ep105 祭りの前夜
この日トゥーレでは新辺境伯就任を祝う記念行事(力比べ大会)を翌日に控え、町を挙げてお祭り気分が広がっていた。
それを見越して町に集まっていたのは、元よりトゥーレや近郊に住まう者たちだけではない。
他の地域から職を求めてやって来た一時滞在者や、直近の布告により移動を禁じられていた獣人たちも含まれていた。
ただ獣人たちだけは自由な滞在が許されず、これに併せて貧民街に設けられた『専用区画』へと案内されていった。
公式には彼らを『不貞な反乱分子から守る』と言う名目のもとに……。
その様子を眺めていたトゥーレの住人は、以前とは違うある違和感を感じていた。
「おい、なんか祭りの前から何かやっていたと思ったら、あれは何だ?」
「ん? あの専用区画のことか?」
「ああ、貧民街で以前に獣人の奴らが住んでいた部分との境界だけ、なんか変な感じになっていないか?」
その言葉通り、本来なら貧民街は狭い道が入り組んでおり、その一帯には雑多な形で粗末な住居が立ち並んでいたはずだった。
しかし今は獣人が住んでいたエリアとヒト種が住んでいたエリア、それらの境界部分だけ全ての建物が取り潰され、不必要に幅の広い道路が周囲を囲んでいた。
「いつの間にかここに住む獣人や貧民たちも大きく数が減っちまったからな」
「それと何が関係あるんだ?」
「減った奴らの空き家には新たに流れ者どもが住み着き、最近はここら辺りも危なっかしい場所になっていただろう?」
「そうだな、だが流れ者どもは領主様によって追い出されたって話だぜ。奴らは皆、新しい開拓地の人足として連れて行かれたって聞いたぞ」
「お前は何も知らないんだな? 領主様からはトゥーレの町を作り直すって布告が出ているが、それを無視したゴロツキ共がまだ貧民街には居るって話だ」
「本当かよ! そらゃあ物騒な話じゃねぇか?」
「だからだ、そういった奴らの隠れ家にならないよう、今後は貧民街を取り壊すって話らしいぞ」
「なら周りを取り囲むように取り壊された空き地はなんだ?」
「一度は貧民街を更地にするにしろ、瓦礫を運ぶ荷馬車の通る広い道がいるだろうが! もとの貧民街なんて馬車一台すらまともに通れない、ごちゃごちゃの細い道ばっかりだったんだぞ」
「じゃあ、あの中に案内されていった獣人たちはなんだ?」
「奴らは元々トゥーレに住んでいた獣人たちじゃねぇよ。おおかた祭りに参加するため集まった、近隣の村に住んでいる力自慢と見物人だろうよ。
祭りの後は瓦礫撤去の人足として雇われるって話らしいぜ。
専用区画はそういった人足や、まだここに残っている獣人たちが住まう場所だって聞いたからな」
「それにしては穏やかじゃねぇぞ。専用区画の周囲には柵が巡らしてあるじゃねぇか」
「ははは、それも公式には獣人たちを守るためだそうだ。流れ者たちはトゥーレの流儀を知らんからな。
子供の獣人をさらって売りつけようとする輩もいるらしいから、おちおち安心して寝てもいられないだろうよ。
ただ……」
「何だよ、その何か含みのある物言いは」
「獣人たちのなかに、魔の森で反乱を起こした者の残党が混じっていて、不逞な企みを抱いている奴らもいるって噂だからな」
「ほ、本当なのか?」
「噂だ……。だけど考えてみろよ、反乱があったのも事実だし、そのあとで獣人たちの出入りが禁じられたのも事実だ。そう考えたら……」
「じゃあ何で奴らの移動を許したんだよ?」
「情け深い領主様のお慈悲って話らしいぜ。せめて祭りだけは楽しめるようにってな。
まぁ色んな意味で、柵の中に押し込めておけば安心だろう?」
このように無責任な噂は至る所で囁かれていた。
この噂を流したルセルたちの意図するままに……。
そして大会前夜、事態は一連の噂に答えを与えるべく動き始めた。
◇ トゥーレの貧民街 専用区画
日が沈んだあと、暗闇からまだ少年といって差し支えない影がゆっくりと専用区画に向かって忍び寄った。
彼の進んだ先にある専用区画からは賑やかな喧騒がこだましていたが、その影はまるで羽にように音もなく飛び上がると強固な柵を越えて中に忍び込み、喧騒がこだまする一角へと進んでいった。
「旦那っ、お待ちしていました」
それを待ち受けていたかのように、体躯のいい獣人が建物の陰から忍び寄り、その少年に跪いた。
そして二人は、方角を変えて建物の一角へと進むと、その中に消えていった。
「ガルフ、出迎えありがとう。状況はどうなっている?」
「はい、元からここに居た奴らの多くは前回の臨時定期便でフォーレに行き、囮の我ら二百名と入れ替わってます。あとはハナから向こうに行きたがらなかった『変わり者』の同胞とその家族が六十名ほどですね。
それと問題が……」
「近隣の村から連れて来られた獣人たちかい?」
「まぁ……、奴らもフォーレの話は知らない者たちがほどんどで、俺たちの話も半信半疑ですからね。
ただ、どの村でも女子供も含め祭りに参加しない者たちも強制的に全て駆り出されているそうです。
そのため合計で三百弱ってところですかね」
その言葉を聞き、俺はもう確信せざるを得なかった。
ルセルは本気で全ての獣人を排除する気だと……。
彼は既に一千名以上の獣人たちを殺した。
実際は殺せていないのだけど、そう思っている。
そのため心のどこかで彼らの復讐を恐れているのかもしれない。奴が二度目の俺の最後知っているのなら、当然のことながら将来訪れる禍根の芽は全て摘みにくるだろう。
「問題なのはヒト種の流れ者たちです。勝手にここ貧民街や裏町に住みついた奴らも、今回は強制的に専用区画に連れてこられています」
「あれ? そういった者たちは全員、開拓地の人足として送り込まれたのでは?」
「そういった仕事に就く者たちは仰る通りでが……、真っ当に働きたくない者、女子供で働けない者などは別です。しかも働きたくない者の多くは犯罪者やゴロツキ共ですが……、どうします?」
「ちっ! 奴め、余計なことを……」
今回の件で、ルセルは裏町や貧民街から犯罪者やゴロツキ、その予備軍で指示に従わない者たちを一掃する気なのだろう。
全ての責任を獣人たちに擦り付けて……。
「見殺しにはできないな……。だけど今は人物の判定をしている時間もない。一旦はフォーレに送るが、その後はあのトンネルからお帰り願おうか。
それで、何人ぐらいかな?」
「およそ二百人ってところでしょう。そのうち女子供は五十人ってとこですか。全員が『獣人と一緒に居るのも汚らわしい』と言って、別の場所で領主から与えられた餌(酒や食事)にありついて騒いでますよ」
なんか……、増々救いたくなくなる話だな。
ガルフが問題だと言っている意味が分かった気がする。
それに……、外まで聞こえた喧噪も奴らが飲んで騒いでいたからか。これから殺されるというのに、いい気なもんだ。
「おそらくだけど奴は今夜中に決行するだろうな。
まずは今すぐ『変わり者』たちとその家族、村から来た者たちを先に移送させる。この際だから説明は後回しで強制的にでも構わない」
此方には戦士団に所属する屈強な二百人の獣人がいる。
同じ獣人同士だし、家族含めて三百六十人程度なら多少は強引でも連れて行くことは可能だろう。
「そのあと申し訳ないが囮として来ていた者の中から五十名は『荷物』を持ってこちらに戻ってきてほしい。彼方の準備はできている」
「ははは、再び『空城の計』ですな?」
「ははは……」
まぁ本来の意味では、前回のも今回のも『空城の計』とはちょと違うんだけどね。
ただ奴の罠を、今回も有効的に活用してやるさ。
「あと、最初の送り出しが済んだら、向こうの出口には三十台ほど馬車を用意するよう伝えてほしい。外を見せずに暫くはフォーレの中を連れ回してから、休耕地の簡易テントに送る。先に送った獣人たちは別にするので、彼らは一般用の宿に案内してほしい」
本来は獣人たちも、先ずは簡易テントに送る予定だったんだけどね。
念のため一般用の宿も丸々借り上げて押さえていたので急遽対応を分けることにした。
「ガルフには戻って来る五十名の指揮を任せたい。『荷物』の配置が終わったら事が始まるまで待機し、始まると同時に流れ者たちを避難用のトンネルに誘導、そこで待機させて順次送り出す手配を!」
この辺りの段取りは、既に何度も打合せしている。
事前にフォーレでも準備もしてきた。
そして……、ここからが命懸けの脱出劇となる!
◇
俺の指示に従い、屈強な獣人たち二百名は一斉に動き出した。
だが、同じ獣人であっても、救われる側の者たちは各所で抗議の声を上げ始めていた。
「お、おいっ! 何だよ。俺たちは行かねぇって言ってるだろうが」
「待ってくれ! 明日の祭りで俺は賞金を取るためにここに来たんだ!」
「ちょ、ちょっと! 無理に引っ張らないでおくれよ!」
「おいっ、まだ食事中だぞ! せっかく酒と料理をもらえたって言うのに……」
ここでヒト種の俺が介入しないほうがいい。
それにかつてはこの貧民街を取り仕切っていたガルフと彼に従う屈強な二百名の戦士団、この圧力は効果的だった。
彼らは文句を言いつつも、結局は指示に従ってゲートの向こう側へと消えていった。
そして……。
今度はガルフたちがそれぞれ五十個の木箱や樽を抱えてフォーレから戻って来た。
「彼方はアリス嬢ちゃんに話を付けてきました。『任せてっ!』とのことです」
街づくりの初期段階から、アリスはいち早く獣人たちに受け入れられ彼らの信頼を勝ち得ていた。
まして今や彼女は『神獣様のお友達』という評価まで得ているらしい。
「配置が終わったら、十名は俺とともに、残りの四十名は闇に紛れて外の様子を監視してくれ。
事が始まれば監視役は十名ずつに分かれてトンネルへの誘導、トンネルの入り口、中間、最奥のゲート前に分かれて配置に。
なお危険になったら残ったヒト種に構うことなく、迷わずトンネルに飛び込むこと、これは俺からの命令だ!」
そう、大事な仲間をゴロツキたちを救うために失うなんてあり得ない!
俺の言葉と同時に、四十名は散っていった。
さて……、ここから先が頭の痛い話だよな。
俺はこれから始まる脱出劇のプレッシャーではなく、これから危険分子を抱え込むことに頭を悩ませ、胃が痛くなるような思いでいた。
いつも応援ありがとうございます。
次回は10/13に『業火に沈む町』をお届けします。
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