ep92 始まりは唐突に
不穏な兆しだけを抱えたまま徒に時は過ぎた。
俺が十二歳の時点で起きた大きな変化といえば、妹と本当の意味で分かりあえたことぐらいだろう。
もちろんあれ以降も、兄と妹として『節度を持った』文通は変わらず続いている。
ただ彼女は時折、俺のことを『愛しいお兄さま』と呼んでくるのだが……、きっと悪戯心からだろう。
うん、そう思うことにしよう。
その間もルセルはトゥーレで着々と軍備を整えていたが、餓狼の里への侵攻もなく一年が過ぎていた。
唯一の変化といえば、この年になって本格的に魔法士発掘に向けて動き出したことだった。
もしかすると奴は、そのために獣人の里を支配下に置き、彼らの力で魔石を集めたかったのか?
それとも魔の森を本格的に攻略するため、足掛かりとして地の利がある彼らの里を確保したかったのだろうか?
その辺りは未だに定かではないが、獣人たちの里は奴の傲慢な申し入れに対し『無視』を決め込んでおり、それに対する奴のリアクションはない。
ただ、奴は教会に対する態度を軟化させていた。
幾ら教会を脅して魔法士を発掘させようとしても、そもそも教会に十分な量の魔石がない。
何故なら奴自身が追い詰め過ぎたせいで、魔石を購入する資金力すら失わせていたからだ。やっとその事に奴は気付いたようだ。
「もしかすると教会上層部の誰かが、万策尽きて領主に教会の秘密を売ったかもしれない」
クルトはそう言って呆れていた。
なんせ俺たちは、娼館に送られる予定だった者を含め、既に八人の修道女を救いフォーレに迎え入れていたからね。
俺たちが救わなかった(娼館に送られた)者も含めると、教会に在籍していた若い修道女は既に半数以上が教会から姿を消していた。
「行方不明になった修道女たちは、身の危険を悟って密かに身を隠してたらしいぜ」
トゥーレの町では、まことしやかにそんな噂が囁かれているそうだ。
そんな状況で教会の窮状と領内の魔石不足に業を煮やしたのか、ルセルはここ最近になって頻繁に魔の森へ兵を出し、積極的に魔物を狩り始めた。
主力となったのは魔物との戦いに慣れた古参の駐留軍だが、たまに奴自身も陣頭に立ち、五芒星の力を使って魔の森を蹂躙し始めているらしい。
わずか十二歳にしてルセルは『領民たちを守るため自ら陣頭に立ち、人々の暮らしを脅かす魔物を討伐する英雄』とまで称されているらしい。
なんか奴の事情が推察できるだけに複雑な気分だな。
今も奴は着々と経済を発展させながら兵力を充実させ、そして名声を高めている。
ただ、唯一思うに任せないのが教会での魔法士獲得の儀式、それを可能にするための魔石を調達することのようだ。
彼らが狩っている場所は、あくまでも魔の森の入口付近、その辺りでは殆どの魔物が雑魚かつ魔法を行使できない(属性を持たない)ものばかりだ。
たまに中位(地威魔法を導く)の魔物が狩れることはあっても、その数は限られており肝心の属性待ちではない場合も多々ある。
それを如実に示すかのように、トゥーレの町には新たな布告が出された。
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◆ 魔石の売買に関する布告
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ひとつ、有色(属性を持つ)の魔石は全てトゥーレの行政府が買い取る
ひとつ、高位の魔石(地威魔法以上の触媒となるもの)については、更に高く買い取るものとする
ひとつ、今後は全ての魔石売買を許可制とし、事前に許可を得た指定店舗でのみ可能とする
ひとつ、許可された店舗以外で魔石を売買した者は双方とも等しく死罪か、それに準ずる罪を与える
奴め、とうとう形振り構わず動き出してきたか?
それでも結果が伴わなければ、おそらく奴は次の段階として魔の森のより深くに進出、すなわち獣人たちの里を攻略してくるだろう。
そう考えた俺は、この布告を危険な兆候として捉えていた。
◇◇◇ リーム(リュミエール) 十三歳
そうしている間に停滞していた一年が明け、俺と奴は十三歳になった。
年が明けてからというもの、奴は大軍を率いて頻繁に魔の森へと足を延ばしており、それが餓狼の里への侵攻かどうかを判断しにくい状況になっていた。
そのため俺はやむを得ず、月の半分近くはトゥーレやモズで待機して過ごす生活を余儀なくされていた。
そんななか、アスラール商会を通じてクルトから知らせが入った!
『とうとう領主の推薦で送られた者の中から魔法士が出た。火属性地威魔法を行使するゴラムと言う男と、雷属性地威魔法のラルスと言う男だ。
見たところ素行も良くない粗暴な男たちなので、どうか注意してほしい』
俺はこの知らせを受けて、思わず舌打ちした。
「ちっ! よりによって奴らかよ!」
獄炎のゴラムに雷獣のラルス、これは悪夢とも言える最悪の組み合わせだった。
俺がルセルとして生きた二度目でも、この二人の事は知っていた。
いや、知っていたからこそ奴らを魔法士にしたくなかったし、敢えて商会長に頼んだ候補者リストからも外していたぐらいだ。
戦意を失って逃げ惑う敵ですら後ろから追い縋り、狂ったようにひたすら業火で焼き殺す獄炎、敵に対し情け容赦なく、まるで心なき獣のように無慈悲な雷撃を浴びせ続ける雷獣、奴らは戦争という綺麗事では済まない場面で、命令された範囲の中で殺人を愉しむ外道だった。
ただ、やり過ぎはあっても奴らは命令の一線を越えないように振る舞う狡猾さがあり、実のところ俺やシェリエは手を焼いていた。
狡猾に立ち回るため処断できなかったが、先ずは飼い殺しにすると決め、いつか断罪するためのに口実を窺っていたような奴らだ。
あいつらならルセルと同様、情け容赦なく里を蹂躙するだろう。もちろん降伏すら認めずに……。
もしそうなった場合、俺も奴らだけは容赦しないつもりだけどね。
今に至っては虎狼と銀狐の里はもぬけの空だし、餓狼の里には駐屯部隊を置き仕掛けも施してある。
「取り合えず警戒するが、今のところ俺にできるのは様子を見るだけか……」
そう思って過ごしていた。
だが、事態は俺の知らぬところで思いもよらぬ形で進行していた。
◇◇◇ モズの町
この日俺は、定期便として資材を送り出すために、モズの町にあるアスラール商会の倉庫に居た。
そこに……。
「リーム殿っ、此方でしたかっ! 一大事ですっ、」
酷く慌てた様子で、取引のため領都方面に出ていた商会長が駆け込んできた。
どうやら遠路を単騎で走り詰めだったらしく、焦燥した様子に加え衣服は乱れ土埃と泥に汚れていた。
「とうとう動いた、ということだよね? どっちかな?」
俺も一気に体温が上昇するような感覚に襲われたが、努めて冷静になるよう試みた。
どちらにしろ事は急を要する。深呼吸しながら覚悟を決めた。
「と、当代の辺境伯が……、身罷られました!」
「!!!」
予想を完全に外した事態に俺は愕然となり、全く言葉が出ないくらいに衝撃を受けた。
正直言って俺自身も、それが始まりとは思ってもみなかった。歴史を知っている故の油断と言われれば身も蓋もないが、それでもこんな事態は想定できなかった。
内乱ではなく急死、いや、暗殺なのか?
長兄が自然死することはまずあり得ない。俺の知っている歴史では、まだこの時点で健康そのものだったからだ。
「暗殺……、ということか? 下手人は? トゥーレの動きは?
何か掴んでいる情報はあれば教えてほしい」
「現在の領都は大混乱となって情報が錯綜し、統治機構も混乱して統制を失い、対立する陣営は一触即発の状態と言って差し支えないでしょう」
だよな……。
第一に辺境伯の不自然な急死。
本来なら突然死するような年齢ではないし、子供もまだ幼くしかも女児だ。
それゆえに後継者も定まっていない。
「なら掴めた情報も限られていると?」
「はい、死因は不明ですが不自然な死であることは確かなようです。犯人の探索も進められていますが、今のところ確たるものもなく、状況をややこしくしている方々もおり……」
「その『ややこしくしている』のが他の兄弟たちであると?」
「はい、ご賢察の通りです」
当然だろうな。
騒乱の当事者たちには、思わぬ未来の可能性が転がり込んできたのだから……。
第一に、ブルグは若くして不自然な死を遂げた。
第二に、後継者は定まっておらず遺児はまだ幼い
これにより、他の兄弟たちが後継者となる可能性が急浮上したからだ。
「それぞれの陣営は混乱のなか、独自に動き出しております」
「どんな感じで?」
「男爵家を後ろ盾にした次男は、子爵家を後ろ盾にした三男の仕業だと糾弾しており、逆に三男は次男こそが犯人だと反発し、伯爵家の母を持つ四男は他の二人が犯人だと騒ぎ立てる一方で、自身の暗殺を恐れて屋敷にこもったままだそうです」
なんだそれ、見事に全員が敵対し共倒れするかのような話やん!
まるで蚊帳の外に置かれている『誰か』だけが、漁夫の利を得るために描かれた絵のように……。
「それぞれが『我こそはブルグの後継者』と宣言し、兵や家臣を糾合しようと試みておりますが……。
どの陣営も突出した兵力を集めきれていないようです」
だろうな、あの三人は悪い意味で似たり寄ったりだからな。
二番目の兄は、本来なら能力や人望の面で頭一つ抜けていた。だがここ最近は政治の中枢から外され、不貞腐れて酒色に耽り人望を著しく落としているし、そもそも後ろ盾も一番弱い男爵家だ。
三番目の兄は、長兄に対し腰巾着のように振舞っていた結果、家中の立ち位置としては悪くない。
ただ……、性格と頭の出来がすこぶる悪い。
余りにも自己中心過ぎるし、常にブルグの威を借りて尊大ぶっていたような男なので、付いて行こうと考える家臣は少ないだろう。
四番目の兄は、長兄と同じ母親から生まれた弟で、今なおブルグの居館に住んでいるが、臆病で未だに独り立ちすらできない甲斐性なしだ。
家柄だけが取り柄だが、兄が殺されたにも関わらず今もなお震えて館にこもり、復讐戦すら挑めずにいる。
これらの事情もあり、家臣や兵たちも今はあえて『究極の選択』をするより、状況が落ち着くまで日和見を決め込んで成り行きを見守ることに徹しているのだろう。
「今回の騒動で、敢えて蚊帳の外に立っている人物ですが、今のところ全ての兄弟に使者を送り、事の顛末が明らかになるまでは『中立』を宣言しております」
「既に使者を? 動きが早すぎるな」
「ええ、まるで何かが起こることを『事前に知っていた』と思えるほどに。
トゥーレの動きについては、私が此方に戻る前に先行して人を遣わしておりますので、間もなく最新の報告も届くことでしょう」
この三すくみの状況、それこそがルセルにとって最も都合の良い展開だ。
なんせ彼が付いた陣営が、圧倒的に有利になることが明白で、自身を高く売りつけることができる。
それにそもそも、ガーディア辺境伯領内での公式な身分に限って言えば、今や男爵となった奴がブルグに次いで身分が高い。
これがどう影響するか……。
「俺はこの状況、トゥーレはしばらく動かないと思いますが、商会長はどう思いますか?」
「リーム殿の推察が正しいでしょうな。あの方は自身の価値が吊り上がるのを待っているのでしょう。
仮に誰かが暴発し騒乱が起こっても、それを鎮圧するという大義名分が転がり込んで来るだけですし、もしかするとそれを待っている可能性もあります」
うん、商会長の洞察も俺と同じだ。
おそらく今回の騒動は裏で奴が糸を引いていると思えてならない。
結局のところ、どう転んでも奴が一番利を得ることになるんだから。
「ところでシェリエの身の安全はどうかな? 下手に彼らが暴発すると彼女にも害が及ぶ」
「はい、そちらは商会の者を通じ、密かに身を隠していただくよう手筈を整えております。
できればフォーレに避難していただくのが一番かと」
「それが一番だね。トゥーレが動かない今、できれば俺が領都に行ってゲートを開き、あちら側に案内するのが一番手っ取り早いかな? 三すくみについては、今の俺が対処できるものでもないしね」
「そうですね。先ずは報告を待ちつつ、念のため彼方にも一報を入れ、受け入れ準備と臨戦態勢はとっておくべきかと思います」
こうして、取り急ぎの対処は決まり、俺たちはまずトゥーレからの報告を待つことにした。
既に歴史は、俺の知る本来の流れより完全に分岐したと言える。
これまではルセルに直接関わる限定的な差異でしかなかったものが、今やガーディア辺境伯領全体を巻き込んで……。
そして、一度動き出した事態は、更に予想しない方向へと突き進んでいく。
いつも応援ありがとうございます。
次回は9/4に『餓狼の里での戦い①』をお届けします。
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