ep60 隠蔽された事実
アルトたちが消息を絶ったその日、日が暮れた頃になると孤児院では騒ぎが起こっていた。
いつもは必ず日没前には城門をくぐる孤児たちが、今朝出て行ったきり戻って来ていないとの知らせがあったからだ。
それを受けた若い修道女は慌てて院長室に駆け込むと、ことの次第を報告した。
「一体どういうことだい! 約束通り帰って来ないなんて前代未聞だよ! 戻ったら全員の待遇を降格させな!」
「その、院長、今はそういう問題ではないかと……」
「じゃあ、どういう問題なんだい」
「これまでもケガなどの事情で個人や班単位で遅れて帰ることはありました。でも、城門が閉ざされる日没までには必ず町に帰って来ていましたし、そもそも全員が帰って来ない日なんてありませんでした」
「だから何が言いたいんだい?」
「何か事故に巻き込まれたんじゃないかと。今日は此方に残っていた採集班の子供たちも、魔物の襲撃があったのではと心配しています」
「魔物の襲撃だって? だったら大騒ぎになっているはずさ。奴らは悪知恵がきくから全員を殺さないんだよ。わざと逃げる奴を追って次の獲物を見つけるんだ」
確かにそう指摘した院長の言葉は正しかった。
魔物は常々、逃げる者たちの全てを狩らない。逃げる獲物を追えば、新たな獲物の元に案内してくれると知っているからだ。
魔物たちは逃がした男の後を追いながら、次の獲物である二十人もの子供たちを確保していた。
なので敢えて一人の男が逃げるのを見逃していただけに過ぎなかった。
そのため、皮肉にも街道まで魔物が出ることもなく、その情報が伝わっていなかったからだ。
「先日も町の清掃に出た子供たちの一部が、門限を破っただろう? おおかた町の騒ぎを面白がって見ているだけだだよ」
院長の言葉通り、今や開発景気に沸くトゥーレの町は毎日がお祭り騒ぎで、至る所に露店が並び夜も大いに賑わっていた。
先日もそれを物珍しく眺めていた子供たちが、時間を忘れて門限を破った事態があった。
「ですが今回、知らせてくれたのは町の城門に詰める兵士の方です」
「ふん、今は開発で出入りが激しいんだよ。いちいち確認できる訳がないじゃないか。見落としたに決まっているよ」
確かに院長の言っていることの可能性もある。
トゥーレの城門は開発の景気で出入りは非常に多い。数十台も荷馬車を連ねた商隊の中に子供たちが混じると、見落とされることもあるだとう。
「念のため行政府と駐留兵詰め所に連絡しなくても良いのでしょうか? あと、教会にも……」
「そんな恥を晒すようなこと、できる訳がないだろう! 私たちの管理責任になるんだよ。
決まり事を破った罰は連帯責任だ。今日は子供たち全員の夕食を抜きな」
「そ、そんな……、それは余りにも」
「余りにもなんだい?
お前は教会から望んで孤児院に来たんだろう?
ここに来たばかりで、孤児院の方針に戸惑うこともあるかも知れないが、余りにも目に付くと私の方でも考え直さねばならないね」
「そんな、まさか……」
「ああ、お前は適性なしと判断され、孤児院を辞めてもらうことになるだろうね。もちろん教会にも戻れないよ」
「!!!」
驚く修道女に対し、院長の老婆は陰湿に笑った。
「分かっているとは思うが、その際には養育費をしっかり払ってもらうよ。お前と同時に卒業した者たちは、『残る子供たちのために』と全員がきっちり払って出ていったんだからね。
お前は教会に進むからという理由で、それを免除されていたに過ぎないのだから」
そう言われ、最後まで勇気を持って食い下がっていた修道女も断念せざるを得なかった。
院長から部屋を出て行くように言われた彼女は、項垂れて退室していった。
「ふん、どうやらあの娘は市井での暮らしが長すぎたようだね。孤児院で働くことには馴染まないだろうよ」
院長の言葉通り、アンジェはかなり成長してから孤児院にやって来た。
十二歳になってから孤児院に来た彼女は、当初は何かと異議を唱える問題児だったが、クルトと共に採集に出るようになってから従順になったといわれる。
そして持ち前の優秀さですぐに中級待遇、上級待遇と上り詰め、その年の卒業生では最も優秀だった。
「あの娘は孤児たちへの肩入れが過ぎるね。孤児院にいたころは優秀だったけど、改めて教会側とも新しい『進路』を相談する必要があるね。
それなりに容姿も整っているし町は好景気だ、養育費を一気に払っても十分お釣りがくるだろうよ」
そう呟いた院長の顔は、醜悪な笑みが浮かんでいた。
そして夜は更けていった。
その晩は一睡もしないで孤児院の門に立ち、子供たちを待つアンジェの願いも虚しく、この日は誰一人として戻ることなく夜が明けた。
◇◇◇ 翌朝 孤児院
まだ夜明け前で暗い中、旧採集班で残留していた孤児のひとりが孤児院を囲む塀をよじ登ると、トゥーレの町中に走り出した。そしてしばらくすると、何事もなかったかのように戻り、再び塀をよじ登ると孤児院に戻った。
そして……、夜が明けると一晩中孤児たちの帰りを待っていたアンジェは、再び動き出した。
「アンタもしつこいね! 私に何をしろって言うのさ」
「孤児院として、子供たちの捜索願いを出してください。行政府と兵士の駐屯所に。
やはりこれはおかしいです! 子供たちの命がかかっているんですよ!」
心労でやつれた感じではあるが、鬼気迫る勢いで彼女は院長に詰め寄った。
それを見て院長はある策を思いついた。
「いいだろう、だが捜索願いはダメだね。私らの責任問題になっちまうよ。
『孤児の一部が採集に出て迷子になったから、自分たちで探しに行く』とでも伝えな」
「はい、承知しました。ではこれより届け出に……」
「何を言ってるんだい? 『自分たちで探しに行く』んだろう? そんなもんは誰かに任せて、さっさと準備しな! あと、孤児院に残っている採集班の子供も何人か連れていくがいいよ」
「は、はい」
「それと大事なことだけど、もし今回のことが事件ではなく、単に子供たちが起こした騒ぎだったら……、分かっているね? お前は騒ぎを大きくした人間として責任を取ってもらうからね。
それはお前も了承したこととして扱うよ。いいね?」
その言葉に違和感を感じつつ、アンジェは頷くより他なかった。
こんな場所で無駄に時間を費やすこともしたくない。
彼女は採集班の残留組十名と年長の少年たち五名を率いて出発した。
「いい、五人はトゥーレを探して。但し注意事項は必ず守ってね。
ひとつ、常に五人で行動し絶対に一人にならないこと。今は色んな人が町に入っているからね。
ひとつ、裏町や貧民街は危ないから絶対に行かないこと。攫われる可能性もあるからね」
そう言って五人と別れると、残る十名の子供たちを率いて慌ただしく城門を出て行った。
◇◇◇ トゥーレ裏町
アスラール商会は、ガモラとゴモラの紹介で裏町に倉庫を借り、そこから二つの町に物資を送り込むかたちで商いに励んでいた。
その倉庫の一角に置かれた机には書類が山積みされ、さながらアイヤールの執務室のようだった。
次から次へと書類と荷が到着し、それらがすぐ行先別に仕分けられていく。
一日に何度も物資の残高が変わり、それこそ息つく暇もないほどに慌ただしく作業が進められていた……。
それに加え、同じ物資でも行き先が異なれば値段が全然違っていたのだ。
彼らが集めた商材は、リームからの依頼分は気持ち程度の利益を、バイデルから依頼を受けたものは、彼が苦笑しながら頷ける範囲の『ぼったくり』価格で提供していた。
この日もアイヤールは、バイデルより受けた依頼の荷を送り出し、各地への指示と搬入される予定の在庫、今後の仕入れなどの仕分けで、早朝から倉庫で働き詰めだった。
そこに大慌てで彼の部下が駆け込んで来た。
「会長、大変ですっ。どうやら『知らせ』が入ったようです!」
「なんだとっ! 色は、何色だ?」
この『知らせ』というのは、リームとアイヤールが考案した独自の連絡方法だった。
城門脇に生えている木の枝の、予め決められた位置に布切れを結ぶ。これが何らかの事態が発生したことを告げる連絡手段だった。
黒布 アスラール商会
赤布 バイデル
青布 裏町
緑布 獣人
茶布 教会
黄布 ・・・・・・
灰布 リーム
白布 それ以外
「黄色ですっ!」
「ちっ、孤児たちか……、それで、他に何か情報はあったのか?」
「はい、門番に聞いたところ、昨日から孤児たちが帰っていないらしく、今朝は血相を変えた修道女と十人ほどの子供が出て行ったそうで……」
「ちっ!」
アイヤールは短く舌打ちした。
このことは彼らが常々危惧していたことが、現実になった可能性を示唆しているからだ。
「すぐ馬を走らせて後を追え! それとリーム殿には……、くそっ、明後日か!」
リームは『定期便』と呼ばれる、物資輸送と一時的にフォーレを行き来する者たちのために、十日に一度はトゥーレやモズを訪れたいた。
だがその訪問は二日後だった。
「これでは何かあった場合は間に合わんな。十名でいい、直ちに人手を集めて動けるようにしておけっ。
あと、念のため灰色と黒の布を結んでおけ!」
これをリームが見れば、何を差し置いてもアイヤールの所に来てくれるはずだ。
「間に合えばいいが……」
そう呟いたアイヤールは、湧き上がる不安に胸につのらせていた。
魔物の出現という最悪の事態、これが現実のなっていないことを祈りながら……。
いつも応援ありがとうございます。
次回は5/24に『嚙み合わなかった思い』をお届けします。
評価やブックマークをいただいた方、いつもリアクションをいただける皆さま、本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。




