ep38 もたらされた縁(えにし)
リームことリュミエールが奴隷商を訪れていた時、少しの時間差でもう一人の『顧客』が店を訪れていた。
店を訪れた彼は、まず最初に店先に停車していた豪華な馬車に驚いた。
「ふむ……、どうやら先客が居るようだな。だがこの馬車は訝しいな。これほどの物なら然るべき身分の方が利用しているはず。だが……、そんな方がトゥーレに来訪されたという報告は受けていない……」
行政府に籍を置く彼の元には、政治的に影響がある人物の訪問や大手商会の商隊がトゥーレを訪れた場合には必ず一報が入る。
通常であればそういった来訪者は、訪問の旨を領主に報告し、挨拶のために面会を求めることが常だったし、少なくとも行政府には一報を入れるのが習わしだったからだ。
受け入れる側もそれに応じて警備体制を整えたり、状況に応じ兵の配置を変更したりするからだ。
そんなことを考えながら、彼が馬車を眺めていると門番の男が慌てて駆け寄って来た。
「これは……、ようこそおいでくださいました」
「今日は先日購入した獣人たちを引き取りに来たのだが……、どうやら来客中のようだな?」
「は、はいっ! ただいま店主は商談中ですが、お取次ぎいたしますので、どうぞ店内でお持ちください」
そう言われた男は、どういった来客であるか興味を持ったこともあり、中に入って店主を待つことにした。
いや、ただ待つのではなく偶然先客と鉢合わせした形を装うため、案内を断り奥へと進んでいった。
そうすると奥でから叫び声が聞こえてきた。
「ちょっと待て! このような幼子まで無体な縛めをするとはどういうことだ!
先ほどの獣人たちもそうだが、ここまでする必要があるのかっ!」
ほう? 来客は奴隷たちの扱いに酷く立腹しているようだな?
ただ声の主は、まだ少年の声といっても差し支えない年齢のようだが……。
「なかなかに良い気概をもってはいるようだ」
彼は思わず感嘆の声を上げていた。
あの声の主、自ら奴隷商に足を運び、獣人たちの扱いに非難の声を上げた少年は一体何者だろう?
あの馬車は声を上げた少年が利用しているものとみて間違いないだろう。
そう考えると、彼の興味はますます募っていた。
それに惹かれて更に奥に進むと、そこには自身の目を疑う光景が広がっていた。
「痛むのか? この縛めはすぐに外させてやるからな。
大丈夫、大丈夫だ……。すぐに救い出してやる。もう少しの辛抱だ」
おそらく先程あの声を上げたと思われる身なりの良い少年が、膝を付いて獣人やヒト種の奴隷たちに声を掛け、必死に彼らを励ましていたのだ!
馬車や少年の身なりからしておそらく貴族、それもそれなりに裕福な家の者で間違いない。
そんな身分の者がなぜ獣人や奴隷たちを慰める?
そう思うと彼は困惑せざるを得なかった。
そして自身の中に遠い昔の記憶が蘇っていた。
『そうだな、あのお方も……、身分など全く気にすることなく、誰にも分け隔てなく接する方だったな』
彼は役目上、数多くの貴族と接する機会があった。
身分制度の頂点に立つ彼らは、貴族であるが故に過剰に身分を意識し、下の身分の者には一線を引いて接していた。
ある者は尊大に振る舞い、ある者は接触することすら忌み嫌うほどに……。
貴族でありながら、今の少年と同じことができるのは、自身が知る限り『かつての主人』ぐらいだろう。
それを自覚したとき、彼の中で訝しさを詮議するよりも、少年を称えたい気持ちが広がっていた。
その時だった……。
思いもよらぬ物が彼の目にとまった!
「まさか? あの腕輪は!」
少年がヒト種の幼子の頭を撫でている際、服の袖口がめくりあがった腕から見えた腕輪に、彼の視線は釘付けになった。
まだ距離があるため正確には判断できないが、少し鈍い光沢を放つ銀色の腕輪、繊細な意匠と鷹らしき模様……。
「間違いない、確かにそうだ! いや……、先ずは確かめねば」
そう考えた男は、ゆっくりと少年の背後に足を進めていた。
その視線は腕輪から離れることなく、疑問が確信へと近づくのを自覚しながら……。
◇◇◇
目の前の子供たちに声を掛けることに必死になり、俺は背後から近づく人物の気配に全く気付かなかった。
そのため声を掛けられたときは大いに驚いた。
「失礼いたします。突然声をお掛けする無礼をどうかお許しいただきたい。私はトゥーレを治めるルセル・フォン・ガーディア様の臣下でバイデルと申します」
(いや……、後ろに誰か居たのに驚いたけど、その後の言葉の方がもっと驚きだよ!)
思わぬ人物の登場に、俺は覚悟を決めてゆっくりと振り返った。
そこには俺のよく知る、いやルセルだった俺がよく知る人物が立っていた。
バイデルは前回のルセルの改革を内政面で支えてくれた、柱石とも言える存在であった。
なので今のルセル(奴)がトゥーレに来ているなら、当然彼もこの町に居て不思議ではない。
(さて……、どう対処すればいい?)
「おおっ、確かに見紛うことなくフィリスさまの面影がっ!」
(ってか……、フィリスって誰だよ? それに何故バイデルが俺を見て涙目になるんだ?)
「私は今、忍びでこの町を訪れているに過ぎない。なので領主への挨拶も遠慮している立場、そのため家名を名乗ることはどうかご容赦いただきたい」
(バイデルの思惑は何だ? 訳が分からないし、ここはさっさと退散すべきか?)
そう考えて俺は少し身構えていた。
「もちろんです。ここは公の場ではございません。ご挨拶もそこそこに不躾な質問をお許しいただきたいのですが、その腕輪は貴方様の持ち物でしょうか?」
(腕輪……、ああ、そういうことか?)
姿勢を低くして同じ目線で彼らの頭を撫でていたため、俺の衣服の袖口からは腕輪がしっかり見えている状態になっていたか……。
これはまずかったか?
「この腕輪は幼き頃に亡くなった我が母の形見として、今は私が受け継いでいるものだが何か?」
(っていうかバイデルはこの腕輪の存在を知っているのか? それとも鷹の意匠に気付き、何かを咎めようとしているのか?)
「おおおおおっ、やはり!
だが無念っ……、フィリスさまは既にお亡くなりになっていたのか……」
(さっきから言っているフィリスって誰だ? バイデルは何を知っている?)
母が亡くなったと言った言葉にショックを受けたのか、彼はしばらく言葉を失い崩れ落ちた。
その心は深い悲しみに包まれているようで、バイデルの肩は小刻みに震えていた。
それが何を指しての悲しみなのか、俺には何も推し量れずにいた。
(いや……、この展開はマズイな。俺はこの場をどう取り繕えばいいんだ?)
「失礼、どちらの方かは存ぜぬが、ここでは人目もあります。若君も忍びの旅の途中です。
何かご事情があると拝察いたしましたが、どうかこの場は……」
いつの間にか商会長が商談から戻り、バイデルの背後から声を掛けてくれた。
その言葉で我に返ったのか、バイデルは立ち上がると先ず一礼した。
「取り乱してお見苦しいところをお見せし、大変失礼いたしました。
改めて申し上げます。私はガーディア辺境伯家中のバイデルと申します」
商会長に対しても丁寧に挨拶すると、今度は俺に向き直った。
「先ほど御身に付けられている腕輪を拝見し、改めて内々にお母君に関するお話をさせていただきたく思っている次第ですが、このあとお時間をいただくことは可能でしょうか?」
(俺の母だって? 先ほど言っていたフィリスという名がそうなのか?)
俺は一瞬迷った。だって今の俺は偽物の貴族だし。
どう返答すべきか困っていたところに、商会長が助け舟を出してくれた。
「今のお話はガーディア辺境伯の家中として、でしょうか?」
(確かに! そうだったら色々と不味いことになるな)
「いえ、私個人としてでございます。これは主命に応えることが叶わなかった私の感傷に過ぎません。
『それなりのお立場のお方』とお見受けしましたので、障りのないよう内々にお話させていただきたく……」
(いや……、俺はもちろん『それなりのお立場のお方』であるはずがない。だって偽物だし……)
ただ、俺の母親に関わることなら、少しでも知りたい。そんな思いに衝き動かされたのも事実だ。
危険な橋を渡ることになるかもしれないが、今はその気持ちが勝っている。
俺は覚悟を決めて返答した。
「では……、私がこの町に来ていることを含め、一切を口外しないと約束できるのであれば構わない。
一人で来ていただくことが条件だが、それで構わないだろうか?」
「ありがとうございます。元よりその所存でございます」
そう言ってバイデルは深く一礼すると商会長から滞在先の宿を聞き、事情が分からずきょとんとしていた奴隷商と共に別室へと消えて行った。
「あの……、あれでよろしかったのですか?」
少し不安げな様子の商会長は、改めて俺に確認してきた。
確かにそう感じても不思議ではない。
「まぁね。ちょっと危険だけど、俺自身の出生の秘密が分かるのであればね」
ただ……、ガーディア辺境伯家の事情をよく知る俺にも不可思議な点はあった。
先のガーディア辺境伯には、ルセルと同じ年齢の子供はいないはずだ。それはルセルだった俺が何よりも知っていることだ。
では母と言うのは、辺境伯家の一族ということか?
バイデルが敬称を付けて呼んでいたことで、それなりの立場の人なのだろうが……。
ひとつだけ言えるのは、俺が大胆とも言える決断をしたのはバイデルという人物を知っていたからだ。
彼は古風で堅苦しい部分も多少はあるが、その性格は実直かつ誠実で裏表もなく、政治的には清濁併せ呑むことができる柔軟な思考を持ち、家宰として先の辺境伯より領地の差配を任せられていたほど優秀な人物だ。
見知らぬ人間ならまずそんな危険は冒さないが、バイデルなら信用できる、そう確信していた。
とはいえ……。
俺が知るバイデルの誠実さは、辺境伯家やルセルに対して、であったが。
様々な思いが湧き起こったが、敢えて俺はそれを押し殺して商会長に向き直った。
「彼なら大丈夫だ。と……、思う」
まさか為人を知ってるとは言えないし。
ちょっと苦しい言い訳になるのは否めない。
「ちなみに商会長、商談は上手くまとまったか?」
俺はここで話題を変えた。
このまま話すと、なんかボロが出そうだし。
「ええ、若君がいたくご立腹されていること、このままでは父君を動かし王都で何らかの行動に出かねないことを伝えました。
そうすると奴は非常に素直になりましたよ」
ははは、ブラフで思いっきり脅した訳だ。
「その前提(脅し)を踏まえて交渉に臨みました。
獣人とヒト種の全員を一括購入し、今後も若君のためにアスラール商会が余った奴隷を引き取る意向を匂わすと、奴は諸手を挙げて誼を結びたいと言ってきましたよ」
「ははは、流石だな! 父上の信を一身に受けるだけのことはあるな。私も其方に礼を言わねばなるまい。
して、幾らだった?」
「十二人全員で締めて金貨八百枚にございます。
明日以降に引き取ることとし、先ずは縛めを外させて十分な食事と身なりを整えるための入浴、清潔で温かい寝床を与えるよう指示しております」
いや……、めっちゃ値切ってるやん!
アフターケアもばっちりだし。
それとも俺の認識が甘いのかな?
この世界での価格交渉、その常識を知らない俺からすれば、とんでもない値切りかたに見えてしまう。
まぁ、商会長がそれだけ優秀ってこともあるのだろうけど……。
「完璧な仕事に文句の付けようがないね」
「まぁ、ウチの商会のモットーも苦境に喘ぐ弱者を助けることですからね……。今回は若君のお気持ちに乗らせていただいただけですよ」
そう言って彼は笑顔で応じてくれた。
俺は商会長にひとしきり感謝すると、心はその先へと飛んでいた。
バイデルは一体何を伝えようとしているか?
俺は一体何者なのか?
命を賭して俺を産んでくれた母とは……、どういった人なのだろうか?
このあと俺は、自身の出生の秘密を知ることになるのだが、そこで改めて運命の偶然と皮肉を思い知ることになる。




