ep83 漆黒の悪魔
虎狼の里を救うべく決断したあと、俺たちは一気に動き出した。
先ずは里に住まう者たちを一刻も早くフォーレに送ることだ。
今に至っては着の身着のままでも致し方ない。
いつ硫化水素の被害が出るか分からないなか、少しでも早く安全な場所に避難することが最優先だ。
そのため里の者たちには、急ぎ里を出る準備を整えてもらう傍らで、フォーレでも受け入れ準備を整えてもらわなければならない。
俺は直ちにゲートを開くと緊急を告げる鐘を鳴らし、バイデルかアリス、又はマリーを呼び出してもらう傍ら、ガモラとゴモラの解体屋にも使いを走らせた。
彼らは常に解体する過程で出た臓物や血を、直ぐには処分しない。血は下水に流すが、下水の最上流に位置する彼らは、ちゃんと時間をわきまえつつ、小出しで流しているからだ。
そのため血を並々とたたえた樽が、彼らの店には幾つか用意されている。
使えない臓物は基本的に焼却処分するか、俺が狩場まで運び撒き餌として使うかのどちらかだ。
そうこうしている間に、フォーレ側からマリーが飛び込んできた。
「リーム、指示をお願い!」
すぐに何かあると察したマリーは、余計な質問など一切しない。
「これから三百人以上の獣人を一時的にフォーレに避難させる。受け入れ場所も取り合えずは宿や仮設で構わないので、一時的に預かる手配を頼む」
「分かったわ。受け入れ場所については大丈夫、既に里の人たちを受け入れる準備を進めているから、個室は無理だけど屋内で眠れる場所はあるわ」
「ただそのうち三十人は負傷者なので、移送させるために力自慢の者を此方に送ってほしい。
手配が整えば、誰かは里側の入り口に立ち誘導を!
ガモラかゴモラには『廃棄物』を運べるだけ運んでもらい、最後の段階で四畳半に搬入を!」
「リームが鐘を三連で鳴らしていたから、戦士団も手の空いている人から集まってくると思うの。
私は一度ゲートの外に出て、集まってくれた人へ説明してからまた戻ってくるわ」
そう言ってマリーがフォーレに戻ると、数分でまた戻って来た。
「フォーレ側にはアリスが居るので任せて大丈夫。
今レパルさんが戦士団を動員して担架を三十人分用意しているわ」
「助かる、それでかれら彼らを運ぶ段取りだけど……」
「運搬は二人体制で向こうに十五組が行ってフォーレ側へ運び、ゲートの出口で十五組が待機しているので受け取ります。これなら二往復で全員を運べます」
「里の人々の誘導は?」
「負傷者以外はレノアが元採集班を率い、受け入れ場所まで案内します。
担架を担当した里側の三十人は、負傷者の移送が終われば里からフォーレに荷物を運ぶ支援を、フォーレ側の三十人がそれを受けて引き継ぎます。
他にも人手は集まりつつあるので、その辺はアリスに任せて大丈夫よ」
「……」
「あと、カールが何人かの力自慢を率いて解体屋に走っているので、移動が終わるまでに廃棄物も揃います」
ははは、あまりに完璧すぎてびっくりした。
俺からは何も言うことはないな。
それらを告げるやいなやマリーは、十五組三十人の担架部隊を招き入れ、虎狼の里へと消えていった。
そこからは一気にことが進んだ。
体感時間にして一時間ちょっと?
そんな短時間で歓喜に沸く里の獣人たち全てが移動し……、いや、長老と代表者の男のみ残り、残りは避難が完了した。
「じゃあ……、貴方たちはいいんですね?」
「もちろんじゃて。全てを貴方様に任せて逃げたともなれば、儂らはフォーレの皆さまに顔向けできんからな。
それに儂がおらなんだら、そもそも奴らがどこにおるかすら分らんじゃろう?」
長老が笑って言った言葉に、代表の男も無言で頷いた。
二人とも……、それなりに覚悟を決めた目だな。
あとは戦うだけだ。
唯一水に効く魔法を最大火力で放って!
◇
俺は長老から案内された湖の岸辺に出ると……。
まず、地魔法で大地を穿ち、幅五メートル、深さ二メートルの程度の水路を掘り、五十メートルほど陸地に引き込んだ所まで水路を掘削し、完成したあとは湖側の関を破って水を水路に引き込んだ。
次に、念のため水魔法で出した水に岩塩の粉を投げ入れ、高速で攪拌させてできた塩水を水路に流し込んだ。
おそらく湖の水も純水ではないし、薄い塩水とは言え、これで何とか電気も通るだろう。
そして最後に、解体屋から運びこまれた樽一杯の魔物の血や臓物類を、水路の行き止まり部分に沈めた。
ゆっくりと血は水路に広がり、周囲の水の色を赤く染め始めた。
これで準備は全て整い、あとは待つだけだ!
ここで俺は、長老たちを少し離れた高台の安全圏に避難させた。
あれ? そう言えフェリスはどこに行った? 迂闊だったな……。
そう思った時には、いつの間にかフェリスは俺のすぐ後ろにいた。
「グルルルッ」
唐突にフェリスが湖に向かって低い唸り声を上げ、全身の毛を逆立てたとき、変化は突然襲ってきた。
「あっ、アースウォールっ!」
フェリスのお陰で咄嗟に反応できた俺が、水辺に向かい土壁を展開するのと同時に、無数ともいえる水刃、水魔法による水流の刃が襲ってきた。
「くっ……」
詠唱と同時にしゃがみ込んだ俺の前で、鋭利な鎌の様な水刃は不気味な音を立てて土壁に深く食い込み始めた。
俺はなんとか防御に成功し深傷は負わなかったものの、たった一回の攻撃で土壁はぼろぼろになってしまった。
「嘘だろ? カリュドーンの突進さえ受け止め、びくともしない土壁だぞ……」
俺は思わず愚痴をこぼさずにはいられなかった。
上位種ともなれば使ってくる魔法も天威魔法クラス、その強さを改めて思い知らされた。
しかもこの時点で奴らは水の中に潜み、俺からはまだ視認できていない。
姿を隠したままで魔法によるアウトレンジ戦法か?
なかなかに狡猾で用心深いだけでなく、奴らの水魔法の威力も侮れないものがあった。
そのうち水路にゆっくりと波紋が広がり、何かが此方に向かって進んで来るのが見えた。
一匹か? もう一匹はどこだ?
「!!!」
俺はフェリスが向き直った四十五度ほど右手の岸辺、そこからの異変を感じ咄嗟に風圧で飛びのいた。
その瞬間、猛烈な勢いで放たれた水の槍?が俺の元いた場所を突き抜け、土壁を粉々に粉砕して後方の木々まで打ち砕いていた!
「ちっ! 一匹が罠に掛かったと見せかけて、油断したところを側面攻撃かよ! どんだけ狡猾なんだよ……」
愚痴を吐きながら俺は、どうにかして自分を落ち着けようと試みてみたが……。
まだ防戦一方、此方からは何もしていない状態なのに、全身から汗を滴らせて荒い息を吐いていた。
この時点で俺は、奴らに戦いを挑んだことを後悔する気持ちに苛まれていた。
形勢が悪いな……、逃げるか?
いや! そもそも俺はまだ戦ってすらいない。
せめて奴らに一矢報いてからでも……。
「???」
そんなことを考えてふと足元を見ると、いつの間にか湖の水が押し寄せており、既に踝より上の位置まで水に浸かっていた。
水が? 何故だ?
湖の水位が上がったとでも言うのか?
高低差があるので、水路以外で水がここまで来るはずがないのに……。
そう考えている間にも、まるで高潮のように水が押し寄せ続け、いつの間にか俺の膝上ぐらいまで水位は上がり、更に水かさは増えつつあった。
「くそっ!」
不利を悟った俺は、近くの大木の上に飛び上がると湖に向かってゲートを発動し、フェリスを抱きかかえて中に飛び込もうとした。
それと同時に、俺の左右から無数の水刃が飽和攻撃の形で襲い掛かってきた!
「まじかよ! これじゃあ罠に押し込められているのは俺のほうじゃん!」
正直言って木の上に逃げたのは悪手だった。
本当なら逃げ場を無くした俺は、左右から飛んでくる水刃の飽和攻撃を浴び、樹上で切り刻まれていたに違いない。
だって……、俺が登っていた大木は今や跡形も無く切り刻まれており、俺自身も四畳半に飛び込む過程で風魔法を使い防御していたものの、服は何ヶ所も切り刻まれて身体には幾つもの裂傷を負っていた。
そしてゲートは……、木の無くなった空中で虚しく陸側に向けて入り口を開いていた。
一方、俺を追い詰めて止めを刺すことに成功したと思っていたのに、突然姿を見失った二匹は戸惑っているようだった。
これまで奴らはずっと水中に姿を隠していたが、今は巨大な漆黒の影が水面に浮かび、周囲を窺っている様子が四畳半の中から見てとれた。
「今だっ!」
俺は本来なら違う形で使う予定だった最大火力の雷魔法を、咄嗟の判断で使用した。
「雷神の権能、大地を穿つ至高の槍となり、昏き世界を焦がす震電と化せ。貫け! 雷の神槍っ!」
雷属性天威魔法の最上位レベル、神威魔法に勝るとも劣らない威力を持った雷の槍は、漆黒の悪魔たちに突き立った!
と同時に、奴らは不気味な叫び声と共にエビぞりになって巨体をくねらせて暴れだし、周囲には盛大な水しぶきが跳ね上がった。
「ちっ、これでも致命傷にならないのか? どんだけ硬いんだよ……」
だが戦いの場は、既に奴らに都合の良い戦場ではなくなっている。
のたうち回る彼らの周囲からは急激に水が引き始め、奴らはその巨体を泥濘の上でくねらせながら大口を開けて苦しんでいた。
「今だっ!」
俺は四畳半から躍り出ると、奴らの正面に高速移動して連続攻撃を放った。
「土槍っ! × 2 炎槍っ! × 2」
奴らが大きく口を開けた中に、高速で飛翔した石と炎の槍が飛び込んだ。
喉から内臓を貫く不気味な音とともに、二体の上げる断末魔の叫びがこだました。
「死を司どる神の権能、罪深き者に振り下ろされる無慈悲なる鎌を顕現させよ、断罪の刃っ!」
そして俺は、止めを刺すために最大火力の風魔法を一体に放っていたが……。
ふと見ると、もう一体も似たような魔法を受け首元から見事に切断されていた。
もう一人の仲間によって……。
いや……、俺が放った風刃は魔物の首を八割がた切断していたが、フェリスが放った方は完全に切り離していた。
明らかにフェリスの方が威力は上だ!
しかも……、フェリスが止めを差した方が明らかに体躯が大きい。
ってかさ……、やっぱり風魔法も使えたのか?
思い出してみれば、移動の時もフェリスは風魔法を使っていた気がするし、逆に俺を支援してくれていた気も……。
では何故、初めて見た戦いで使わなかったんだ?
これだけの威力があれば、ケルベロスに対し独力で十分に勝てたと思うんだけど……。
そんな思いに駆られながら、まるで『褒めて褒めて』と言いたげにじゃれ付いて来たフェリスの毛並みを撫でながら、俺の身体はフェリスの放った暖かく優しい光に包まれていた。
かくして『漆黒の悪魔』と言われた水属性上位種の魔物との戦いに、俺は辛くも勝利した。
多分……、フェリスの援護がなければ、対戦してすぐに不意打ちによって深手を負い、無様に負けていたと思うけど……。
俺はここで自身の目論見が甘かったことを思い知らされ、改めて身震いした。
そのあと俺は、首と尻尾を切断することで二体を無理やり収容して、遠くから戦いの趨勢を見て震えていた二人と共にフォーレへと戻った。
いつも応援ありがとうございます。
次回は8/1に『三度目の世界での再会②』をお届けします。
評価やブックマークをいただいた方、いつもリアクションをいただける皆さま、本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。




