6 夜風
だだっ広い玉座の間に、魔王たる俺の笑い声が響き渡る。
高々と、そしてけたたましく。
一頻り笑い声を上げてから、何とかそれを収めた俺は、傍らに立つ金魂絶鋼侯へと語り掛ける。
「おぃ、金魂絶鋼侯よ!
壖土侯、ジメジメちゃんってとんでもなく上手い具合にやり遂げたじゃねーか!」と。
相も変わらず堅物の金魂絶鋼侯の野郎は、「はぁ……」と溜息を漏らしてから、こう言葉を返す。
「ここまで上手く事が運ぶとは想像もしませんでしたよ。
精々、遠くからチマチマと攻撃を加え、申し訳程度の成果を挙げて帰ってくるものとばかり……」
俺は「フン!」と鼻息を噴き出し、それからこう告げる。
「ジメジメちゃんはなぁ、真面目なんだよ。
それでな、歴代の壖土侯の中でも最強なんだよ。
アイツさ、もう冗談かってくらいに美人だろ?
魔王軍の中でも最高の美人だよ。
そんでよ、性格だって陰気で優しいだろ?
あんなのが古戦場に行こうものなら、敵味方なんて問わず、その地の死霊は狂喜乱舞してアイツの下僕になるんだよ。
まだ陽も落ちてないのに三百匹の死霊を喚び出したのには震えたね!
あれはもう、大変な才能だよ」と。
金魂絶鋼侯はまたも溜息を漏らしてから、今度はこう問うてくる。
「樹隗候が力を貸したようですが、これもお判りだったのでしょうか?」と。
俺は「クククッ!」と笑いを漏らしてから答えを返す。
「樹隗候がな、ジメジメちゃんに惚れてるのはバレバレなんだよ!」と。
依然としてピンと来ていない様子の金魂絶鋼侯。
堅物はこれだから困るんだよなぁと心中でボヤいた俺は、こう種明かしをする。
傍に控える肌も顕わな淫魔の侍女どもを指差しながら。
「この淫魔ちゃんたちが教えてくれるんだよ、誰が誰を好きですってな」
俺の身近に仕える淫魔どもは、所謂『赤い糸』ってものを見ることが出来るらしい。
四魔侯どもには月に何度か挨拶に来させているけれども、樹隗候がジメジメちゃんを好いていることは奴の様子を見ていた淫魔が教えてくれたのだ。
なお、ジメジメちゃんとしても満更では無いらしい。
俺としても、何も色好みだけでか弱い淫魔どもを傍に仕えさせている訳では無いのだ。
勿論、淫魔どもには奴ら本来の奉仕もさせてはいるのだが。
先程の様を改めて思い返していた俺だったが、またしても笑いが込み上げる。
一頻り笑い声を響かせてから、荒い息にて金魂絶鋼侯へ話し掛ける。
「でもよ、あの触手責めはホンットに最高だったな!
姫神官ちゃん、大変なことになってたな。
あんなにも鮮やかに触手責めを決めるだなんて、樹隗候もジメジメちゃんも最高だよ!
いやぁ、実に素晴らしいぜ!」
笑いを収めようとするのに必死な俺に対し、金魂絶鋼侯は相も変わらずクソ真面目な調子にてこう語り掛けてくる。
「しかし、勇者一味の『威力偵察』としてはこの上無く素晴らしい成果でしたな。
一味それぞれの力量は把握できましたし、連携する様も確認できました。
姫神官の奥の手も分かりましたし」
大きく頷いた俺は、こう言葉を返す。
「あの連中な、戦闘の途中でほとんど話をしてなかっただろ?
でもよ、すごく上手い具合に連携が取れてただろ。
あれって絶対に何か変なことやってるぜ」と。
納得したかのように大きく頷く金魂絶鋼侯。
「まぁ、勇者一味も今回の件で相当に参っただろうよ。
ジメジメちゃんがもうちょっと我慢してれば夜になり、そうなれば全滅の可能性だって十分にあった訳だし、それに自分たちの手の内を明かしてしまったことも分かってるだろうし」
俺の脳裏に賢者の顔が浮かぶ。
相当に聡い奴ならば、今回の件が相当にマズいことは十分に理解しているだろう。
それ故、当分の間は攻勢も控えることだろう。
その間、俺は奴らが再び攻め寄せて来た時に備えて魔王軍を鍛え直すこととしよう。
そして、今回の功労者のジメジメちゃんにはタップリと恩賞を与えることにしよう。
当面の間、可愛い可愛い幻骨竜を温泉に連れて行くのには困らないくらいの恩賞を。
ニヤリと笑った俺の顔を、金魂絶鋼侯がさも心外そうな表情をしてチラチラと見遣っている。
随分と失礼な奴だなと思った。
俺はこんなにも部下思いなのに。
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月明かりが照らす中、幻骨竜の背中に跨がった私は屋敷への帰途に就いていた。
夜風がゆるりと頬を撫でる。
その感触は、何とか無事に事を終えたことの感慨を深めるように感じられた。
勇者の剣先がまさしく私の身体を捉えようとしたその時だった。
樹隗候さまが私の首に掛けて下さったペンダントから突風が吹き出して、眼前に迫っていた勇者たちを退けてくれた。
そして、ペンダントの紐は太い蔓草となって神官へと襲い掛かり、彼女を捕えて宙空へと吊り下げた。
その結果、彼女が造り出した結界は解除されたのだ。
そうなれば、私にだって抗う術は幾らでも在った。
辺りに眠る死霊たちを喚び起こして勇者たちへと差し向ける。
突然に地面から湧き出た幾多の死霊たちを、勇者たちは辟易した様にて退けようとしていた。
更なる強力な死霊を喚び起こそうとしたその時だった。
屋敷で静養していた筈の幻骨竜が唐突に飛来して、勇者たちと戦い始めてくれたのだ。
かつては邪竜と怖れられていただけあって、幻骨竜の攻撃は熾烈極まりないものだった。
炎や氷、そして雷を帯びた吐息を激しく吹き付けると共に、長く太い尻尾を力任せに叩き付けた。
それまでの戦いで相応に疲弊していたであろう勇者たちは、這々の体で引き上げて行った。
逃げ去る途中、勇者は神官を縛り上げていた蔓を必死になって斬り裂いて、彼女を何とか救い出したのだ。
一目散に逃げて行く彼等を追おうかと思ったけれども、家臣たちが必死になって引き留めたこともあり、それは止めた。
私自身も相当に疲弊していて、もし深追いしていたら逆襲を受けていたかもしれないのだ。
あの神官にしても弱った素振りを見せておいて、何らかの逆襲を講じている怖れもまたあったのだ。
私は幻骨竜の肩甲骨へと頬を押し当てる。
ひやりとした感触が伝わり来たけれども、それは無性に心地良くて、安堵の念を呼び起こすものだった。
家臣たちが駆る馬車が夜道を駆け行くのが遙かな眼下に見えた。
皆、無事で良かったと改めて思った。
そう言えば、つい先程に魔王様からご連絡を頂いた。
右手に嵌めている赤い宝玉の指輪は四魔侯達に与えられている、魔王様と会話するための魔道具なのだ。
魔王様は暫しの間、高らかな笑い声を響かせてからこうお告げになられた。
今回の働きは実に天晴れであったと。
期待していた以上の働きぶりであり、実に見事であったと。
そして、存分に恩賞を与えてやろうと。
その額を聞いた私は、まさしく度肝を抜かれた。
幻骨竜を幾度も温泉へと連れて行くことの出来るような莫大な額だったのだ。
幻骨竜の背に横たわる私は、ゆるゆると微睡みつつあった。
幻骨竜が元気を取り戻せることがこの上無く嬉しかった。
そして、樹隗候さまと再びお話出来ると考えると胸が高鳴るようだった。
勇者の刃が私に迫りつつある刹那に響いた樹隗候さまのお声は、涙が出そうな程に有り難たかったのだ。
その感謝をしっかり伝えなければならない。
そっと、樹隗候さまが下さったペンダントを握り締める。
ひんやりとした感触は火照りつつある心を揶揄うように思えてしまった。
ヴァスチン火山の温泉に行く時に樹隗候さまをお誘いしようかとの考えが心に浮かぶ。
その時、樹隗候さまはどんな顔をするのかと想像すると、柄にも無く心が熱を帯びるようだった。
【完】