ep36 未来に向かい放たれる矢
孤児院を出発し、思いを新たにした俺は窓から目を離した。
そうすると馬車の向かいに座っていた商会長の、ニヤニヤと笑う視線に気付いた。
「いやはや、おみそれしましたよ。リーム殿は商談だけではなく、あちらの方でも才を発揮されているのですね。その年で女泣かせとは……」
そっちかい!
俺はてっきり商談が上手くいったことでほくそ笑んでいるのかと思ったよ。
「あ、いや……、まだ子供のことだから色恋沙汰ではないよ。多分……。
先ずはお礼を言わせてください。無事依頼をやり遂げてくれたこと、心から感謝します。
それにしても強欲な院長に金貨百枚で納得させるとは、噂通りの手腕だよね」
「ははは、そちらもお見通しでしたか。さすがリーム殿ですね。
ですが敢えて言わせていただければ、事前に残していただいた情報のお陰です。本来ならもう少し抑えられたんですが、本当に金貨百枚ずつで良かったんですか?」
そう、俺は残した手紙の中で、俺の引き取りに関し二つのお願いを書き記していた。
・可能ならば商談は金貨五百枚以内で納めてほしいこと
・逆に教会と孤児院には、最低ラインとして金貨百枚ずつは渡してほしいこと
「ああ、それぞれ百枚ほどの臨時収入があれば、残る子供たちへの締め付けもないだろうからね。
ちなみに残る二つの依頼はどうかな?」
今回俺が言伝で残していたアスラール商会の看板を使った依頼は大きくみっつあった。
一つ目は、もちろん俺の身柄を引き取ってもらうことだが、それ以外に二点。
二つ目は、既に卒業して各所に引き取られている元孤児たちへの接触だ。
多くの孤児たちは無報酬で奴隷さながらの暮らしを余儀なくされている。そんな彼らを引き取る前提で密かに接触してほしいとの依頼だ。
三つめは、トゥーレの貧民街にある奴隷商を訪問する段取りの整えてもらうことだ。
目的はもちろん、奴隷商から奴隷を買い上げて仲間に加えることだ。
もともとこの町には、普通の住民が暮らす領域の外側に裏町と貧民街がある。
裏町には闇市や様々な仲買人などが店を持ち、表立ってできない取引や忌避される商売が行われる場所で、流れ者や犯罪者も多い。
町の趣は似ているが貧民街には、その日暮らしの仕事を行う貧しい者たちと、この世界では人権が認められていない人外の者たちが住んでいた。
ここに住まう人外の者たちは、今は開拓が進み比較的安全となった『元は魔の森だった場所』、トゥーレの郊外に広がる林や森に棲んでいた者たちだ。
魔の森に面したトゥーレが開拓を進める歴史の中で、戦いに敗れた彼らは独自に暮らしていた里を追われ、その一部が主に肉体労働を生業としてトゥーレでひっそりと暮らしている。
「まず孤児院から各所に引き取られた者たちには、商会の者たちが手分けして当たっていますよ。
まだ半分も話はできていませんが、どこもかしこも酷い扱いを受けていますね」
やはりか……。
彼らは少なくとも引受先が元を取るまでは奴隷さながらの暮らしを余儀なくされているのだろう。
「奴隷商については早いほうがいいと思い、このあと訪問する段取りを付けています。
それで問題ないですか?」
「そうなんだ! 動きが早くて助かるよ。流石だね」
「まぁ……、他にも理由があったからですけどね。この馬車で乗り付ければ、奴らも上客が来たと思って『それなりの対応』をしてくるでしょう。
今回はリーム殿はどこぞの貴族の若様として、従者にする奴隷を買い求めに来た形を装います。
なのでこれより宿に戻って湯を使い、髪を切って用意した服に着替えてもらいますからね」
まぁ……、そうだよね。
今の俺じゃあ小汚いただのガキだし……。
「それと私からも報告があります。
預けていただいた砂金ひと樽はあらかた売却の目途が立っております。差し当たり今の時点で現金化できたのは金貨六千枚、残りは金貨に変えるまでもう少し時間をください。そして次に……」
この後も商会長の報告は延々と続いた。
掻い摘んで言えばこうだ。
砂金売却 金貨6,000枚(現金化待ち14,000枚)
魔物素材 金貨 1,000枚
岩塩売却 金貨 100枚
砂金は分かるが、魔物素材の売却益が予想以上に大きかった。
積み荷の関係で岩塩もそれなりにしか渡せなかったが、貴族たちに高値でバンバン売れたそうだ。
「ただ砂白金については、少し時間をいただけますか?
そもそも国内で新たに産出したものとも言えず、他国から流れてきたものとして扱う必要がありますので……」
「わかった。というかこれだけの期間で凄い成果だと思うんだけど?
別途商会に支払う報酬を定めないとダメだよね」
「ははは、それは必要ありませんよ。
商売の世界では、希少な物を持っていることだけで交渉は有利に進みます。お陰様で我が商会の名は上がり、商人たちの中でも信用は大きくなりました。
それに現金化待ちの砂金の一部を信用できる先に投資して利益を回収いたしますので」
「なら砂金と魔物素材をもう少し追加で預けようかな?」
「なっ! まだあるんですか?」
商会長は驚いていたが、彼に渡した砂金はひと樽だが、これは俺の持つ全てではない。
そして今の俺は、解体屋にてクルトが預っていた分も託されている。
あと魔物素材はフォーレの倉庫に山のようにしまい込んでいるしね。
俺だって万が一に備えた保険は掛けている。
そしてこの先、やるべきことはまだ多く、資金は幾らでも必要になる。
そんな会話をしていると、馬車は商会が逗留している宿屋の前に停止した。
それは、あの時に交渉した宿屋と同じ場所だった。
◇◇◇ トゥーレの高級宿
俺は宿屋で用意されていた湯に浸かりながら、この先にすべきことを改めて思い返していた。
今のルセル・フォン・ガーディアは順番こそ違うが、確かに善政と呼べる統治を行っている。
俺の偉業と呼ばれた内容をそのままに……。
だがこの先、奴が良き統治者であり続けるとは限らない。
今のところ町の評判もすこぶる良いが、俺は奴の善良な笑顔の下に、いいしれようもない悪意が隠されていると感じていた。
そのためにも俺は孤児たちを孤児院から解放するだけでなく、フォーレを安全に住まうことのできる、新たな移住先にする必要がある。
多くの人々の救いとなる町へと……。
◆第一段階
フォーレを町として体裁を整え、自立した町づくりを行うこと。
そのために必要な人手の確保を進めること。
一の矢 奴隷商人から亜人を買い仲間に加えること
二の矢 卒業した孤児を買い戻し仲間に加えること
三の矢 孤児院から信頼できる仲間を救い出し、共に作業を進めること
四の矢 貧民街には密かに支援を行い見守ること
五の矢 前回の記憶を頼りに、信頼できる亜人たちを仲間に加えること
これらの段階で商会を通じて物資を調達し、フォーレが生活を営める町となるよう土台を作る。
並行してエンゲル草を確保し続け、商会を通じて王国中に配布してもらうことだ。
◆第二段階
町としての土台ができれば本格的に移住者を入植させて人口を増やし、順調に行けば十数年後に進出して来るルセルに対抗できる町とすることだ。
六の矢 孤児たちを集団脱走させて解放すること
七の矢 教会と孤児院を糾弾してぶっ壊し、クルトを迎え入れること
八の矢 洗礼の儀式を独自で行い、仲間となる魔法士を発掘すること
九の矢 亜人を含む貧民街に暮らす人々へ、密かに移住を勧誘すること
十の矢 魔の森に住まう亜人の集落を訪れ、和解と共同戦線を提案すること
これが整えば、フォーレは前回と等しく要塞都市として、魔の森の中で独自の生存圏を確立できる。
そして奴の侵攻に対し、対抗できる戦力を持つことだ。
その時点まで奴が変わらぬ善良な統治を敷いていれば、和解もあり得るがそうでない場合は……。
『やっぱり中々の無理ゲーだよな』
より多くの目的を背負ってしまった今、思わずそう呟かずにはいられなかった。
そもそも俺とルセルでは立っている場所が違う。
商会長という大きな味方は得ることができたが、前回の俺を支えてくれた『大人たち』の存在がない。
彼らは今、ルセルの元に家臣として仕えているか、今の時点では野に埋もれた存在でしかない。
加えてルセルは今、紙の製造と活版印刷で貧民街の雇用を進めており、彼らからの評価はすこぶる高い。
なので俺は表立ってそこには立ち入らないほうが安全と考えた。
『同じ攻略ルートであってよい訳でもないな。有利だったルセルにもバットエンドがあるし。
奴もそれを避けるべく動くから、ここからは奴と俺との知恵比べになるな?』
独りで呟くと自分を納得させた俺は、湯舟から立ち上がった。




