
考えてみませんか、とか言われてもな……
つばきちゃんは恋愛対象外なのか? という問いを俺の心にしてみるが。答えを出すのに時間は全然かからなかった。
いや、そりゃあ、対象外なわけないだろ。こんなに可愛い女の子が対象外な男なんてほとんどいないだろ。
それに今のつばきちゃんは体操服姿なわけで、刺激的な格好で……
短い短パンからスラリと伸びる生足とか、二の腕とか、控えめな大きさではあるが確かにそこにある胸の膨らみとか、一度意識してしまったらずっと意識してしまう。
つばきちゃんを女として意識してしまう煩悩が心の底から浮き出てきて、俺はすぐにその煩悩をぶん殴って心の奥底に沈めた。
「涼馬さんの悩みを増やして負担をかけてしまうのはわかっています。でも、今の涼馬さんとてもスキだらけですよ。このスキに入り込まないなんてすごくもったいないと思ってしまいましたから」
「っ……いいから俺はやめとけって! 後悔するぞ!」
「しないって言ったじゃないですか」
「……忠告はしたぞ……」
俺は今仕事で忙しいんだ。モップ掛けを再開する。早くしなきゃと思い、スピードも速める。
「あっ、待ってくださいよ涼馬さーん!」
つばきちゃんもそれに追いかけてきた。今までで一番楽しそうな声色だった。




