5 決着
妾はただ呆然としていた。
目を皿のように見開いて、呼吸すらも忘れるようにして馬車から現れた女性に見入っていた。
その女性は、信じ難い程に美しかったのだ。
背はすらりしていて、魔族の中でも長身の部類であろう燕尾服の者よりも高かった。
体型は痩せ気味ではあるものの、胸や腰、そして脚は豊かで優美な曲線を描いていて、完璧としか言いようのないフォルムだった。
その身体にはピッタリとした黒いドレスを纏っていて、陶器のように白く、ふくよかな胸元を大きくはだけさせていた。
漆黒の長い髪の毛は艶やかで、夜の河面を思わせるような滑らかさだった。
その顔は、例えようも無い程に美しかった。
長い睫毛に縁取られた切れ長の目はこの上無く優美な曲線を描いていた。
その中に在る赤い瞳は、心の中へスルリと忍び入って来るかのような蠱惑的な光を湛えていた。
左の目尻の下には小さな黒子が在った。
顔は白磁のように上品な白さを湛えていて、その形はほっそりとしているものの決して痩せぎすな印象を与えるものでは無かった。
鼻梁は絶妙とも言える高さであって、その顔の造作をより優美なものに見せていた。
女性が纏う雰囲気もまた印象的だった。
哀しみを湛えているようでありながらも、慈母のような暖かさもまた秘めているように感じられた。
妾は賢者さまの言葉を思い出す。
『至高の死霊使い、それは至高なる美女である。
麗しき容色で以て孤独なる死霊の魂を蕩けさせ、その意のままに操る』
女である妾でも瞬きすら忘れて見入ってしまうくらいだから、死んでしまって顧みられることの無い死霊達なら、喜んで彼女に従うんだろうなと納得できる思いだった。
その女性は歩みを進めて馬車から降り、地面に敷かれた赤絨毯の上へと降り立つ。
歩む様も、馬車から降り立つ様も、まるで音を感じさせなかった。
只管に優美で、そして静寂に満ちていた。
赤絨毯へと降り立った彼女は、その右手をスッと挙げて妾たちへと向ける。
白くほっそりとした指、赤く塗られた爪、赤く大きな宝石を嵌めた指輪が目に入る。
あぁ、美しいなと思った。
血のように赤い空や漆黒の馬車、その情景の中に佇む黒と赤とを纏った妖艶な女性。
これが地獄なのかもしれない、そう思った。
【今だっ! 頼む!】と、勇者さまの呼び掛けが心へと響く。
妾はハッと我に返る。
そして。
心の力のありったけを込めるようにして祝詞を唱え始める。
今までの勇者さまの苦闘を思い出しながら。
涙を零した時の思いを蘇らせながら。
勇者さまへの想いを今一度噛み締めながら。
祝詞が終わりへと近付くにつれ、妾を取り巻く世界が光へと包み込まれ始める。
妾を中心として光の輪が地面へと刻まれ始める。
視界の彼方では、馬車から降り立った女性が狼狽の色を見せていた。
ようやく祝詞を唱え終わった。
妾は跳び上がるようにして立ち上がり、聖杖を高々と天に掲げる。
そして、荒野は眩い光に包まれた。
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馬車から降り立った私を見詰めていた勇者一味。
彼等が浮かべていた表情を、私はついぞ忘れることは無いだろう。
土埃で薄汚れた姿の彼等は、唖然とした表情を浮かべつつ私を見遣っていた。
姫である神官すらも、呆然とした様にて私を見詰めていた。
まるで呼吸すらも忘れているかのようにして。
私は彼等を見据える瞳へと力を込める。
私の赤い瞳は、死せる者を服属させる力を秘めている。
それは魂を縛る力であって、未だ魂が肉体へと結び付いている生者に対しての効き目は薄い。
けれども、少しの間なら金縛りのように動けなくすることなら出来る。
彼等が身動き出来ぬ間に辺りに眠る死霊たちを喚び覚まし、一挙に勇者一味を屠ろうと考えたのだ。
けれども、私の目の縛めは勇者には効かなかったようだ。
勇者は凜とした眼差しで私を睨み返してきた。
そして、小さく呟いたように見えた。
すると、しゃがみ込み呆然とした表情でいた神官は我を取り戻し、何かを一心不乱に唱え始めた。
狼狽した私は、心中にてこう呟く。
あの神官、戦えぬ状態ではなかったのか、と。
神官の詠唱が進むにつれ、勇者一味の周りは仄かな白い光に包まれ始める。
地面には複雑な文様が光で描かれ始め、その範囲はどんどん増して行く。
神官を起点として、波紋が静かに拡がり行くようにして。
そして、光の文様はたちまちのうちに私達の足元にまで達してしまった。
「シェルフィドーラ様! この場は引きましょう!」と家臣の呼び掛けが耳へと飛び込んで来る。
狼狽に満ち満ちた声音だった。
声に促されるようにして、私は馬車へ戻ろうとする。
けれども、まるで地面に縫い付けられたかのようにして私の足は動かなかった。
神官が勢い良く立ち上がる。
そして、右手に携えた杖を天に向けて高々と翳す。
私の視界が光で塗り潰され、固く縛られたたかのように身動きが取れなくなってしまった。
心中にて樹隗候さまの言葉が蘇る。
『ジメジメちゃ~ん、無理しちゃ駄目だからね!』との言葉が。
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勇者さまたちが押し寄せる不死者どもを必死になって退けている間のこと。
戦えぬ素振りをして地面にしゃがみ込んでいた妾は、自分を起点とした結界を密やかに辺りの地面へと刻みつつあったのだ。
この荒野の何処からか妾たちを見詰めているであろう凄腕の『死霊使い』に気取られぬようにして。
地面の下へと精密に糸を張り巡らせるようなその作業は、心を削られるかのように集中力を要するものだったし、その所為で妾は疲れ果ててしまっていたのだと思う。
馬車の中から現れた女性に心囚われるような様となっていたのも、疲れ果てていた故だったのだろう。
けれども、その苦労の甲斐は十分にあったようだ。
祝詞を唱え終わって結界を発動させると、馬車から現れた女性も、共に現れた魔族たちも、指先ひとつ動かせぬ様と為り果てていた。
これは、我がアウグスタ皇国に伝わる『聖縛結界』を、旅の最中にて妾が独自に改良してきたものだった。
この結界に囚われた魔族は身動きひとつ取れなくなってしまうし、この結界が発動している場所へ足を踏み入れることすら出来ない。
そして、この結界が発動している範囲内では不死者を出現させることも出来ないのだ。
身動きが取れなくなった女性こと、四魔候の一角である壖土侯・シェルフィドーラ。
彼女の瞳が妾を見据え、赤く輝いたように思えた。
心が粟立つような思いがしたけれども何とか耐える。
この『聖縛結界』は、発動させた妾の集中力が途切れると解除されてしまうのだ。
【ありがとう! ホントに凄いね、この結界!】と、勇者さまが念話で語り掛けてくる。
【いえ、勇者さまが私を護って下さったお陰です】と返す妾。
結界を維持すべく集中しながらも、妾の心は安堵で満たされつつあった。
勇者さまが無事でいてくれて本当に良かった、と。
正直、実に危険な賭けだったと思う。あのまま延々と不死者の群れに攻め続けられていたら危なかったかもしれない。
陽が落ちて夜となっていたら『死霊使い』の力は更に増していただろうし、全滅してしまう危険すらあったのだ。
けれども、まさにギリギリのところで妾たちの策は成功したのだ。
【よし、止めを刺すぞ!】と、勇者さまが呼び掛ける。
そして、三人は身動きが取れぬ壖土侯・シェルフィドーラへと歩み寄って行く。
勇者さまたちを見遣る妾の心は、歓喜で満たされつつあった。
魔王直属の重臣たる四魔候。
それを討ち取れることは、百年に及ぶ魔王軍との戦いの中で最大の成果と言って良いのだろう。
人間界の歴史に名を刻む偉業であることは間違い無い。
仮にこの先において魔王を倒せぬにしても、勇者さまは比類無き強者として尊ばれ続けるに違いない。
そうなったら、妾の願いも実現へと大きく近付くのだろう。
妾はもっと満たされるのだろう。
安堵と歓喜、そして悦楽への期待で心が満たされつつあった妾。
ふと、草木のしっとりとした薫りが漂い来たように感じた。
訝しく思って辺りを見遣ったけれども、赤茶けた荒野には相も変わらず草一本たりとも見当たらなかった。
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白い光に身を縛られた私は、何とかして身体を動かそうと試みる。
けれども、指先すらも動かすことは叶わなかった。
瞳だけが辛うじて動かすことが出来た。
私は神官を見据え、その心を縛ろうとする。
恐らくだけど、あの神官の意識を奪うなどしたら、この忌々しい結界を解くことが出来るのであろう。
魂の力を振り絞るようにして彼女を見据える。
例え生者と言えども、力を込めて見据えれば意識を朦朧とさせるくらいは出来る筈だった。
けれども、恐るべきことに神官は耐えてしまったのだ。
きっと長年に渡って修練を重ねてきた身なのであろう。
勇者どもがゆっくりと歩み寄りつつあるのが見えた。
油断無く周囲を見遣り、慎重に地面を踏み締めながら歩み来る。
私の心を後悔と絶望が満たしていく。
辛うじて動く瞳にて空を見遣る。
赤く染まった夕空は夜の気配を濃くしつつある所為か、黒の色合いを含みつつあるようにも見えた。
それは、私がこれから夥しく流すであろう血の色を思わせた。
生温い風が吹き抜ける。
まるで何者かが私の愚かしさや浅ましさを嘲笑っているかのようにも感じられた。
あぁ…、私が勇者の刃に斃れてしまったのなら、樹隗候さまはどんな反応を示すのだろうかとの考えが脳裏を過ぎる。せっかくの忠告に耳を貸さなかった愚かな女だと嘲笑うのかもしれない。
魔王さまからの恩賞に目が眩んだ浅ましい女だと蔑んでしまうかもしれない。
勇者どもは私の眼前まで歩み来ていた。
その剣を青眼に構えた勇者は、私に向けてこう呼び掛ける。
「四魔候が一人、壖土侯シェルフィドーラ殿!
大儀により討たせて頂く。
ご覚悟!!!」
私はこの時、涙を流したかったんだと思う。
私の愚かさや浅ましさが悔しくもあった。
幻骨竜に跨がれぬことが哀しくもあった。
樹隗候さまと語らえぬことが寂しくもあった。
けれども、私の目から涙は流れ出なかった。
神官の結界の縛めは、私の涙腺にも力を及ぼしているのだろう。
せめて、目を閉じるくらいの慈悲は欲しいなと思った。
自分の胸が勇者の剣で貫かれる様を見たくはなかった。
勇者が剣を振り上げたその時だった。
ふわりと緑の薫りが漂い来た。
聞き覚えのある柔らな声が耳へと響き入る。
「ジメジメちゃんったら~!
無理しちゃ駄目だって言ったでしょ?
ホントに困るんだけどさ~!」
揶揄うような声音が響くと共に、胸元のペンダントから緑の薫りを乗せた疾風が吹き出した。
そして、ペンダントの紐であった蔓草がその太さを唐突に増し、猛烈な勢いにて伸びて行った。
辛うじて動く眼で以て、私は蔓草が伸びゆく先を見遣る。
そこには陶然とした表情を浮かべる神官の姿が在った。
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それは余りにも唐突で、予期など全くしていないことだった。
緑の葉を茂らせた何本もの蔓草が、身動き取れぬシェルフィドーラの身体から妾に目掛けて真っ直ぐに伸びて来たのだ。
躱すことすら儘ならぬ凄まじい速さにて。
蔓草はスルスルと妾の身体に巻き付き行く。
気が付くと、妾の身体は巻き付いた蔓草によりって宙に高々と持ち上げられていた。
妾は藻搔き、蔓草の縛めから逃れようと試みる。
けれども、妾を縛り上げる蔓草はいつの間にかその太さを増していて、手や脚を強く締め付けていた。
身動きすら自由にならない妾は両腕を掲げるような姿にて吊り上げられつつあった。
濃厚な花の薫りが漂い来る。
その薫りは、妾の意識をぼんやりとした霧の中へと包み込むように思われた。
妾は頭を巡らして薫りの元を見遣る。
そこには赤くて毒々しい色を湛えた花が幾つも咲き乱れていた。
妾は焦点を失いつつある目にて勇者さまの姿を探し求める。
勇者さま達の眼前には何体もの不死者が現れて、一斉に襲い掛かりつつあった。
あぁ……、結界が失われてしまったのだと妾は悟った。
勇者さまたちの上に、大きな影が舞い降りつつあるように見えた。
意識も芒としつつある妾は、衣装の裾や隙間から蔓草が忍び入りつつあることを感じていた。
忍び入る蔓草は樹液を纏っているようであり、ヌルリとした感触が肌に伝わって来た。
樹液が肌に拡がるにつれ、妾の身体から力は失われて行くようであり、肌の感覚は鋭敏になりつつあるようだった。
蔓草は妾の肌の上を這い回り、身体は知らず知らずのうちに火照り震えつつあった。
何時の間にか、荒い喘ぎ声が喉の奥から迸りつつあった。
朦朧としつつある意識の中、妾の脳裏に去来するのは勇者さまとの睦事だった。
妾は旅の最中、勇者さまに純潔を捧げた。
皇女たる者が、いかに勇者とは言えども身分違いの者に身を捧げることなどあってはならぬことなのだ。
ましてや妾は『斎女』を継ぐ身。
『斎女』は純潔なる身でなくてはならないのだ。
もしも妾がこのまま皇国へと還り、純潔を喪った身であることが露見したのなら、如何なる仕打ちを受けるのか知れたものではない。
申し訳程度の金子を与えられて国から放逐されるかも知れぬ。
宮城の奥底へと閉じ込められ、生涯をそこで過ごさねばならぬのかも知れぬ。
けれども、妾は『斎女』となる宿命なぞ受け入れたくはなかったのだ。
蔓草は次々と妾の衣装の隙間から押し入りつつあるようだった。
身体から力はとうに失せ、肌はぬらつく蔓草により撫で回されつつあった。
「あぁっ!」と吐息が口から漏れ出る。
敏感さを増しつつある肌にとって、肌の上を蔓草が這う様は、勇者さまの掌や指の感触を思い起こさせるものだった。
妾は『第三皇女』という産まれが恨めしくてならなかった。
二人の姉上様は壮健であり、妾が女皇となる望みなどまるで無かった。
然れど、二人の力は平凡そのものであって、妾には遠く及ばなかった。
一番上の姉上様はその身に何事も無ければ女皇を継ぐのであろう。
二番目の姉上は、何処ぞの国の王子などに嫁ぎ、王妃として尊ばれる生を送るのであろう。
然れど、妾は『斎女』として務める運命にあったのだ。
『斎女』に就いたのなら、四十歳を過ぎるまで最高神殿の中で身を慎んで生きて行かねばならない。
恋することも叶わず、街を気ままに歩くことも叶わず、自由に旅することすら叶わない。
その宿命が疎ましく、恨めしくてならなかった。
何とかして『斎女』としての宿命から逃れたかった。
そう願っていた時だった、勇者さまがアウグスタ皇国を訪れたのは。
勇者さまを一目見た時、世に稀なる傑物であることを妾は悟った。
そして、こう考えた。
いずれはこの勇者さまと夫婦になろう。
共に魔王軍と戦い、華々しき成果を挙げよう。
勇者の妻としての威光を以て、姉上様たちを押し退けて女皇の座を手にしよう、と。
蔓草に肌を撫で回される妾の意識は混濁の度合いを増しつつあった。
この場所が荒野なのか、それとも勇者さまとの閨なのかも判然としなくなりつつあった。
妾は何時しか勇者さまの名を呼びつつあった。
妾の身体に触れて良いのは勇者さまだけなのだ。
旅の最中、妾と勇者さまの仲は緩やかながらも深まりつつあった。
互いが想いを抱き合っていることが分かった時は、例えようも無く嬉しかった。
けれども、勇者さまは妾との関係が一線を越えることを酷く怖れていた。
それは至極当然のことだったのだろう。
皇女たる身分の者と閨を共にすることなど、勇者と言えとも普通の身分の者としてはあってはならぬことなのだ。
そして妾は『斎女』となる身。
その身を穢したとなれば、苛烈な罰を受けることは避けられぬのだ。
けれども、妾は焦りを抱きつつあり、それは旅を続けるにつれて深刻なものになりつつあった。
旅の最中に立ち寄る街々にて、勇者さまは大変な歓待を受けていた。
魔王軍と戦って華々しき成果を挙げつつあるのだから当然と言えば当然だろう。
悩ましいことに、歓待する街の有力者の中には、己の娘を勇者さまに娶せようとする者が往々にして見受けられたのだ。
自分の娘が勇者の妻となれば、それは一族の名を高めることになろう。
また、街に勇者が留まることになれば安全は担保されるのだから、そう考えることは当たり前なのかもしれない。
けれども、それは妾からしたら在っては為らぬことなのだ。
街娘風情に勇者様を取られるなど許される訳など無いのだ。
ある夜のこと。
思い詰めた妾は勇者さまの寝所へと忍び入った。
眠りに就こうとしていた勇者さまの前にて一糸纏わぬ姿となった妾は、乞うようにして愛を迫った。
純潔を捧げさせて欲しいと涙ながらに訴えた。
勇者様は大いに戸惑い、思い直して欲しいと頼み込んで来た。
そんな勇者様に対し、妾は切々と胸の内を訴えた。
アウグスタ皇国の宮殿で初めて出逢ったその時から、勇者さまを只管に想い続けていたと。
共にジャマタヴォルグを討ち果たした時、これまでに無い高揚感を味わうことが出来たと。
女皇の許しを得て共に旅を始めた時、どれほどに嬉しかったかと。
共に旅する最中で絆が深まり行くことが、この上無く幸せであったと。
こんなにも勇者さまのことを想っているのに、街々にて娶せる話を耳にすることが途方も無く苦しいのだ、と。
この旅が終わったら夫婦となりたい。
だから、妾との絆を確かなものとして欲しいと。
その夜、妾は勇者さまと結ばれた。
純潔を捧げたその夜から、妾と勇者さまは幾度と無く閨を共にしてきた。
勇者さまの欲も熱も、妾の身体はしっかりと覚えている。
手を握り合うだけで身体の奥が勇者さまの熱を思い出すようであって、堪らない気持ちとなってしまう。
蔓草に身体を弄ばれながら、妾は譫言のように勇者さまの名を叫び続けていた。
妾の肌を撫でているのは勇者さまの掌だと思いつつあった。
肌は敏感さを増し、身体の奥の熱はいよいよ高まりつつあるようだった。
身体がビクンと痙攣した。
蔓草は妾の身体を隈無く撫で回し、妾の全身を強烈な痺れが走り抜けたように感じた。
妾は身体を捩らせてから一際大きく勇者さまの名を叫ぶ。
身体を幾度も震わせた妾は、遂に我を喪った。
手足を縛り上げていた蔓の力が急に失せたように感じた。
蔓から解き放たれた身体が、すっと落ち行くように思えた。
気が付くと、妾の顔を勇者さまが覗き込んでいた。
どうやら、妾は勇者様に抱き抱えられているようだった。
「あ…、あれ?」と、朦朧とした口調で勇者さまへと語り掛ける。
「良かった…、この場は引こう!」
そう告げた勇者さまは、妾を抱き抱えたままで駆け始める。
勇者さまにかき抱かれたまま、妾は辺りをぼんやりと見遣る。
賢者さま、そして戦士さまも勇者さまと並んで駆けていた。
安堵の念を抱いた妾は、勇者さまにかき抱かれたままで再び我を喪った。