ep6 新しい目的
三歳の出来事以降、俺はこれから生きていく目的を大きく変えた。
孤児院の格差社会をただ生き延びるのではなく、アリスを救うこと、そのために孤児院そのものや教会を内側からぶっ壊すことに。
ただし、そうするにも幾つもの段階を踏まねばならない。
今の俺はないない尽くしの無力な孤児に過ぎないのだから……。
何の力もないひ弱なたった三歳の子供。
(力が欲しい、でも俺は今、役に立たないゴミスキルしか持っていない)
何の資金も持っていない。
(下世話な話だが世の中まずはカネだ)
何の後ろ盾もない。
(考えはある。だがその前に……、力とカネが必要だ)
俺はそれらをどう解決していくか、大人たちの前では日々仮面を被りながら、密かに反逆の第一歩を踏み出す機会を窺っていた。
◇◇◇ リーム 四歳
今の俺にできることは限られている。
最終的に孤児院をぶっ壊すが、ただ壊して終わりではなく、そこからまた新たに始まるのだ。
それまでに孤児たちを養っていける資金、その先も守っていける力、集めた資金を背景に後ろ盾になってくれる人物が必要となる。
あれ? なんか……。
いつの間にか孤児院の未来まで背負っているような気がするが、気のせいか?
先ずは最優先のアリスを救うことだ。
今の段階で可能なことは、彼女を少しでも早く勤労待遇から中級待遇に昇格させ、更に上を目指すように導くことだ。
幸い彼女がとても利発で、機転が利く女性であることを俺は知っている。
そうでなければ商会長の意を汲んで俺を導くことや、それ以前に切れ者の商会長のお気に入りにすらなれないだろう。
素養は十分にあるのだ! ならばそれを大人たちに気づかせればよい。
あの日から俺は、寸暇を惜しんでアリスと一緒に居るようになった。
もちろん彼女に勉強教えるためだ。
幸い彼女は、地頭の良さをいかんなく発揮し、まるでスポンジが水を吸収するかの如く知識を習得して積み重ねていった。
そしてついにある日……。
「リーム、聞いてっ!」
アリスが息を弾ませながら走ってくると、勢いに任せて俺に抱き着いてきた。
もちろん、体格に劣る四歳児の俺が、七歳の彼女を受け止めることなどできない。
「あっ、てっ!」
見事に押し倒されてしまったが、よほど嬉しかったのかアリスは抱き着いたままだ。
まぁ……、七歳の少女に押し倒されるって、かなり複雑な気分だけどさ。
「やっとね、私、お姉ちゃんになれるの。今日先生に呼ばれて、私も中級待遇にるって!」
「!!!」
(とうとう来たか!)
これはまだ始まりだ。アリスにはもっと上を目指してもらう。
でもまぁ……、今は褒めるべきか。
「凄いね! アリスはずっと頑張ったもんね!」
そう言うと何故かアリスは口を尖らせた。
そして今度はドヤ顔になって笑った。
「アリスお姉ちゃん!」
「え?」
「私もリームと同じになったんだから、アリスお姉ちゃんと呼ぶの!」
あ……、そうか。
あの日から俺は、無意識にアリスを親しみを込めて名前で呼び、お姉ちゃんとは呼んでいなかったな。
アリスも教わる立場を自覚してから、子供ながらにずっと我慢していたのか?
「わかったよ、アリスお姉ちゃん」
「うふふふ」
お姉ちゃんと呼ばれ、アリスは凄く嬉しそうだった。
俺にとってはかなり複雑な気分だけど……。
「こら! 二人とも暴れないの。行儀悪いわよ」
先ほどアリスに待遇の昇格を伝えたであろう修道女が、俺たちを咎めてきた。
確かに……、見ようによってはアリスが俺に馬乗りになっているようにも見えるしな。
「アリス、貴方はすぐに院長先生にお礼を言いに行きなさい。これも大事なことよ。
それとリーム、貴方も別件で呼ばれているから今すぐ行きなさい」
「「はいっ」」
そう言われて、慌てて飛びのいたアリスとともに、俺たちは孤児院でのラスボスともいえる、院長先生の部屋へと向かった。
この院長先生と呼ばれた老婆は、俺が憎む歪んだシステムの甘い汁を吸っている頂点のひとりだ。
俺たちの世話を行い、教師役も兼ねている修道女たちは、元はといえば優秀な成績で孤児院を卒業した孤児たちであり、囲いの中で育ったために外の世界の常識を知らない。
だが、頂点に立つ院長や一部の大人たちは教会から派遣された者であり、この残酷な世界の確信犯だ。
そのため、ルセルとして俺が追放した者たちの中に、当然ながら彼女も含まれていた。
俺たちは丁寧にドアをノックし、ゆっくりと部屋の中に進んだ。
その先の机には、難しい顔をした老婆(院長先生)が座り、書類にペンを走らせていた。
「ほう……、アリスも一緒に来たのかい?」
「はい、院長先生にお礼を言いに来ました。ありがとうございます。
これからもお姉ちゃんとして、もっと頑張ります!」
「お姉ちゃん? ああ……、そういうことだね。神の恩寵に感謝しつつ精進して、これからもリームの面倒を見れるくらいに頑張るんだよ」
「はいっ!」
アリスはこの日一番の笑顔で、元気よく返事をした。
それにしてもこの人は、子供といえど容赦なく難しい言葉を使ってくる。
まるで『この様なことが分からない子供には用がない』とでも言いたげに。
アリスは……、分かったのかな?
返事は最後の部分にのみ反応した気がするが、まぁいいか。
「それでリーム、アリスもここにいるので丁度いいかもしれないね。
これまでずっとアリスに勉強を教えていたんだって?」
「はい、仰る通りです」
(ん、何の意図があってそれを聞くんだ?)
「リームはすごく教え方が上手なんです」
(いやアリス、余計なことは言わないほうが……)
「そうかい、今は教会でもリームは評判になっているからね。神童と呼ぶには飽き足らず、神の御子とまで言っている者もいるくらいだよ」
「ありがとうございます。敬愛する神の御子なんて僕には畏れ多い話ですが、神に仕える身として今後も精進を怠らないよう頑張ります」
(まぁ……、本心では敬愛なんて1ミリも抱いてないですけどね)
「ははは、四歳の子供がいっぱしのことを言うじゃないか。その通りだね、今のお前があるのも偉大なる神の恩寵さ。感謝の気持ちを忘れずに精進することだね」
「院長先生のお話しはこれからも胸に刻んでおきます。僕はただ読ませていただいた本の言葉を真似ているだけなので、実はいつも正しい言葉遣いができているか不安なんです。ただ、できれば少しでも先生たちに近づきたくて……」
(やばいやばい、今の俺って四歳だよな。やりすぎて訝しがられるのは不味いな)
俺がこれまでずっと、許可を取って本を読んでいる理由のひとつは、この言い訳のためだ。
こう言えば、怪しいと思われても何とかごまかすことができるだろうと考えていた。
「なるほど、少し安心したよ。学ぶのは良いがただ真似るのは注意が必要だよ。
言葉というものは難しいからね。時と場合によって意味をよく理解せずに真似ただけの言葉は、相手に誤解を与えたり、礼を失することになるからね」
そう言って俺をじっと見つめたあと、院長先生は大きなため息を吐くと言葉を続けた。
「アリスに勉強を教えた件も含め、日ごろの勉強でも優秀な成果を残しているお前を、教会は上級待遇にせよと言ってきている。四歳で昇格なんて前代未聞のことだし、私はまだ色々と問題があるから次期早尚と言ってやったんだけどね……」
「あ、ありがとうございます。一生懸命頑張ります」
(俺への呼び出しの意味はこれか)
俺がそう言ったとき、傍らに居たアリスは少し頬を膨らませていた。
やっと並んだと思ったのに、直ぐにまた追い越されたと思い拗ねているんだろう。
まだ彼女は子供だから、そういう抑制はきかないんだろうけどさ。
「まだ話には続きがあるよ。横のアリスを見てもわかるだろう。
他の孤児たちの手前もあるからね。話し合った結果、お前は五歳になってから上級待遇に移ることにする」
ちっ、アリスのやっかみは、それとは違うんだけどな……。
まぁいいか、俺もアリスを利用させてもらおう。
「はい、アリスお姉ちゃんの様子を見て僕もわかりました。五歳まで待つ意味も。
そこでお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「ふむ……、言ってごらん?」
院長先生は、少し面倒くさげに俺を見た。
だが直々に呼ばれることでもない限り、彼女と直接話す機会は早々ない。
なので俺は、こんなチャンスを逃がしたくなかった。
さて、ここからが俺が描いた未来のための第一歩、勝負の始まりだ!