第7話 ライトブルーの世界へようこそ!
暗い部屋で一人、俺は淹れたてのブラックコーヒーを口にし、眺めるようにPCのディスプレイを見つめていた。
「……いつまで休憩できるのか」
不意に漏れた一言。
ここ数日、睡眠の質が悪い。恨み節ではなく、単に気兼ねなくリラックスできる時間がほしいだけだ。
でも、何も考えず、ぐっすりと眠るわけにはいかない。いつ如何なる時も、人々を助けると決めたんだ。『マイ先輩』が、俺に手を差し伸べてくれたみたいに。
――突如、PCが不快な音をがなり立て始めた。
呼応するように姿勢を正し、モニターを確認。
『西B地区にて、「ヘイティン」が一体発現。直ちに向かえ。繰り返す――』
画面に映る文字と、それを機械的に読み上げる音声。
視覚的に、聴覚的に非常事態を知った俺は、頬を叩き、コーヒーの残りを一気に流し込んだ。
インターネットを利用している人々が持つ負の感情――怨念や孤独は、当人を包み込み、ヘイティンという魔物を生み出す。こいつらを野放しにしていては、善良な人の心まで汚染するリスクがある。
行かなくては。
俺は、NケーブルをPCの本体に挿し込んだ。
次に、自身の腕にも、Nケーブルを挿し込む。
『ネットワークを構築中。ネットワークを構築中。ネットワークを――』
機械音を聞き流し、目を瞑る。
こうしていても、視界の明暗は感じられる。
やがて、光の量は増していき、目を開くと、眼前に広がるのは幻想的なデジタル空間――N世界。
油断大敵。
転移に成功し、ライトブルー一色の世界に改めて感心していると、突然、腰部に激痛が走り、体が吹き飛んだ。
「おっそーい!」
急襲を仕掛けてきた人物は、俺の一つ年上のマイ先輩だった。
俺は、腰を駆け巡る痛みに耐えながら、地面に這いつくばった状態で弁明を試みた。
「待ってください。要請が出てから、すぐにログインしましたよ?」
「ダァアウトッ!」
うるさい、騒がしい、騒々しい。
「嘘じゃないですよ」
「ミナトくんのことだから、どーせコーヒーでも飲んでたんでしょ」
「ギクッ」
「何その反応……。図星でも、『ギクッ』は酷いでしょ」
人間、心の内を言い当てられてしまったら、大袈裟にリアクションしてしまうものだな……って、感心している場合ではない。
「俺がコーヒーを飲んでいてワンテンポ遅れたことは事実ですが、ログイン直後に蹴りを入れるのは紳士じゃないと思います」
クレームを告げると、マイ先輩の瞳が鋭くなった。
「あ、た、し、はっ! 男じゃない!」
「……はい?」
「きょとんとしないで。眉目秀麗なあたしに対して、『紳士』だなんて失礼極まりないでしょ! 女の子なんだから、『淑女』に訂正してほしいわ」
正論ではあるが、それを言うなら『眉目秀麗』だって、男性に対して用いられる言葉じゃないか……と反論すれば、また蹴りを入れられかねないので、ここは控えておくのが吉だろう。
「失礼しました、訂正します。ただ、論点はそこじゃないでしょう」
「そこ以外どこがあるのよ」
「蹴ってきたことですよ! 数秒前の会話を忘れないでください!」
ようやく「あー」と納得顔のマイ先輩。
よくもまあ、あれほどの大罪を犯しておきながら、平然としていられるものだ。マイ先輩が男だったら、容赦なく蹴り返しているところだぞ。
ともあれ。
「ヘイティンのやつら、倒しても倒しても、まるでキリがありませんね」
「何? まさか……もうへばった?」
にやにやと揶揄うように笑うマイ先輩。
単なる先輩と後輩――そんな薄い関係であれば、俺だって腹も立てるだろう。でも、マイ先輩は俺の恩人であり、心を許した人だ。だからまあ、このかけ合いも存外心地良いと思う。
恩人であり、心を許した人――嘘だ、それだけではない。マイ先輩は、俺の好きな人だ。自分で自分の気持ちに気付いてはいるが、「あなたと一緒にいる時間が好きです」と直球で伝えられるほど、今の俺は肝が据わっていない。
俺は、内心の喜びを態度に出さないようにして、話を続ける。
「どうして楽しそうに訊くんですか」
「だって、あの時は『俺にもやらせてください!』ってな感じで、引くほど張り切ってたから」
「引かないでくださいよ……」
「あたし、嘘は吐かない主義なの」
「優しい嘘は適度に織り交ぜてください!」
俺の懇願などどこ吹く風で、マイ先輩はポニーテールをきつく結び直した。
「さあ、行くわよ! 返事は?」
「了解で――って!」
ポニーテールが抜群に似合う先輩は、返事を聞く間もなく走り出した。
自分から訊いたくせに……。
一瞬にして、米粒サイズになるマイ先輩。俺は、その背中を必死に追いかけた。
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