ep5 過去への追憶(アリス)
孤児院出身のアリス、本名はアリュシェスという名で、俺より三歳年上の女性。
ルセル・フォン・ガーディアとして二度目の人生を生きた俺は、トゥーレの町で彼女と出会っていた。
決して忘れられない存在として……。
これは未来の話、いや、正確には過去(二度目の人生)で生きた俺の未来の話になる。
◇◇◇ 二度目の人生 ルセル・フォン・ガーディア 十七歳
その日俺は、どうしても繋がりを持ちたかった商人と商談の機会を得るため、彼と会うためには出向く必要があると言われた、トゥーレのとある高級娼館まで足を運んでいた。
この世界の娼館は、高級な部類に入るものは施設内に豪華なラウンジを併設しており、そこでは余裕のある身分の者たちが酒やゲームを嗜む、いわば社交場のような役割も果たしていた。
そして娼館で働く女性たちは、いわゆるホステスのような役割を演じ、客と酒を相伴しながら酒の相手を務めるシステムだった。
「ははは、娼館という看板を外せば、ここはまるで日本でいう高級クラブだな。
まぁ俺は……、日本でも『クラブ活動』には縁がない人間だったけど……」
初めてここを訪れた俺は、目の前に広がる華やかな世界、煌々と明かりが灯され贅沢にスペースを使って配置されたボックス席、羽振りの良さそうな男たちと艶かしく着飾った女性たちが談笑する姿を見て、思わず苦笑せずにはいられなかった。
日本でも自分の財布で、いわゆる東京の銀座や大阪の新地に出向くことなど、全く縁のなかった俺からすれば、どうも腰が引けてしまう世界だ。
できる限り挙動不審にならないように気を付けながら、ゆっくりとラウンジの中を回遊した俺は、なんとか意中の相手を見つけることができた。
ゆっくりと彼が座る席に近づくと、女性と共に酒を飲んでいた彼の横に立った。
「不躾にお声を掛けて失礼します。ご指定通り一人で出向いて来ましたよ。俺もご相伴させていただいてもよろしいですか?」
「悪いな、今はお楽しみ中……、って……、貴方は!」
彼は予想外のことに相当驚いたのか、持っていたグラスを落としそうになった。
そして半ば呆れたように大きくため息を吐いた。
「ってか……、まさか本当にこんな所まで来たんですかい?」
どうやら本気で驚いているみたいだな。
商談があると俺が使いを出した時には、その者に対して啖呵を切ったと聞いていたんだがな。
『俺は自分の流儀でしか商談はしない。話を聞いて欲しければ、商談に相応しい場所まで本人が出向いて来ることだな』
だからこそ俺は、その言葉を真に受けてこの場所まで来たんだが……。
「なぁに、せっかくアスラール商会の商会長自らご指定いただいた商談の機会だからね。
俺も社会勉強の一環と、貴方との商談に掛ける意気込みとして捉えてもらえれば嬉しい限りですね」
「いや……、供も付けずこんな所まで。貴方は噂通り、型破りのお方ですね。
難しい商談は酒の席で、これは俺の流儀です。今回は私の流儀にお付き合いいただいた訳ですし、謹んでお話を伺いましょうか」
そう言うと彼は、傍に座っていた女性に向き直った。
「アリュシェス、酒をもう一杯頼む。お楽しみはお預けだ」
そう言われた女性は、小さく頷いたあと席を立ち、俺に一礼するとどこかへ消えていった。
そして彼女の指示を受けたのか、すぐに給仕が酒の入ったグラスを持ってきた。
「酒は……、大丈夫ですかい?」
「まぁ嗜む程度には……、ね。言われた通り飲みながら話をさせてもらっていいかな?」
この世界で成人は十五歳、しかも未成年の飲酒を禁じる法などない。
なので俺は堂々と答えた。
「この町の領主様が俺の流儀に合わせてくれるとは驚きですが……、先ずは話を聞くだけです。商談はその後です。果たして貴方は俺の興味を惹かせることができますかな」
そう言うと彼は不敵に笑った。
それは当たり前の話だ。彼に興味を持ってもらうためにも、俺は事前に商談で伝える内容をしっかり準備してきた。
俺も日本人のころは、営業として商談やプレゼンは幾度となく経験している。
そう意気込んだ俺は、今まで行ってきた改革の成果を踏まえ、この先に行いたい改革のこと、それには彼に力が必要であり、力を貸してもらいたいと考えていることなどを理路整然と説明した。
もちろん彼の商会には、十分な利益を約束することも忘れずに……。
そんな俺の話を、ニヤニヤ笑いながら聞いていたアイヤール商会長は、まだ若いながらアスラール商会の会長として王国中に伝手を持ち、個人商会ながら規模の大きい大手商会とも対等に渡り合う、界隈ではある意味有名な男だった。
『ぼったくり、金には決して靡かない男、傲岸不遜、海千山千の強かな男……』
聞こえてきた噂に良いものは殆どない。ただしそれは、貴族や裕福な者たちが話していたものだ。
『筋の通った商売人、どこにでも伝手を持つ男、貧しい者の味方、義侠心に溢れ頼りになる男、確かな目利き……』
既得権益を持たない商人たちの中には、そう言って彼を高く評価する者たちも存在した。
辺境の町に暮らす者にとって、流通は死命を制するものであり、今ある既得権益を壊そうとしていた俺には、アスラール商会との繋がりはどうしても欲しいものだった。
俺が一通り話を終えると、アイヤールは笑いながらグラスを置いた。
だが……、俺を見る目だけは笑っていなかった。
「まぁ……、一通りお話は分かりました。しかし、まことに残念ながら全然足りませんね」
「???」
「分かりませんか? ならばそれが答えです。
俺の言葉が分かるようになれば、その時にもう一度お話しするとしましょうか」
そう言って彼は席を立つと、少し離れた場所に居た先ほどの女性と二言三言話した後、どこかに消えていった。
そして俺は、訳が分からないまま呆気に取られて席に残っていた。
その時だった。
「失礼します。よろしければお飲み物をお持ちしましたのでどうぞ」
呆気ない結末に呆然としていた俺は、声を掛けられて我に返った。
すると先ほどの女性が新しいグラスを持って俺の傍らに立っていた。
「ん? 俺は頼んでないけど……」
「こちらはアイヤール様からお客様にと言付かっております」
先ほどの二人の会話はそう言うことか?
だが……、彼の意図は一体……。
「良かったら一緒に相伴してくれないかな? ちょっと頭を冷やしたいと思っていたし」
「はい、喜んで!」
笑顔でそう言った彼女が優雅に座ると、すぐさま彼女にもグラスが運ばれてきた。
予め俺がそう言うと予想していたのかな?
改めてゆっくり彼女を見ると、艶のある漆黒の黒髪に艶やかな衣装、少し露出の多い服の下には雪のように白い肌をのぞかせていた。
それにしても綺麗な人だな……。
「えっと……、アリュシェス? さんだっけ?
アスラール商会の会長とは結構親しいんだ?」
「ふふふっ、いきなりのご質問ですね。
まずはご挨拶させてくださいね。私はここでアリスと名乗っていますので、ぜひ今後はそうお呼びくださいませ。アリュシェスは本名ですが、そちらで呼ばれるのはアイヤール様ぐらいですね」
なるほど……。
商会長の相手が務まるぐらいに、彼女も優秀ってことか。
それとなく答えた彼女の言葉には、俺の不躾な質問に対する答えが含まれていた。
おそらく商会長以外は彼女の本名を知らないのだろう。
逆に言えば商会長は、それを知っているぐらいには彼女と親しい、そういうことだよな?
「先ずはお寛ぎくださいね。先ほど『頭を冷やす』と仰っていたのには丁度良いかと」
アリスに促されて俺はグラスに口を付けた。
その途端、口の中にはすっきりとした酸味と共に、ほんのりとした甘みが広がった。
これは酒ではない、甘酸っぱい果実を絞ったものだ。
もしかして……、そういうことか?
「ははは、俺はまだ甘い飲み物が相応の、酒など飲むには早い子供ってことかな?
世の中の酸っぱさ(厳しさ)を知り、もう一度出直せ、と?」
そう言って俺は自嘲するしかなかった。
これが商会長の俺へのメッセージということか……。
「そうですね……、大前提としてひとつだけ申し上げさせてください。
あの方が商談の後、お相手の方に飲み物を指示されたことは、私の知る限り一度もありません」
え? どういうこと?
「では感触は悪くはないと?」
「はい、差し出がましいとは思いますが、あの方はいつもこう仰っておりました。
『俺が取引をする相手は、俺と等しい覚悟が必要だ。俺は命懸けで商いをやっているんだからな』と」
命懸けの覚悟か……。確かに俺の言葉にそれは無かったな。
俺は彼と取引を望むあまり、内容よりも成立が目的となっていた気がする。彼に対して誘いとなるようただ利だけを提示して……。
「それともう一つ。『ただぼったくるだけの相手なら、俺は客を選ばない』とも仰っていたような気がします」
そういうことか!
少なくとも俺は、ただぼったくるだけの相手ではない。
そう認識されていることを、彼女は暗に教えてくれているということか?
俺は彼に利を示すのではなく、自身の覚悟を示した上で彼にも覚悟を求めるべきだった。
今の時点では悪く言えば理想論、浮ついた夢を語っただけに過ぎないということだな。
「ははは、よくわかったよ。ありがとう」
(所詮は俺も商会長にとって、貴族のお坊ちゃまに過ぎないと言うことか)
それにしてもこのアリスという女性、商会長の意を汲んで俺にヒントを与えてくれている。
もっと彼女から彼の話が聞きたいな。
そう考えた俺は、彼女に丁重なお礼を述べた後、数杯の甘酸っぱい果実酒と彼女との会話を楽しみ、長居しないうちに社交場を後にした。
そしてこの日以降、俺は領主という身分を隠したまま、時間をみつけてはアリスがいるラウンジ、紳士の社交場に通い始めた。
もちろん、周囲の者には大反対されたが、決して上階(娼館本来の目的を果たす場所)には行かない旨を約束し、なんとか反対を押し切った。
何度か通ううちに、俺はアリスとも打ち解けて彼女の個人的な身の上話すら話してもらえるようになっていた。
・彼女は両親と死別し、幼くして孤児院に引き取られたこと
・弟がいたが、孤児院で亡くなったこと
・孤児たちが暮らす孤児院の過酷な環境について
・彼女は俺より三歳年上で、十五歳になったときに孤児院(教会)から娼館に売られたこと
彼女から話を聞き、俺は教会と孤児院の腐りきった現状を思い知らされた。
「少しでも他の子(孤児)たちのためになれば、そう思って私は自ら望んでここ(娼館)に来ました。
私がここで働くことで、少しでも子供たちが飢えて亡くなることのないようにと願って……」
「いや……、それは間違っている! アリスではなく教会や孤児院が……」
俺がそう言うと、アリスは寂しげに笑った。
「あの中に居たときは私たち孤児や、そこで育った大人たちも、皆がそれを普通だと思っていたの。
でも、外に出ると初めて分かるわ。そこがとても残酷な世界だったということを……。
それが分かった時にはもう遅いの……」
『くそっ、狂っていやがる。神の名を騙り救済というお題目の元、奴らだけが肥え太る仕組みがまかり通っている。これも全部……、何も知らなかった領主である俺の責任だ。ぶっ壊してやる! 絶対に、奴らをぶっ壊してやる!』
そう考えながら俺は、無意識にアリスを強く抱きしめながら震えていた。
やるせない怒りと、そして何も知らなかった自信の情けなさに気付いて……。
驚きのあまり一瞬だけ身体を固くしたアリスだったが、その後は優しく俺の背をさすってくれていた。
その感触が心地よく、俺が幼いころに亡くなった母に抱かれているかのような感覚に包まれていた。
この日……、俺は家臣たちとの約束を破りアリスの手を引いて上階に上がっていた。
翌日から俺は、教会と孤児院に対する改革を推し進めるため動き出した。
アリスを鳥籠の中から開放し、まだ救われていない孤児たちを救うため手段を厭うつもりはない。
鬼気迫る勢いで手を尽くしてみたが、元より様々な改革を並行して推し進める途上で多忙だった俺は、更に余計なことに巻き込まれて忙殺され、それこそ全く身動きがとれなくなっていた。
そのためしばらくはアリスに会いに行くことすら叶わない状況となっていた。
そして数か月後、やっとアリスの元を訪れた時には、流行り病によって彼女は誰も手が届かない世界に旅立った後だった。
その日俺は、恥も外聞もかなぐり捨てて社交場で思いっきり泣いた。
◇◇◇ 三度目の人生 リーム三歳
鮮明に浮かび上がった記憶に、俺は膝を付いたまましばらく呆然としていた。
自身の両目からは、止めどなく涙が流れ落ちるのも気にすることなく……。
「リーム? どうしたの、どこか痛いの?」
その声に前を見ると、アリスが心配そうに俺をのぞき込んでいた。
間違いない、あのアリスだ!
この黒髪、吸い込まれそうな黒い瞳、幼い顔立ちのなかにも、あの時(二回目)のアリスの面影が確かにあった。
そう確信した俺は、まだ幼いアリスに思わず抱き着いてしまっていた。
「よしよーし、痛くないよ。怖くないよ。お姉ちゃんはここに居るからね」
そう言いながらアリスは、優しく俺の背中をさすってくれた。
あの時のアリスと全く同じように……。
『今度は俺がアリスを守る。俺を弟のように可愛いがってくれる彼女を!』
俺はそう決心した。
今回の世界でもう一人の俺であるルセルが、教会や孤児院の改革に手を出すのを待ってなどいられるものか!
それではアリスは悲しい運命を辿ってしまう……。
その前に俺が全部ぶっ壊してやる!
この腐った格差社会を、そして、醜く肥え太る教会と孤児院を!
そして、せめて今回はアリスを救う!
この日俺は、三度目はただ利己的に生きてやると誓った考えを捨て、ひとつの目的に向かい新たな道を進む決意をした。
今回は二度目の人生のお話が中心となりましたが、これからも時々、前回の人生の話がクロスオーバーします。
やっとここから、この小説らしさが出てきます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。