ep35 鳥籠からの旅立ち
この日は、孤児院の前に豪華な馬車が横付けされたことで、働く大人たちは何か浮ついていた。
もちろんそんな大人たちの様子に、孤児たちも何かしら違和感を感じていた。
「リーム、もしかしてあれはリュミエールの仕業かしら?」
その変化を敏感に感じ取ったのか、上級待遇の者たちが自習する一室にて、アリスが小声で俺に話しかけてきた。
「多分ね……。アスラール商会が町に入ったのかもね」
野外採集がなければ、俺も外に出ることもできず確認はできない。
ただ俺は彼らの到着に備え、連絡先として指定していたガモラとゴモラの店に、今後の段取りや連絡事項を記した手紙を残している。
商会長ならそれを見て動いてくれるだろうと期待して……。
「じゃぁリームはもうすぐ行っちゃうの?」
「うん、そうなってもすぐではないと思うよ。あの院長が簡単に首を縦に振るとは思えないし。
ただ冬になれば俺も教会で洗礼の儀式を受けるから、それまでには……」
「そっか……、ならまだ少しは……」
「それにここを出ても、しばらく俺は『森の家』に顔を出すから、そこで会えるよ」
「うん、今はあそこも立派になったもんね」
この頃になると森の家は、採集班の拠点となるべく大きく進化していた。
外観上は森の中にある岩場と崖に囲まれた一角にしか見えない。
意図的に積み上げた岩場の隙間を抜ける小さな通路、そこを通らないと中には入れない。
抜けた先には一辺が50メートルにも満たない小さな空間があり、その一角に森の家がある。
もちろん最初は壁のない東屋のような雨露を凌ぐだけの場所だったが、徐々に土でできた外壁を整え、廃材や裏町で買ってきた家具を中に運び込んで家としての体裁を整えた。
今では万が一魔物に追われた際には、避難場所としての役割も兼ね、入り口にある岩場の仕掛けを発動すれば岩が落ち、完全に外から入り込むことができなくなる。
その場合は避難用のトンネルを抜け、様子を窺いながら外に抜けることも可能だ。
これらは全部、五芒星と空間収納を使ってコツコツ作り上げたものだ。
家の倉庫には訓練用の武具だけでなく、本物の武具や勉強用の本、備蓄食料に加え、中庭には薬草や野菜を栽培している畑まである。
ここを利用する採集班の仲間も手伝ってくれたこともあり、日々充実した家へと変化している。
そんな話をアリスとしていた時だった。
血相を変えた大人たちが自習室に飛び込んできた。
「リームは居ますか? 院長先生がお呼びです、今すぐ院長室へ行きなさい!」
ははは、やはり商会長かな?
それにしてもこの慌てっぷりは何だ?
追い立てられるように自習室を出た俺は、そのまま院長室へと通された。
中には若干青ざめた表情で無理やり作り笑いをする院長、対照的に一目見ただけで高価と分かる服を身にまとい、笑顔で微笑むアイヤールがいた。
「リーム、よく来ました。こちらは……」
「改めてご挨拶させていただきます。私はアスラール商会の商会長を務めさせていただいております、アイヤールと申します。どうかお見知りおきを」
院長の言葉を無視するかのように遮った商会長は、立ち上がると優美な所作で俺に向かって挨拶した。
なるほど……、さすがは商会長だな。
途中で話を遮られたにも関わらず、引きつった笑顔のままの院長を見て、俺はこの場で行われたであろう交渉の経緯を知った。
「初めまして、リームと申します。こちらこそどうぞよろしくお願いします」
そう挨拶をしたのち、彼らの座っていたであろう場所の中央にあったテーブルには、それなりの大きさの何かを詰めた袋が置いてあった。
「リーム、喜ぶべきことです。貴方を引き取りたいと申し出ていただいたお方がいらっしゃいました。
それもさる貴族のご当主様で、これは大変名誉なことですよ」
「えっ? 僕はここを出て行かなければいけないのですか? みんなと分かれて……」
俺は敢えて悲しげな表情を浮かべ、目に涙を浮かべた。
本当は……、うれし涙なんだけどね。
「誰にも旅立ちの日は訪れます。ここで暮らす者は皆、十五歳になれば卒業して他の孤児たちを支えるため新たな仕事に就くのですから」
いえ……、それって違いますよね。
孤児たちを支えるためでなく、あなた方の懐を満たすため、ですよね?
「今日からリーム殿の身柄は我らでお預かりします。旅立ちにあたり別れの時間が必要であれば、我らも日を改めてもう一度お迎えに上がりますよ」
商会長の言葉に、院長のこめかみがピクリと動いた。
そしてゆっくりと首を振り、無言で何かの圧力を加えてきたように思えた。
もしかして、そう言うことか?
「……、大丈夫です。それをしたらもっと悲しくなりますから」
何か面倒臭い展開になりそうだったので、俺はそう返事した。
どうやらそれが正解だったようで、院長は安堵のため息を吐いていた。
しかし商会長はどんな交渉をしたんだ?
ここまであの婆を追い込むなんて……。
そんな俺の思いを知ってか、商会長は満面の笑みを浮かべていた。
「では外に馬車を待たせておりますので、今から出発するとしましょう。詳細は馬車の中で私から説明させていただきますので……。
身の回りで必要な品々はこちらで用意しておりますが、何か持っていくものはございますか?」
いささか展開が早すぎる気もしたが、院長の気が変わらないうちに少しでも早くここを出て、今後に向けた行動に移りたい。
なので俺は無言で首を振った。
やっと、三度目の人生で俺を縛る鳥籠から出ることができる!
俺は表情を押し殺してその喜びを俺は噛みしめていた。
◇◇◇
その後、形通りの挨拶をして院長室を出た俺は、商会長に導かれて孤児院の中庭を抜けると、門に向かい歩き始めた。
その時だった。
「リーム、行っちゃうの?」
そう言ってアリスが目に涙を浮かべて抱き着いてきた。
「わっ、たっ……、アリス?」
十代前半では女性の方が成長が早い。まして俺より三歳年上のアリスに抱き着かれ、俺は勢いを支えきれず思わず倒れそうになった。
「リュミエール、森の家で待っているからね。でも……、絶対に無理しちゃダメだよ」
アリスは抱き着いたときに、他の誰にも聞こえないように俺の耳元で小さくそう呟いた。
俺はアリスの背中を撫でたあと、彼女から身を離して小さく頷いた。
「リーム、私も連れて行ってほしい、お願いっ」
「うっ、わぁっ……」
え? 誰だ? ダメだ……、油断した。
もう一人から抱き着かれたとき、予想外の出来事で俺は彼女を受け止めきれず仰向けに倒れた。
「リュミエールさん、さっきの言葉は私の本心ですよ。私たちは残ってアリュシェスさんを支えていきます。でもいつかきっと、私も迎えに来てくださいね」
いや……、マリーからの思いもよらない告白だった。
やばい、何故か心臓がドキドキする……。
ってか、これって犯罪じゃん。通算年齢なら俺って今は中高年だし……。
もちろんそっちのドキドキだと思う。多分……。
マリーの言葉に小さく答えて身を起こすと、騒ぎを聞いて周りに集まっていた子供たちも、一斉に抱き着いてきた。
うん……、全員が同時に何かを言っているので、何が何だかよく分からないけど……。
取り敢えず皆の頭を撫でて落ち着かせた。
その後少しの間、孤児院の者たちと別れを済ませた俺は、馬車に乗り込み見送る彼らに手を振った。
中には大人たちの静止を無視して、孤児院の外まで追いかけてくれる子供たちもいた。
なんか、少し嬉しいな。
俺が今までやってきた努力が、ほんの少し報われた気がした。
でも……、今日からが始まりだ。
彼らにもこの先、過酷な運命が待ち受けているのだから……。
俺がそうはさせない!
俺はやっと籠の中から放たれた。でもそれは、彼らを守るため多くの試練と本格的に向き合うことの始まりともいえる。
これから商会長に確認し、手を付けなければならないことは山とある。
今日はそのための旅立ちだと、俺は決意を新たにしていた。
これでリームは遂に孤児院を出ることになりましたが、まだ多くの仲間が取り残されています。
ここから先はフォーレ編に入りますが、まだまだ孤児院の仲間たちを救う攻防は続きます。
そして新章に入ると、以前にリームが思った謎のひとつが明らかになって行きます。ある縁によって……。
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