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ep78 過去への追憶(シェリエ)

ガーディア辺境伯家が正式に認めた三人の妻の中で、もっとも立場の弱い男爵家出身の妻には息子と娘、二人の子供がいた。

確か息子の方は長兄に次いで早く生まれたため、今の俺より八歳年上の十九歳。

娘のシェリエは嫡出子のなかでは最年少で、俺より三才年下で現在は八歳だ。


ルセルに対し偏見と並々ならぬ敵愾心を抱いていた彼女は、当時の俺を『妾の子』と周囲に憚らず蔑んでいたが、ある事件から『お兄さま』と呼び敬愛するよう、ものの見事にアンチ反転した。


「確かあれって……、今から四年後か?」


そう呟いた俺の心は、過去にあった未来の出来事へと飛んでいた。



◇◇◇ 二度目の人生 ルセル・フォン・ガーディア 十五歳



その頃は、トーゥレに領主として追いやられて以降行った、様々な改革が功を奏し統治も軌道に乗ってきたころだ。

俺の関心は新たな産業の育成と魔の森の開拓、そして疫病対策に移っていた。


疫病対策については、既に先行してエンゲル草の採集に手を打っていた。



ひとつ、採取者たちの悪習だった『剪定』を禁じ厳罰を定めた。

ひとつ、『採取人』という専門職を設け、正しい知識を学び許可を得た者以外が採取することを禁じた。

ひとつ、採集人となることを希望する者には、知識を学ぶ術と教える人間を用意し、門戸を開いた。

ひとつ、指定箇所以外での売買を禁じ、流通を統制することにより、偽物であるイビル草の排除を進めた。



これらの仕組みは既に成果を見せ始めていたが、まだ動き出したばかりだ。

そのためこの時点では、なんとか確保できているエンゲル草の備蓄は限られ、大規模な疫病発生を抑えるにはまだ十分な量ではなかった。


そこで二の矢として、俺は転生者の知識から疫病の対処方法、感染拡大防止に向けた『防疫』をこの世界に周知し、取り入れるよう努めていた。


ただ……、その一環として周知していた『隔離』が、他地域では思わぬ弊害をもたらしてしまっていた。


それはまるで、コロナ禍にある国で起こった出来事にそっくりだった。

感染者の発生でヒステリー状態になった周囲の人々が、感染者の出た家の玄関に釘を打ち、外に出られないようにして社会から隔絶させたという、あの忌まわしい光景だ。


本来は感染拡大を防ぐための『隔離』が、感染者と家族を社会から『排除』する動きに変化してしまったのだ。



そしてある日……、事件は起きた。


「ルセルさまっ! 領都に疫病流行の兆候が報じられておりますっ!」



慌てて執務室に駆け込んできたバイデルの言葉に、俺は呆然となった。


「ど……、どうして?」


本来なら疫病はトゥーレのような辺境域で発生し、それが徐々に領都方向に広がるものだ。

それがいきなり領都方面から感染が広がることは、通常なら考えられない話だった。


俺は決断に先立ち、確認すべきことをバイデルや居並ぶ文官たちに質問した。


「トゥーレ近隣の感染状況は?」


「まだそのような報告は受けておりません」

「念のため教会には遣いを走らせましたが、そちらでも異常はないようです」


『ならば……、運悪く感染した者が領都に入り、そちらで先に感染が広がったと言うことか?』


疫病に感染した商人などの交易に従事する者や旅人や流民が、離れた地域に疫病を飛び火させることはある。


「先ずはトゥーレ一帯に警戒警報を! バイデル、現時点でのエンゲル草の確保状況はどうなっている?」


「トゥーレを始めとした一帯、ルセルさまの統治範囲内なら備蓄がそれなりにあります。なので乗り切れるかと思いますが……、その他の地域には……」


「くそっ! まだ足らないか……」


ここで俺は厳しい決断をせざるを得なかった。

自領の安全を最優先し、他のガーディア辺境伯領一帯を見捨てるか……。

それとも危険を冒してまで自領の『保険』を放棄するか……。


「ならやることは一つだ!

ひとつ、備蓄を開放して領都の感染に対処する。

ひとつ、全ての採集人を動員して採取の強化を!

ひとつ、採集範囲を一時的に魔の森まで拡大する!

これには駐留軍を動員して採集人の護衛に当てる。ここからは時間との勝負だ! 救える命は一人でも多く救うぞ!」


「「「はっ!」」」


俺たちは辺境伯領全体を救うべく、直ちに動き出した。

だがこの時点で俺は、領都に住まう母違いの兄や妹たちの窮状を知らなかった。



一報を受けたあとも、俺の元には矢継ぎ早に凶報が続いた。


「感染はそれなりに身分のある者にも広がっています!」

「感染が広がりパニック状態となった領都では、誤った『隔離』が蔓延しております!」

「感染者は『病』ではなく、その家族とともに『飢え』で亡くなっているとか……」


「くそっ、俺が中途半端な知識を与えてしまったせいで、間違った対処に繋がってしまったか……。

直ちに救援部隊を編成し俺も領都に出る!」


そう言って俺は、大急ぎでトゥーレを出発した。



◇◇◇ ガーディア辺境伯領都



ここにとある貴族一家が、疫病により最後の時を迎えようとしていた。

ことの発端はこの家の長男(辺境伯家全体でみれば次男)だった。


ガーディア辺境伯家では、長兄が辺境伯位ブルグを継いで既に七年が経過していた。

そのため後継者の長兄と同じ伯爵家の母から生まれた者以外、子爵家や男爵家出身の母親から生まれた嫡出子たちは辺境伯の館を出て、それぞれの母親と共に郊外の別宅に住まうよう追いやられていた。


男爵家の母親から生まれた男児は、辺境伯家では次男の立場だが、嫡出子のなかでは母親の身分が最も低く冷遇されていた。


「本来なら俺こそがブルクを継承して然るべきだったのだ! 奴とはたった一年の差ではないかっ!

何を取っても俺に劣る兄が、ブルグとなる道理がなかろうっ!」


兄弟の中で最も野心が大きかった彼は、自身の生まれを呪いつつ、そう言ってはばからなかった。

それが一層、長兄が彼を冷遇する理由となったことも知らずに……。


冷遇され何の役職も、そして騎士爵程度の爵位すら与えられなかった彼は、ただ暇を持て余して酒色に溺れて堕落していった。

本来なら、その聡明さでブルグの右腕たることを周囲から期待されていたにも関わらず……。


ブルグから冷遇され家臣からも腫れ物のように扱われた彼は、当然のことながら縁談の見込みすらなく、鬱憤と若さを持て余して昼間から娼館に入り浸りとなった。


そして……、そこで疫病に感染した。


だが彼は体調の異変を自覚しながら、それを誰にも告げず変わらぬ遊興にふけっていた。

ここで社会から『隔離』されれば、それこそ自身の未来は『もう終わり』となると考えていたからだ。

既に彼は『終わっている』のだと気付くこともなく……。


結局のところ彼の感染が周囲に発覚したのは、瀕死の重症となってからだった。


「なんだとっ!」


目障りな弟の疫病感染を知った辺境伯ブルグは、半分驚愕、半分は喜びの声を上げたという。


今の素行はどうあれ、能力的には優秀で将来に禍根を残しかねない次弟、そして優秀すぎると評判で三属性ドライエッグの魔法士である末妹、彼らを『永遠に排除』して憂いを除く格好の大義名分を得たからだ。


「直ちに奴の屋敷を封鎖し『隔離』を行え! 感染の疑いがある者、つまり屋敷に住まう者は使用人も含めて例外なく(・・・・・)一人たりとも外に出すな! これはブルグとしての命である!

この命に背く者は疫病を蔓延させた罪を問い、極刑に処すものとする!」


「で、ですがそれではご兄弟まで……、それにトゥーレからは。エンゲル草が届くかもしれないとの報告も……」


「私は兄弟の安全よりも、辺境伯領に住まう民の安全を優先する! これこそが統治者の責務であろう!

それにまだ届いておらんものを期待してどうするか! 届いたとしても数が足りんわ! この街だけで何人の領民が居ると思っているのだ!」


家臣たちの進言も、この大義名分で封殺された。

もっとも、この男が領民に貴重なエンゲル草を民衆に分配するとは、誰も思っていなかったが……。



◇◇◇ 二度目の人生 ルセル 十五歳 領都



俺がやっとのことで準備を整え領都に辿り着いたのは、辺境伯である長兄の命が徹底されてから三日間後だった。

そこで初めて俺は、兄と妹、そして義母の窮状を知った。


「ばかな! ブルグが自ら誤った対処の見本を見せてどうするんだよ!

バイデル、率いた部隊の対応は任せるから、俺と直属兵のみで封鎖された屋敷に突入する!」


「で、ですがルセルさまっ、ブルグは命に背いた者を極刑に処すと……」


「そうだ、俺も命には背けない。なので入るだけだ。出なければ命には背くことにはならない。

治療が完了すれば、感染の疑いもないので堂々と出ればすむことさ」


そう言って俺は直ちに行動した。

無理やり兵を率いてバリケードを排除して敷地内に突入すると、歓喜に沸く使用人たちに救援物資の治療薬と食糧を配布し、そのまま布で口元を覆い屋敷内へと足を踏み入れた。


次兄は既にこと切れていたが、この時点でかろうじてシェリエとその母親は命を長らえていた。


「あんた……、馬鹿なの? なんで……、わざわざこんな、ところまで……」


高熱で苦しんでいたシェリエが途切れ途切れに、まるでうわ言のようにやっと発した言葉は、俺に対する非難の言葉だった。


「安心しろ、特効薬を持ってきたからきっと助かる。今の時点で生き残っている者は全員な。

一応俺も家族だからな、助けるのが当たり前だろう? まぁ……、家族とは未だ認められていないけどね」


そう言って俺は苦笑するしかなかった。


「ほんと……、馬鹿ね……、誰がアンタなんかに……」


そう憎まれ口を叩いたシェリエの目元には、止めどなく涙が零れていた。



それから一週間経った。


俺の宣言通り、俺たちの到着時点で生き残っていた屋敷内の感染者は全て快方に向かい、念のためエンゲル草を服用していた俺たちからも、新たな感染者は出なかった。


「お兄さま、今日はすごく気分が良いです。少しお庭を散歩してもいいですか?」


「……」


そうなんだ。あれ以降妹は、俺のことを『アンタ』から親愛を込めて『お兄さま』と呼ぶようになった。

以前はあれほど敵愾心を抱いた目で俺を見ていたにも関わらず、今は上目使いに見ながら甘えてくるし……、俺はどう対処したらいいんだよ。


「お兄さま?」


「ああ、無理は禁物だからね。今は体力を失って体が衰弱している。外に出るのはいいけど、無理しないよう短時間だよ。ほら、俺が支えてあげるから」


「ありがとうございます。私は優しいお兄さまが大好きです!」


「???」


屈託のない笑顔で話す妹に、俺は混乱して返す言葉を失っていた。

アンチが百八十度反転すると、ここまでなるのか?


「私はずっとお兄さまを気にしていましたよ。今も昔も。ただ以前はちょっとねていただけです」


いや……、拗ねていたというより、敵意剥き出しだったじゃん!

まぁ……、今の方が俺も全然嬉しいけどさ。


俺は苦笑しながら妹の手を引き、中庭へと散歩に連れていった。


そして突入してから十日後、俺たちは晴れて全員が屋敷を出た。

俺の腕に縋りながら、満面の笑みを浮かべていた妹を見たとき、バイデルはちょと顔を引き攣らせて固まっていたけどね……。


うん、俺もその気持ちは分かるよ。

俺だってまだ妹のアンチ反転に順応できていないんだからさ。



◇◇◇ 三度目の人生 リーム 十一歳



あれがシェリエと俺の始まりだったな。

そのあと彼女は、自分たちを見捨てたブルグに対して迷うことなく『廃嫡願い』を出すと、あっさり貴族身分を捨てた。


そして平民の立場となって母親と共にトゥーレへと移住して来た。


その後の彼女は俺の仲間に加わって共に戦い、いつしか魔法兵団を率いる四傑のひとりとして、俺を支えるかけがえなのない存在になっていったのだけど……。



さて、今のルセルはどう動く?


彼女の未来を考えても、ルセル側に付かせることは得策ではない。

まして、長兄の元でも碌なことにはならないだろう。


俺もやっと彼女とお友達にはなった。だがこの先は……、どうする?


俺は未来に向け、新たな思案を巡らせていた。

いつも応援ありがとうございます。

次回は7/17に『未来への布石③』をお届けします。


評価やブックマークをいただいた方、いつもリアクションをいただける皆さま、本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。

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