ep96 張り巡らされた計略
俺たちは餓狼の里にて『空城の計』を成功させると、敵軍に気取られないよう密かにゲートを抜け、全員がフォーレへと引いていた。
撤退を完了し再びフォーレに集った誰もが、本来なら負け戦であるにも関わらずその表情は明るい。
「ははは、それにしても領主の奴、俺たちの残した言葉にはあからさまに怒り狂ってたな」
「それでとんでもない魔法を放ってきやがったが、幾ら乱発してもウチの領主様のお陰でなんともなかったけどな」
「それに折角手に入れた里も、もぬけの殻で何も残っていないときたもんだ、ザマーみろってな」
「何も残ってないだけではないぞ、誰一人として討ってないんだからな。それを知らず勝ち誇ってもザマねぇぜ」
「何もじゃねぇぞ、領主様の機転でこれまで狩った魔物の骨をわざわざ運び込んで残してあるからな。
奴らはそれを俺たちの亡骸と勘違いしているだろうさ」
「確かにな、それで浮かれていてもザマねぇ話だな」
以前は『意地を見せて全滅もやむなし』と言って頑なだった餓狼の里の獣人たちも、戦いには敗北したにも関わらず各所で笑い声を交わしながら祝杯を上げていた。
だが、俺にはまだ先の懸念があった。
もちろん俺以外にもそれを感じ、この先の未来を懸念する者がいた。
「我が主君……、我らもヒト種との戦いにはそれなりに自信を持っておりました。ですが……、あの魔法攻撃は侮れません。我が主君の講じた計略がなければ、我らは手も足も出ず全滅させられていたでしょう」
そう言ってヴァーリーは深刻な表情をしていた。
彼は魔法攻撃を多用してくる上位種の魔物との苦い交戦経験がある。だからこそ厳しさを肌身で感じているのだろう。
それに神威魔法を使う奴は、魔物でいえば上位種というよりも深淵種に近い。
なので破壊力も遥かに上だ。
「だからこそ今回は時間稼ぎかな。俺たちも対抗できる手段は模索しているけど、まだ時間が必要だからね」
魔法には魔法、俺たちには敵を優に上回り圧倒するだけの魔法戦力を確保しなければならない。
シェリエや俺の指名した彼女の部下だった者たちが揃えば……。
クルトが儀式の『特別な作法』を入手できれば……。
本格的にルセルと対峙する前に、これらの点については目途をつけておきたかった。
だからこそ今は時間が必要になってくる。
「魔法は魔法で封じる手段を構築するし、そうなれば鍵となるのはヴァーリー指揮する戦闘団だ。
なのでその日を見越して変わらぬ鍛錬をお願いしたい」
それよりも目先の懸念がまだある。
そう、もっとも差し迫ったもう一つの危機が……。
「商会長、今日は帰るのを諦めますが、明日は朝一番でここを立ちモズに向かいます」
そう、トゥーレまでの移動だと俺でも今から日没には間に合わない。街道ならまだしも、夜の魔の森を高速で駆け抜けるなんて絶対に無理だ。
そもそも真っ暗な森だし、火魔法で周囲を照らせば周辺の魔物に狙ってくださいと言っているようなものだしね。
「はい、我らも商会を挙げて情報の収集を指示しております。トゥーレとノイスの動きはモズに集約できるように手配しておりますので。
リーム殿は……、やはり領主が動くと?」
「はい、おそらくは……」
結果的に餓狼の里での攻防戦は俺たちが準備し描いていた『絵』の通りになった。
だが……、そこに至るまでの課程は決して想定通りではない。むしろ裏をかかれたと言っても過言ではない。
「おそらくこれで終わりではないでしょう。彼方もまた策を巡らしながら、周到に準備を進めていたのだと思います」
ルセル側の立場に立って考えれば単純だ。
実のところ奴は獣人の動きを警戒していた。奴自身が獣人を敵側と考えていたようだし。
だが今となっては奴に後顧の憂いがない。
ならばこの先、領都ガデルで巻き起こっている騒乱にも心おきなく介入してくるだろう。
一体奴は今回の騒乱で何を目指しているのか?
考えたくは無い話だが、今の俺たちにはそこに考えを巡らせるには情報が足らなすぎる。
既に先手を打たれているだけでなく、思惑が不明ななか、優先すべきことを定めて逐次対応していくしか道は残されていない。
「バイデル、今の俺にとって最悪の事態とは何だと思う」
「それは……、次のブルグにルセル様が指名されることでしょう。そうなれば麾下の兵だけでなく、新たに八千以上の兵が指揮下に入ります。
また経済力もトゥーレ領主と辺境伯では隔絶した差があります。そうなれば彼我の戦力差は絶望的なものとなります」
そうなれば軍事力の増大も増大だけではない、下手をすると俺たちの存在が辺境伯領全体、領民たちの敵として討伐の対象にされる可能性すらある。
正直言って本来ならまだ十年近く先だと思っていた奴との正面対決が、いきなり明日にやってくる事態にもなりかねないのだ。
「常識的に考えれば奴は嫡出子と認められたといっても末弟、後継者候補の中で最も継承順位は低いと思うけど……」
「通常であればそうです。たとえ騒乱を鎮圧する功績を上げたとしても、これはあくまでもお家騒動の類です。王国に貢献した訳ではないので順序を違えることはないでしょう。ただ……」
「男爵という身分によって逆転も可能だと?」
「それもあります。ですが今の懸念事項は別にあります。仮に他の後継者候補が全て亡くなった場合、または統治能力が著しく欠如していると認められるような醜態を晒した場合、王国の判断としてそうなる可能性は十分にあります」
だよね……、やっぱり。
バイデルの言う通り、今の時点で奴がブルグになるのは最悪の筋書きだ。なのでそれだけは絶対に阻止したい。
「その対策として出来ることはあるかな?」
実際にバイデルが懸念した事態になった事実を俺は知っている。
なんせ俺自身も二度目の世界では、生存していた兄たちを押し除けて最終的に辺境伯となった事実があるのだから。
あれは前回の俺が二十二歳の時だったが、あの時はバイデルが指摘したような事情があった。
侵略した隣国との戦いで長兄率いる軍は敗北し、三男は戦死して辺境伯領は敵軍によって大きく侵食された。
それを撃退して敵軍を押し返し、領地を取り戻して王国の国境を守ったルセルが、その功績により防衛戦でで失態を犯した当主(長兄)に代わり、王命により新たな辺境伯として任じられたのだから。
先ほどバイデルが言っていた王国への貢献、そして長兄や他の兄に任せたままでは王国の領土を維持できないという不安、ふたつの公的な理由が王国にあったからだ。
「まずは伝手を使い王都で事前に働きかけておくことが肝要かと思われます。
それに加えそれぞれの後継者候補の後ろ盾となっている伯爵家、子爵家、男爵家への工作を進めること、これが功を奏せばある程度の落としどころを付けられるでしょう。
ただ……」
そうだよね。
阻止はできても絶対にルセルは勢力を伸ばすことになる。これは止められないだろう。
「それは仕方のない話だと思う。モズで情報を収集したら俺はガデルに入ってゲートを開き、妹を救出する。バイデルと商会長は入れ替わりでガデルから王都に足を延ばしてもらえるかな?
工作に資金が必要ならば幾ら使ってもらっても構わない」
「もちろんです」
「承知いたしました」
あまり人の足を引っ張るのは気持ちのいい話ではないけど、この際だから躊躇してはいられない。
奴の悪意が動き出す前に……。
俺は覚悟を決めざるを得なかった。
◇◇◇
翌朝になって大急ぎでフォーレを立った俺は、日が中天に差し掛かる前にモズへと到着した。
そして到着早々、アスラール商会の者から驚愕すべき報告を受けた。
そう、ルセルは既に俺より一歩先を進んでいたのただ!
「それで、領都方面に派遣された兵の規模は?」
「約五百騎です。昨日にこの町を通過しましたので、遅くとも明日には領都に到着するかと思われます」
「くそっ、奴にとって餓狼の里への攻撃も全て、壮大な戦略の一環に過ぎなかったということか……」
俺は再び自身の甘さを思い知らされていた。
ルセルは餓狼の里に対し大規模な攻略戦を挑み、領都の騒乱には手が出せないように思わせる一方、本人に先行させて領都鎮圧の部隊を派遣していたのだ。
俺たちだけでなく奴の支援を期待していた兄たちすら欺いて。
「その軍に領主は含まれていたかい?」
「厳密に確認はできておりませんが、騎馬隊の中には見当たりませんでした。
ですが昨夜、トゥーレの町には魔の森へ遠征に出ていた百騎の騎馬隊だけが先行して戻ったようです。
ただその中には領主の姿はなかった模様です」
なるほど……。
俺が五芒星の力を借りて常識を超えた速度で移動できるなら奴も然り、そういうことだろう。
きっと奴は戦いが終わったのち、直ちにガデルへと向かった騎馬隊に合流すべく動いていたようだ。
「勤勉なことだな……。
では今よりフォーレにゲートを開くので、誰か向こうに行って商会長とバイデルに状況を伝えてほしい。俺はこの足でガデルに向かう!」
奴は……、ガデルで何をする気だ?
俺は奴に一日出遅れた形になったが、それが致命的とならないことを願うばかりだった。
商会の人間を送り出すと、再び俺は先を急ぎ駆け出した。
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次回は9/16に『真の策謀が示すもの』をお届けします。
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