ep9 お互いの疑念
アリスが卒業するまで、残された時間は限られている。
俺は五歳になるまで、新たに二つの試みを精力的に行っていた。
試みの一つ目は、勤労待遇の孤児たちに勉強を教えることだ。
アリスの急成長と中級待遇に移った経緯を知った孤児たちは、進んで自主勉協会に参加しだした。
その中には同じ中級待遇の子供や、アリスより年長の勤労待遇の子供たちまで含まれていたが……。
「みんな、リームは毎日忙しいなか私たちに教えてくれているのよ。そのことを忘れないで。
文字を覚えた人は、まだ文字が書けない人に教えてあげること。分かった?」
いつの間にかアリスも、子供たちに文字や計算を教える教師役にまで成長していた。
この一年でもともと利発だったアリスは、更に成長していたからだ。
勉強だけでなく、俺の影響を受けたのか言葉遣いも急に大人びてきたのは予想外だったが。
おそらく八歳を目前にした彼女の口ぶりは、もはや中学生レベルと言っても差し支えなかった。
だけど……、俺と話す時だけ彼女は何故か幼児退行する。
言葉遣いも、七歳相当のものになるのは不思議だったが……。
今の彼女なら、近いうちに上級待遇に進むことも明白と言える。
「私はリームのお姉ちゃんだからね。この先もずっと……」
時折そんな不思議な言葉を俺に言ってくるようになった。
もしかして……、俺が五歳になって上級待遇に進んだとしても、自身も直ぐに同じ待遇に昇格し引き続き『お姉ちゃん』と呼ばせるために努力しているのか?
ルセルが知る以前の『アリス』と、今の俺のお姉ちゃんである『アリス』のギャップに、俺は時折苦笑せずにはいられなかったが……。
◇◇◇ リーム 五歳
そして俺が待ちに待った五歳となったある日、遂に薬草採集に出かける日が訪れた。
俺とアリスは、出発前にまず院長先生にお礼を言うため、彼女の部屋を訪れた。
「今日より野外採集に出発いたします。これまでのご配慮、ありがとうございます。
神への感謝を表すため、誠心誠意頑張って来ます」
「院長先生、私たちの我儘を叶えていただき、ありがとうございます。
私も任された責任を果たすため、感謝するとともにリームと私が足を引っ張らないよう努力します」
「他の者に迷惑を掛けるんじゃないよ。約束(迷惑を掛けたら特別な対応は中止する)を忘れるんじゃないよ」
こちらを見ず、ただぶきらっぽうにそう言った彼女は、アリスを見て視線を止めた。
最近になって美少女の片鱗を見せ始めたアリスに向かい、今度は笑顔で言葉を掛けた。
「アリス……、少し見ないうちに見違えたね。私の目に狂いはなかったようだね。
教養ある娘は働き口も多い。これからも変わらず頑張るんだよ」
『ちっ、この婆ぁ見え透いているんだよ!』
思わず俺は心の中で悪態をつかずにはいられなかった。
アリスがこのまま教養を身に着けて美しく成長すれば、貴族や高級娼館に高値で売れると考えて、皮算用でもしているのだろう。
そうでもなければ、酷薄な彼女がアリスの成長を喜ぶはずがない。
だけど、それは俺がぶっ潰すけどね。
そう、今日がそのための第一歩になるのだから。
不愉快な挨拶を終えたのち、俺とアリスは連れだってクルトの元へと挨拶に向かった。
アリスは別として、俺自身はこれまでクルトと全く接点がなかった。
何故なら俺が二歳の時点でクルトは儀式を受けて魔法士と認定されており、早々に教会に囲われていた。
そのため彼は、孤児院にて学ばず採集の日以外は、ほぼ教会で過ごして教えを受けていた。
夜になって孤児院に戻ってきても、特別待遇のクルトには個室が宛がわれていたため、大部屋で過ごす俺たちとはすれ違いが多かった。
俺が遠目に彼を見ることはあっても、直接会話する接点や機会は全くなかった。
「クルトさん、本日はどうぞよろしくお願いします。
初めてのことで何かとご迷惑をお掛けするかも知れませんが、精いっぱい頑張ります」
「クルトお兄ちゃん、私もリームのお姉ちゃんとして頑張るー。よろしくお願いします」
アリスは元々クルトに懐いていたのか、その口調は本来のアリスになっていた。
それを見て俺が笑うのと同様に、クルトも笑っていた。
「ははは、君が教会でも噂の神の御子だね。本当に五歳とは思えないね。びっくりしたよ。
アリスも元気だったかい? 急に成長したと聞いたけど、今の挨拶だけ聞くとリームの方がお兄ちゃんみたいだね」
「ぶぅー」
痛いところを突かれたのか、アリスは可愛く頬を膨らましていた。
こんなところは八歳の少女と言っても違和感ない幼さだった。
孤児院で行われる薬草採取の奉仕活動は、基本的に五人一組でチームを作り、それが四組から五組に別れて出かけていく。
孤児院を出るとそれぞれがグループ単位で行動し、トゥーレの町の城門を出てしばらく進んだ森の中で採取を始める。
かなり先にある森の奥地にまで進めば、そこから先は魔の森と呼ばれる領域となり、非常に危険な場所とされているが、町から近い森の辺りは比較的安全だと言われている。
もっとも……、稀にその辺りまで魔物が出てくることもあるのだが。
採集班でも数年に一度は魔物と遭遇したこともあり、過去には魔物に襲われて死亡した孤児もいたらしい。
ただそれは、今の防衛ラインが魔の森との境界に敷かれる前の話だ。
「いいかい、アリスとリームは、決して僕の傍から離れないこと。これは約束。危険なことが起これば大声を出すので、必ず僕の後ろに隠れるんだよ。
この約束を守れなかったら、次からは連れて行かないからね」
「はーい」
「はい、分かりました」
どうやらクルトは、万が一魔物が出た際には皆を守る役割も担っているらしかった。
彼が魔法士ということは周知の事実だが、何かしらの魔物に対抗する手段を備えているのか?
彼の魔法スキルとは一体……?
日の出と共に孤児院を出た俺たちは、小休止を挟みながら、それなりの距離をずっと歩いていた。
クルトから聞いたところによると、野外採集は日の出に出発し日没までに町に帰ることが前提で、その時間の四分の一が往路、四分の二が採集、四分の一が復路になるよう時間配分されているらしかった。
季節によっても変わるけど移動で往復六時間、採集は六時間というところか?
それなりに過酷な作業だな……。
「リーム、重くない? 疲れたらお姉ちゃんが持ってあげるからね」
移動の中でも、アリスは何度もそう言っては、俺を気遣ってくれた。
自身もきついだろうに、不満ひとつ言わずに頑張って『お姉ちゃん』している姿が、とてもいじらしくすら思えた。
というのも俺たちは全員、事前に採集用具や水袋などが入ったリュックを渡され、『自身の荷物は自身で運ぶこと、これが採集に出る最低条件』だと強く言い渡されていたからだ。
そのため、途中で補給するとはいえ、水袋だけでもそれなりの重さがある。
普通なら五歳には負担の大きい荷物だったが、孤児院側は俺に対しそんな配慮などなかった。
きっとこれも、俺が途中で音を上げると踏んで、意図的に行っているのだろう。
だけど俺は、そんなことは全く問題にならなかった。
なんせ、ゴミスキル認定していたとは言え、空間収納能力(四畳半ゲート)が俺にはあるからだ。
中身の荷物はこっそり全部そちらに移し、代わりにかさ増しのための布切れを詰め込んでいる。
なので取り出す時にだけ、リュックの中で中身を入れ替えれば済む話だ。
片や他の孤児たちは……。
体力的にも慣れているのか、皆笑顔で意気揚々と歩いていた。
何故なら危険な奉仕である採集も、実は孤児たちにとっては人気が高い。
第一に、孤児院の外には特別な許可か、何らかの奉仕活動でもない限り出ることができない。
町を抜けて森まで移動する採集を、孤児たちはちょっとしたピクニック気分で楽しめるからだ。
第二に、むしろこちらの方が大きな理由になる。
季節にもよるが森の中には、果実やキノコ、そして木の実などが豊富にある。
日々少ない食事しか与えられない孤児にとって森は、腹を満たせる食材に溢れているからだ。
採集活動は規定量の薬草さえ持ち帰れば、そういった食糧は採集した者の物となるのが暗黙の了解らしく、孤児たちは自身の腹を満たす絶好の機会と捉えていた。
これも危険な採集に孤児たちを従事させる、悪辣な餌のひとつなのか?
俺はそう考えずにはいられなかった。
だが……、危険であれば何故、虎の子とされたクルトを採集に出すのだろうか?
そもそも子供たちだけで採集に行かせるというのも、よくよく考えてみるとおかしな話だ。
俺の中にはそんな疑念が沸き上がっていた。
そんな俺の思いは他所に、森へと進む孤児たちの足取りは軽く表情は晴れやかだった。
街を出ると直ぐ目の前に広がる林を抜け、俺たちはしばらく間、森の中を流れる川のせせらぎに沿って進んだ。
そしてある地点まで進むと、クルトが立ち止まり全員に声を掛けた。
「じゃあ、ここで休憩するよ。皆、いつも通りに準備を始めよう!」
クルトがそう言うと、子供たちは一斉に歓声を上げて走り出した。
町を出て別行動をとっていた他のグループも、いつのまにかこの場所に集まっていた。
そして……、
ある者は魚を獲るためか川に入り、ある物は予め何かを仕込んでいたのか罠のような物を確認し始め、ある者は竈のようなものを準備したあと薪を集め始めた。
クルトはそれを見るや、火を起こすためか竈をのぞき込んでいた。
まるで其々が自分の役割を知っているかのように動いている。これは一体……。
「そういうことか……、野外採集のメリットがこれか。ここなら孤児院や教会の目も届かないし、子供たちが飢えをしのぐ絶好の機会になるという訳か」
魚を捕まえたのか、歓声を上げる孤児たちを見て、俺は独りそう呟いていた。
だが……、俺の呟きを聞いている者がいた。
「そうだね。でもそれだけじゃないよ。この後僕らは、少しでも多くの食料を森から持って帰る。
飢えに苦しんで待っている子たちのためにも、ね」
慌てて振り返ると、俺の後ろには竈で火を起こしていたはずのクルトが立っていた。
野外で火おこしするには、それなりに時間が掛かるはずだ。なのに何故……。
竈の薪には既に火がつき、いつのまにか赤い炎が揺らぎ煙が立ち上っていた。
「僕は院長先生から君の話を聞いた時、とても驚かされたよ。
そして同時に、三つのことを疑問に感じた。折角だし、ちょっと教えてもらっていいかな?」
クルトは俺に対し、聡明そうな顔を真っすぐに向けて対峙した。
彼の顔は笑っていない、むしろその瞳には猜疑の色さえ浮かんでいた。
なるほど……、クルトは俺の行動に疑問を抱いていたわけだ。
だがこの状況は俺にとってむしろ好都合だ。
腹を割って話をしたかったのは、俺だけではないということか。
ここでクルトの思いを確認し、一気に仲間として引き込むことができれば……。




