ep33 未来を繋ぐ対価とは
アスラール商会がトゥーレの町を旅立ち、リームがクルトやアリスと共に解体屋の一角で密談を行って数十日が過ぎたある日のことだった。
この日孤児院の前には、先触れの使者のあとに訪れた非常に品のよい装飾が施された、まるで有力貴族が使用するような馬車が止まった。
そこから降り立ったのは、馬車にふさわしく、洗練された衣服に身を包んだ男だった。
その後男は、出迎えに出た修道女の案内に導かれ、孤児院長の執務室へと案内されていた。
「初めてご挨拶させていただきます。私はアスラール商会にて商会長をさせていただいております、アイヤールと申します。
敬虔なる神の使徒である院長にもご機嫌麗しく存じます」
そう言ってアイヤールは優美な動作でお辞儀をした。彼のいでたちは表向きの商談用に整えられており、大貴族の屋敷に出入りしても差し支えないほどのものだった。
「貴方があの『クルス』さまのご使者だったのですね。今回は教会に先んじて特別にお名前を明かしてくれたこと、私ら一同はとても嬉しく思っています」
孤児院の院長を務める老婆は、慎ましく応じた笑顔の下に強欲な期待をのぞかせていた。
目の前の男が、わざわざ使いを先行させて孤児院を訪れたのには、それなりの理由があると考えていたからだ。
まして前回は依頼主だけでなく自身の名すら名乗らなかった彼が、今回は正式に自身と商会名を乗っているのだ。
おのずと『何かがあるのでは』と期待せずにはいられなかった。
「いえいえ、我が主人は神を敬い、ご統治されている領内でも教会を篤く保護されております。
前回は他領ゆえに名を明かすことが叶わなかった事情を汲んでいただき、ご容赦いただけると幸いです」
リームから詳細を聞かされていたアイヤールは、目の前に座る老婆を最初から注意深く観察していた。
もっとも、数多くの人物を見てきた彼の眼は、言われるまでもなく彼女の本質を捉えていた。
『言葉は取り繕ろうとしているが、端々に人品の卑しさが滲み出ているな。
まるで目の前に餌を置かれて我慢のできない犬のようだ』
「それで……、遣いの方からは『内々に大事なお話がある』と伺っていましたが、私共は辺境で神の教えに従い孤児たちの成長を見守る立場の身、果たしてお役に立てるかどうか……」
『なるほど、この老婆は早速駆け引きを始めようとしているのか?
リーム殿が言っていた通り欲深そうな顔だ。言ってみれば獲物に夢中で足を掬われる悪徳貴族のと同じだな』
そんな思いはおくびにも出さず、アイヤールはさっそく本題に入った。
「我が主人は先日お忍びでトゥーレを訪れた際、とある少年をいたく気に入られましてね。
『孤児院から引き取り屋敷に迎えたい』とまで仰っているのですよ」
「そうですか……、それはとても光栄なことです。
ただ我らの運営する孤児院は、神の威光によて孤児たちの未来を託された組織です。
なのでめったな方には……。それに旅立つ子供と、送り出す子供たちの幸せを第一に考えておりますので……」
「ごもっともなお話です。我が主も先ずは神のご威光への感謝、そして子供たちの幸せは最も大切だと考えております」
(ふん、神のご威光ってか? 金貨のご威光と送り出す大人たちへの幸せだろうが)
「はい、そのためにも私たちが安心して送り出せるよう、しっかりとした保障は大切かと」
ここでアイヤールは、わざとらしく老婆を弄ぶことにした。
「それは少し困りましたね。内々にことを進めるように主からは申し付かっておりまして、家名を明かすことは戒められております。それを明かすことさえできれば、誰もがご納得いただけると思うのですが……」
(まぁでっち上げの話だから、家名もくそもないんだけどな。さて……、このババァはいつ本性を出すかな?)
「そうなんですか? それは残念なことです。
ですが私たちが、子供たちの未来を思う気持ちもご理解ください。
ただ、家名を明かされずとも、それなりのご身分であることを示すことはできるかと思います」
「なんと! そうであれば是非、非才なる我が身にもご教示いただきたいですね」
(どうだ? 自身から言ってみるか?)
そう告げると老婆は一瞬、何か舌打ちしたような表情になったが、すぐに何かを思ったのか笑みを浮かべて言葉を返してきた。
「私共の孤児院では、子供たちの可能性を広げるため、常日頃から広く教養を深める機会を与えております。お陰で多くの子供たちは文字を覚え、計算まで使いこなしております」
「なんと! 多くの子供たち、ですか?」
「はい、当方では八割以上の子供たちが読み書き程度ならできるようになっております」
そう言って老婆は胸を張った!
確かにこの世界の識字率で言えば突出している。
「素晴らしい! 私も主もこれまで、そのような孤児院の話は聞いたことがありませんぞ!」
(それはお前らの努力ではなく、リーム殿のお陰だろうが!)
「更に優秀な者には、その才能に応じた教育を施せるよう努力しております。ですが教育とは対価の掛かるものでして……。
清貧を常とし、様々な方々のご厚意で運営される孤児院としては、子供たちの才能に応えてやることが叶わないこともあります」
「なるほど、子供たちの未来のため教育を! 我が主も感銘を受けられることでしょう。
それならば子供たちの未来ため、喜んで支援を申し出てくれることでしょう」
そう言ってアイヤールが微笑みかけると、老婆も含みのある笑みで返してきた。
それに彼は敢えて了解したように頷いてみせた。
「ちなみに孤児を引き取るにあたり、その対価とはいかほどでしょうか?」
ここでもアイヤールは敢えて意地悪く質問した。その表情だけは、真摯なものに装いつつ……。
「いえ……、それは皆様の想い次第かと考えております。神への喜捨に規定された額がないのと同様に、他の子供たちの未来を願う額もご本人次第かと」
「なるほど……、私共も事前にトゥーレの町で聞き取りを行いましたが、多くの子供たちが金貨三十枚から五十枚ほどで引き取られているそうですね?
ではいかがでしょう? 神への感謝も込めてその倍額で引き取らせていただきますが……」
彼はリームが解体屋に残していた伝言、それに含まれていた情報の元で動いている。
まして百戦錬磨の商人である彼は、情報の裏取まで済ませた上でこの場に居るのだから。
そんなことを知らぬ院長は、彼の言葉を聞いて大いに動揺した。
本来なら対価は、斡旋する教会と引き取り先が結託し、世に出ることは決してないからだ。
引き取り先でも十分に元を取るために、少なくとも十年以上は無報酬で孤児たちを使う。
両者が互いに利益を得ることができるよう、裏で結びついているからだ。
だがアイヤールは、リーム経由でクルトがもたらした情報を正確に把握し、その使い所を心得ている。
もともと教会や孤児院を胡散臭いと思っていた彼が、好意的に交渉に臨むはずもない。
「それは……、能力や素養の低い子供たちに限ったお話です。子供たちによって対価は変わりますので、一概に今のお話が正しいとは言えませんね」
そう言うと院長は明らかに憮然とした表情になった。
「なんと、神の前では子供たちは全て平等、そう教会では教えられていると聞き及んでおります。
子供たちの対価に差を付けることはその教えに反しませんか?
敬虔な信者であるわが主に、後日になってお叱りを受けるやもしれませんので……」
「基本的には仰る通りです。ですがより多くの可能性を持つ子供には、より多くの機会が与えられるべきです。それに応じ対価変わることは不思議ではないと思います」
(程度の低い話のすり替えだな。子供たちに与えられるべき機会の話が、いつの間にか引き取りの対価に変わっていやがる)
「加えて……、優秀な子供たちがより高額で引き取られることで、残った子供たちの未来を繋ぎ支えていけるのです。子供たちの誰もがそう願っておりますから」
(ふん、言っておいて罰の悪さに気付いたか? 最初からそう言っておれば良いものを)
「なるほど、より優秀な子供は、残る子供たちのためにより多くを残さねばならない。
そういうことでしょうか?」
「ご使者様のご理解が早くて助かります。全ては孤児院に残る者たちのため。
因みに引き取りたいとお望みなのは、どの子供でしょうか?」
「そうでした、すっかり失念しており大変失礼いたしました。リームという子供で、まだ十歳になったばかりと聞いております」
「リームですかっ! それではお話は特別なものにならざるを得ませんね。
あの子は飛び抜けて優秀です。そしてまだ確認も……、いえ、お目が高いと驚きました。
彼は既に教会からも将来を嘱望されている身です。私も簡単に説得することは……」
この言葉は正しくもあり誤りでもあった。
幼いころから神童と呼ばれていたリームも、七歳になるのを境に一気に伸び悩んだ。
今は学業の成績では上級待遇にやっとしがみつく程度でしかない。
そしてもうひとつの功績である野外採集も然り。
雑草に目を付け食用にしたことは大きな功績だったが、その採集も利用方法も、今や多くの孤児たちが学んでおり彼が抜けたとしても穴は大きくない。
まして資金繰りが苦しくなった教会側は、彼の対価として金貨百枚でも渡せば文句はいわないだろう。
そんな打算も彼女の中にあった。
そのため言葉とは裏腹に、獲物を目の前にしたように口角を釣り上げていた。
その変化を見たアイヤールは、敢えて一石を投じた。
「なるほど、では私は尋ねる先を間違えてしまったようですね。我が主はその……、いたく少年にご執心でして金貨に糸目をつけないと申し使っていたので……」
そう言うと彼は、本当に席を立とうとする素振りをみせた。
その間に老婆はめまぐるしく表情を変えた。
第一に、万が一教会の方で話を付けられてしまえば、ただ従うだけの自身には何の『うまみ』もない。
第二に、使者は金貨には糸目を付けないと言った。
そうであれば交渉において自身が有利であり、あとは教会側を言い含られる程度の金額をせしめるだけだ。
「孤児院のことは私が一任されております。教会側には子供たちの進路を決める権限はありません。
それに……、教会で話が付けば残された子供たちへの恩恵はありません。そうなれば依頼されたお方のお心にも反するのではありませんか?」
その言葉でアイヤールは、再び座り直した。
「それは一理ありますね。ではいかほどの額であれば全てが丸く収まるとお考えですか?」
核心に迫る質問に、老婆は嫌らしく笑い表情を歪めた。
「そうだねぇ……、最低でも金貨五百枚、それと身元を明かしていただけないなら、『保障』として金貨二百枚は必要かね。もっとも、教会なら千枚は要求してくると思うけどね」
これで交渉の主導権を握ったと考えた老婆は、一気に口調を変えた。
本来の性格のままに……。
『なるほど、これが聞いていた通りの強欲な婆の本性か? まぁ俺にとってはこっちの方がやりやすいんだけどな』
当然のことながらアイヤールもまた、本来の姿である海千山千の商人の顔を隠していた。
ここから交渉の第二幕が始まる。




