ep37 トゥーレの奴隷商
商会長が事前に全てを手配してくれていたお陰で、宿屋での入浴・散髪・着替えは段取りよく進み、俺たちは再び馬車に乗り込むと、貧民街との境界にある奴隷商の店へと向かっていた。
「リーム殿に申し上げるまでもないかもしれませんが、これからは大貴族の若様が、お忍びでトゥーレにいらした形を装います。見掛けは整いましたが……、言葉だけは気を付けてください。
奴らは人を見る目だけは肥えておりますので……」
なるほど、そう言うことね。
なら俺も……。
「ああ、そうだったね。私は今からどこぞの貴族の若様と言う訳だ。言葉遣いもそれなりにする必要があると言うことだな。
アイヤールよ、従者とする者を購入するにあたって、私の奇特な趣味に顔をしかめた父上は、其方にいかほどの予算を与えてくれたのだろうか?」
そう言った俺の顔をまじまじと見つめた商会長は、一瞬だけ呆気に取られていたが、次の瞬間には俺の前に跪くと、大いに笑った。
「くっくっく……、面白い。相変わらず凄いお方で底が見えませんね。
いや……、大変失礼いたしました。旦那様から今回お預かりした手持ちの金貨は千枚ほどです。
ただ奴隷商も商業組合に加入するれっきとした商人、なのでボンドが使えます。
それを含め、お父君が旅費を含めて私めに託された金貨の総額は……、五千枚相当といったところでしょうか」
そう言うと商会長は俺をじっと見つめた。
まず貴族の若様として生きた経験がある俺は、言葉遣いだけでなくその辺りの事情も十分に心得ていた。
そしてボンド、これも俺の変化に驚いた商会長が、追加試験として出した課題だろう。
この時代、多くの金貨を持って旅をすることは非常に危険だ。
途中で野盗に襲われることもあるし、そもそも国中を移動して買い付けを行うような商人は、買い付け額もそれなりの額になり、いちいち大量の金貨を持って歩くことなどない。
一定以上の商いを行う商人ならば、審査を受けて商業組合に加入し預託金を預けている。
そうすると預託金の額に応じ『ボンド』と呼ばれた小切手、特殊な細工を施した金属板が発行される。商人たちはそれで決済を行ったり、出先にて金貨を引き出すことが可能になる仕組みだ。
またボンドで支払われた代金を現金化するのも、商業組合に加入している商人しかできない。
この商業組合の出先機関はそれなりの規模の町ならばどこにでもあり、貴族の資産すら預かって運用しているのだ。
「そうか……、ボンドで決済できるのなら安心だな。幸いトゥーレには商業組合の窓口はあるしな。
ならば支払い面と金額の交渉は、全て其方に一任したいと思うが良いか?」
「若様の仰せのままに」
俺の回答が正解で安心したのだろう。
商会長はにっこり微笑むと一礼した。
「そうだ! 五千枚もの金貨を与えられるほど溺愛された若君なら、それなりの装身具も必要になるか?」
「確かに……、仰る通りですが、あいにくそこまで配慮が及びませんでした」
「問題ない。これは私を産んでくれた母が私に遺してくれたものだ。今の私には手首ではなく腕に付けるとちょうど良いかな」
そう言って俺は、長年大事にしまっておいた腕輪を取り出した。あの時クルトが孤児院から取り戻してくれた、正真正銘俺の(母の)持ち物だ。
商会長は物珍しそうに腕輪を眺めると、何かを察知したのか固まった。
「そ、それはっ鷹のっ! し、しかもその素材は、まさか……」
「ほう? その驚き様からすると其方の目利きも一流ということだな? 一目見ただけでこれの価値が分かるとは驚いたぞ。
これは正真正銘、私の持ち物であり先程の話も真実だけどね」
「貴方様はまさか……、本当に……」
絶句した商会長に対し、俺は片目を瞑ってみせた。
俺の出自なんて今更調べようもないし、今の俺には関係ない。俺はただの孤児、それだけだ。
だがこの時の俺自身も、この腕輪が導く不思議な縁を、想像すらしていなかった。
◇◇◇ トゥーレの貧民街 奴隷商
俺たちを乗せた馬車が店の前に停止すると、慌てて店先に居た護衛と思われる男の一人が中に入り、代わって一癖も二癖もあるような容貌をした小太りの男が店の中から現れ、俺たちを待ち受けるように進み出てきた。
「これはこれは……、ようこそおいでくださいました。私は店主のガラベルと申します。
よろしければ私がご案内させていただきますので、どうか中までお入りくださいませ」
確かに馬車の見た目による効果は抜群のようだな。
ただ奴隷商の方も、丁重に客を迎えているように見えるが、時折俺の服装などを含めて端々に鋭い視線を投げ掛け、明らかに値踏みしているのが見て取れた。
「我らはお忍びで旅をされている若君に従い、この町に参った。故に名を明かすことはできんこと、先ずその点について了解いただきたい。
魔の森に近いこの地なら、獣人の奴隷も多いと聞いたがどうだ? 若君は獣人であろうとヒト種と変わらず情けを掛けられる、立派なお人柄でな」
俺は黙って商会長の言葉に頷くだけだ。
実際に若君と言われる存在なら、彼らに挨拶などしない。
「仰る通り、此方では多くの獣人を取り扱っております。高貴なるお方に情けを掛けていただけるのであれば、それこそ至上の喜びかと」
「ふむ、若君は今回の旅のついでに珍しき者を従者に加え、領国に連れ帰りたいとのご意向だ。
それに相応しい者がいるか実際に見て確認したいとの仰せだが、全ての奴隷を見せてくれるか?」
「かしこまりました。ただ、大人の獣人は先日此方のご領主様にお買い上げいただきまして……、この中に居る者たちも受け渡しを待っている状態です。
今回お譲りできるのは、十四歳以下の子供の獣人とヒト種の子供のみでございますが、よろしいでしょうか?」
なるほど、奴はもうこの方面にも手を伸ばしているのか……。本当に油断がならない奴だな。
しかも当面の間、何の役にも立たない子供には手を出さず、大人の獣人のみ買い付けているのか?
この辺りもあざといやり口と言わざるを得ない。
頭の中でそんなことを考えながら、俺は商会長に向かい無言で頷いた。
俺たちにとって救い出すのに大人も子供も関係ない。
いや、こんな境遇にあるなら、むしろ子供が優先だ。
「大人が居ないのなら仕方あるまい。
年齢や力量から従者に相応しくない者、改めて当方で教育が必要な者たちについては、その分だけ対価は下がると理解してよいのだな?」
「も、もちろんでございますっ」
ガラベルと名乗った奴隷商も油断のならない商売人と感じた。
わざとらしく汗を拭うの様子を見せていたが、この辺りは既に計算済みなのだろう。
ただ商会長が何の指摘もしなければ、平気で大人と変わらない値段で売り付けてきたに違いない。
奥の部屋に入ると、八人ほどの獣人たちが並ばされていた。
全員が手枷と足枷の縛を受け、彼らの目は光を失い絶望感に満ちていた。
「此方に並んでおりますのが、現在売り物となる獣人たちでございます。
年齢は一番左が六歳の雄、一番右が十四歳の雌となり、年齢順に並ばせております」
相変わらず酷いな。これが人間(獣人)の扱いだと?
許される訳がないだろう!
ましてここに居るのは、何の罪もない子供だぞ!
思わず叫び出しそうになったのをなんとか耐えた俺は、商会長に向かって頷いた。
「参考までに聞きたいが、彼らはどうしてここに連れて来られてきたのだ?
非合法に入手された奴隷を買ったともなれば、若様のお名に傷が付く」
「もっ、もちろんでございますっ!
この者たちは貧民街で親を亡くし引き取り手がない者たちばかりです。私も商業組合に登録している正規の奴隷商人です、そこは心得ております」
「了解した。嘘偽りがあれば我らの主が其方の登録を取り消すよう手を回すだろう。
それだけは了解しておくようにな」
「は……、はい。心得ております」
小太りの男は再び額の汗を拭った。
流石だな……。交渉の主導権を握るよう商会長は、若干の脅しも加えているようだ。
だがせめて、彼らの縛めだけは早く解いてやりたい。
「それでは俺も同じ商業組合に加入している商人として聞くが、売値は幾らだ?」
「はい、初めてのお取引ということもあり、格安でお譲りしたいと存じます。
左から順に八歳までは金貨二百枚、八歳から十歳までは金貨三百枚、十一歳から十二歳は金貨四百枚、最年長の十四歳は金貨五百枚にございます」
200枚×3人、300枚×2人、400枚×2人、500枚×1人……
「締めて二千五百枚か……、それなりに大きい金額だな」
ここで俺は初めて言葉を発し首を横に振った。
それを見て商会長も大きく頷く。
「些か高いようだな。彼らは引き取り手がなく売れ残っているのだろう?
価格に差を付けているようだが、まだ無事に成長するとは限らない。その二点を考えても少々高すぎると思うがどうだ?」
「それは……、我らも精一杯努力しているつもりですが……」
「では獣人は一先ず保留する。先程は其方の口からヒト種の奴隷も居ると聞いたが、基本的に王国の法ではヒト種の奴隷販売は禁じられている。
その辺りを理解した上で話しているのだな?」
「も、もちろんでございます。我らも法は遵守しており、非合法なことは決してございませんっ!
全て親の借金返済のため、両親が同意したうえで売られてきた借金奴隷ばかりです」
これも全く酷い話だな。親の借金を肩代わりして子供たちが売られるとはな。そう言えば……。
たしか俺の母親や叔母も、そんな形で売られたと言っていたな?
「ではそちらも拝見させてもらおう。此方に連れてくることはできるか?」
商会長の言葉を待っていたかのように、隣の部屋で待機していたであろうヒト種の奴隷たちが、俺の前に連れてこられた。
獣人と同じように手足を拘束された四人の子供たちが、足を引きずりながら……。
中にはまだ二歳前後の幼い女の子すら混じり、その目からは涙が溢れていた!
「ちょっと待て! このような幼子まで無体な縛めをするとはどういうことだ!
先ほどの獣人たちもそうだが、ここまでする必要があるのかっ!」
我慢の限界が来た俺は、思わずそう叫ぶと泣いている女の子に駆け寄った。
確かに獣人は膂力がヒト種に比べて格段に優れているので、大人なら縛めもやむを得ないのだろう。
だがどちらもまだ子供だ。酷過ぎる!
「アイヤール、交渉の仔細は其方に任せる!
分かっているな?」
俺の言葉を理解した商会長は、俺の言葉に汗を拭っていた奴隷商とともに別室へと移動し、本格的な商談に入るようだ。
俺は彼らの姿が消えるのを確認したあと、先ほどの獣人たちを含め、子供たちに声を掛けて回った。
ルセルだった二度目の時は、俺自身が奴隷商の元を訪れたことはなかった。
当時はまだ子供だったこともあって、配下の者に全て任せていたからだ。
なので俺はこれまで、こんな現実を知らなかった。
「痛むのか? この縛めはすぐに外させてやるからな。
大丈夫、大丈夫だ……。すぐに救い出してやるから、もう少しだけ我慢してくれ」
そう言って全ての子供たちに声を掛け、幼い子たちには膝を付き、極力目線を合わせて優しく話しながら頭を撫でて回った。
その時だった。後ろから突然声を掛けられた。
「失礼いたします。突然声をお掛けする無礼をどうかお許しいただきたい」
突然発せられた背後からの声に驚いた俺だったが、この後で起こる数奇なる出会いに、俺は更に驚愕することになる。




