元カノと再会しました
俺が延々と停滞していても、時間の流れは止まってはくれない。
こんな最低な中途半端な状態でも、学校に行って仕事の役目を果たさなければならない。
こんな状態で女子校に行っていいのか。一番女子校に入れちゃいけないタイプの男だろう。
そんなことを考えていても、学校に行かなくてはならない。それが仕事だ。
家の門の前で、制服姿の楓ちゃんと一緒に車の準備ができるのを待つ。
「涼くん、ずっと浮かない顔してるね。何か悩み事?」
「っ……」
自分では隠しているつもりであったが、楓ちゃんは気づくだろうとは思っていた。
悩み事というか、ただの最低なワガママだ。これだけは絶対に言えない。楓ちゃんを傷つけたくないから。いや、それは言い訳だ。怖くて逃げてるだけだ。今の甘い生活を失う可能性が怖いんだ。
「おじい様に何か言われた?」
「っ!」
「あ、図星かな」
もちろん賢三さんにも言われたが、自分で自分自身が許せない自分の問題だ。
「おじい様は厳格でせっかちなところがあるから今の私たちの関係に思うところはあるだろうけどさ、私は今のままでも幸せだから。そばに涼くんがいてくれる、それに勝る幸せなんてない」
「……楓ちゃん……」
「そんなに焦らないで。慌てずにゆっくり、じっくりでいいんだよ。私もキミに合わせてゆっくりと歩んでいくから」
楓ちゃん、本当に優しいな。
その優しさがさらに俺の罪悪感を強くするけど、やっぱりどうしてもその優しさに甘えてしまう。甘えるわけにはいかないとどんなに強く思っていても、ずっと甘えていたくなる。それが楓ちゃんの愛。
慌てずにゆっくり、じっくりか……
慌てずにゆっくりじっくり考えてみたら、そもそも俺の悩みってさ、雲母と復縁できることが大前提の悩みだよな。
楓ちゃんと主従関係を続けてヒモみたいな生活をしながら、バレないようにこっそり雲母とヨリを戻して付き合う。そうなって初めて俺は最低になる。自分を憎むなら実際にそうなってから憎めって話。
で、そうなると思っているのか? そんなことがあると本気で思っているのか俺は。隕石が落ちてくる可能性の方がまだ高いんじゃないのか。
俺が一方的に雲母を好きなだけで、雲母の方はもうとっくに俺に愛はなくて俺を捨てている。雲母の中では俺とのことは完全に終わっている。
雲母はとっくに俺のことなんか忘れていて、好きな人とよろしくやっている可能性が高い。
そんなんで2人とも好きで選べない、二股してて最低だなんて悩んでいる俺のバカっぷりがハンパじゃないな。ヨリを戻せる可能性がないなら二股もクソもないだろ。
そう考えるとなんだかムカついてきたな。雲母は俺を忘れているのに、なんで俺だけ覚えてなくちゃいけないんだ。
俺も、意地でも雲母のことなんか忘れてやりたい。俺を捨てやがったあんな女、一日でも早く記憶から消去したい。
賢三さんには怒られるだろうが、ゆっくり時間をかけて、今すぐには忘れられないけど、少しずつ雲母を忘れていくしかないんだろうな。
まあ、それじゃあ振り出しに戻るということで今までと何にもやってることが変わらないけどさ。
忘れよう。大丈夫、いつかはきっと忘れられる。
昔とは住んでる地域も違うし、どうせもう会うことはないだろう。会わなければ、そのうち忘れられる。だから大丈夫。
やっと、ようやく、自分の気持ちに区切りをつけられたような気がした。
―――ブーン……
……ん? なんだ?
車の音?
車がこっちに来る。中条家の送迎車ではない。こっちに来る車もかなり高級そうな自動車であるが、中条家の車はもっともっと高級車だ。
だいたい車の色も違う。いつも乗せてもらってる送迎車ではない、あの車はなんだ? なんでこっちに来る?
その車は、中条家の門の前に止まった。
「楓ちゃん、この車は……?」
「さあ、私も知らないな。ウチに何の用だろう……ウチに来客がある時はちゃんと連絡があるはずなのに、そんなの聞いてないし」
楓ちゃんも知らない。俺たちは車を待ってはいたがこの車ではない。
スモークガラスになっていて中はよく見えない。誰が乗っているのか外からはよくわからない。
運転席のドアがガチャッと開いた。
俺はビクッと硬直し、楓ちゃんは警戒して身構えた。
ドアが開いた瞬間、運転席に座っていたのは女性だとわかった。
赤のハイヒール、短めのタイトスカート。全体的にオシャレな服装。
ん……? この服装、どこかで見たことあるような……でも服装が似たような人なんていくらでもいるし、気にすることでもないか……
その女性は、楓ちゃんより少し背が高くて、黒髪のショートカットで、サングラスをかけていた。
……黒髪のショートカット……雲母と同じ髪型……
……待て待て、さすがにそれは……ないだろう……ないよな……?
いや、俺の脳はこの時点で、目の前の女性が誰なのか理解していた。理解した上で、それはないと必死に否定していた。
そんなわけが……そんなわけない。あいつがここに現れるわけがない。違う違う。
女性はサングラスを外した。
切れ長の目、長い睫毛。俺の脳が正しかったことを証明した。
「―――雲母……?」
目の前にいる女は間違いなく、俺の元カノ、高井雲母であった。
7年付き合ってきたんだ、見間違えるはずがない。人違いなんてことは絶対にないと言い切ってやる。雲母。雲母だ。
なぜだ。なんでここに……? ここは楓ちゃんの家の前だぞ。雲母がここに来るはずがない……!
ここにいるわけがないと思っても、俺のすべてがこの女は雲母だと断言していた。なんでここにいるんだと思ってもいるものはいるんだ。
「―――涼馬……」
切れ長の目で俺を見た雲母は、俺の名前を呼んでフッと微笑した。
わずかに口角が上がった赤い唇。俺の想い出と怖いくらい一致する、雲母の唇。
「雲母……? なんで……!?」
「涼馬、会いたかったわ」
ギュッ!
「ッ!?!?!?」
雲母は、俺に抱きついてきた。
久しぶりの元カノの感触。何度も抱いてきたからちゃんと覚えている感覚。それが今この瞬間存在した。
―――雲母に抱きつかれた瞬間、ここだけが、真っ暗な闇の世界に包み込まれたような気がした。
天気が悪くなったわけじゃない。外は快晴。しかしこのいい天気にあまりにも似合わない黒く暗い空気が、この周りだけにあった。
真っ暗な闇の世界。俺はこの世界を何度も経験している。
楓ちゃんだ。楓ちゃんの中にある世界。楓ちゃんの心の中を映すような闇が、楓ちゃんの身体から溢れ出していた。
俺は雲母に抱きつかれた瞬間チラッとだけ楓ちゃんを見たが、チラッと見ただけでも怖気が止まらなくなるような負の感情が、楓ちゃんを取り巻いていた。
今までの真っ黒な瞳よりもさらに真っ黒な、この世で最も黒いかもしれない、楓ちゃんの瞳があった。
緩やかな風でふわりと舞う金髪と相性が良いのか、闇の瞳の圧倒的な美しさを際立たせていたが、それが何よりも恐ろしかった。




