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第1話 自己正当化にこだわる

 現実世界なんてクソだ。


 一年前の俺――つまり、中学三年生の俺は、そう思っていた。


 この目に映るもの全てに靄がかかっている。例えば、家族関係――父のタダシ、母のサエコ、それと妹のチヨも。三者とも、薄気味悪い性根が見え隠れしているのだ。


 父のタダシは異常で、毎日毎日、夕飯時を過ぎても帰宅することはない。タダシを除く一家が寝静まった深夜に、ようやく帰ってくるのだ。


 本来であれば、母と子は寝ているのだから、父が家に戻ったことに気が付くはずもないが、我が家は例外だった。帰宅するや否や、ほとんど絶叫とも言える声量で、「飯はまだか」「風呂はまだか」「俺を誰だと思っている、一家の大黒柱だぞ」と喚き散らし、暴れ狂う様が不本意ながら耳に入ってくるので、深い眠りに入る前に目が覚めてしまうのだ。


 サエコとチヨは、タダシの酷い有様を承知しているにも関わらず、逆上されることを嫌って、他人の如く目を瞑り、息を潜めるばかりだった。そのため、いつも「このままでは近所迷惑になる、俺が鎮めるしかない」と自分に言い聞かせ、眠い目を擦り、苛立ちをさらに煽らないように、タダシのいる居間へと牛歩で向かうのだ。


 寝室は二階にあるため、一階の居間に行くには、階段を経由することになる。どれだけ忍び足を意識しても、ぎしぎしと不快な音を立てる階段を下りている時に、毎回吐き捨てるのだ、「ああ、俺はこんな父になるものか」と。


 タダシは、必ず外で食事を済ませてくる。だから、夕飯を用意したとしても手を付けることはない。お風呂だってそうだ。当人がシャワー派なのだから、準備してやったところで入らないのだ。


 家族の目を引くために、奇声を上げているのなら可愛いものだが……原因は、アルコールにある。居間の扉を開けると、アルコールを多量に摂取し、ソファに踏ん反り返っているのが常だ。その姿があまりにも偉そうなので、思わず「何様だ」と漏らしそうになったことさえある。


 確かに、この家の経済面を支えているのは、他の誰でもないタダシだ。サエコは専業主婦で、俺とチヨはバイトをしていない。『お金を稼ぐ』という一点においては、その地位がタダシの独壇場であることに異論の余地はない。汗水垂らして稼いでくれていることには感謝しているし、大黒柱であることも認めている。


 しかしながら、父としては、不適格なのではないかと疑問視せざるを得ないのだ。真っ当な父は、日々飲んだくれて、日付を跨いだ時間帯に帰ってくるのだろうか。真っ当な父は、息子に宥めてもらわなければ、夜中に奇声を上げ続けるのだろうか。それだけなら、まだいい。それだけなら、まだ許容できる。だけど。


「おう。我が息子よ。座れ座れ」


 俺を見るや否や隣に座らせる、というのは、もはや恒例になっている。


 アルコールのつんと鼻を突く臭いに顔をしかめながら、俺はタダシの飲みに付き合う。酔っ払いの戯言を聞くには、自分も酔うことが一番だとは思うけれど、未成年だからその手段は法律違反となる。仕方がないので、気分を晴らすことができる炭酸水を片手に話を聞くのだ。


「大きくなったな」


 これも常套句。毎度、俺の方を見ることなく、つまらなそうに言うのだ。


 一刻も早く眠りにつきたい俺は、会話を広げないように、続けないように、「うん」と一言で返答する。


「……それにしても、大きくなったな」


 タダシは、またつまらなそうにそう言った。


 こんな会話で終わってくれたら、どれだけ救われるか。ここから一時間ほど、同じようなことを、同じようなテンションで話し続け……アルコールで頭がやられたのか、とうとう怒り出すのだ。


「ミナト。学校の成績はどうなんだ」


「まあ……それなりだよ」


「それなり? それなりってどういう意味だ!」


 語気が強くなり、雑誌の載ったテーブルをひっくり返して立ち上がるタダシ。


 いやはや、面倒な時間が始まってしまった。


「どうもこうも、言葉の通り」


「何を腑抜けたことを……。絶対に、進学校に進めるんだろうな?」


 この手の問いには確約しない――世の中に『絶対』なんて存在しないからだ。もし仮に、俺がここで「絶対に受かるよ」と嘯いても、不合格だった場合、「あの時、お前は『絶対』と宣言しただろう!」と激昂するに違いない。


 だから、こう返すしかない。


「最善を尽くすよ」


 完璧な回答で、非の打ちどころがない回答――そのはずだった。


 だが、タダシは気に入らなかったらしく、酒瓶を俺に目がけて投げつけてきた。


 瞬時に反応できなかった……が、躱す必要がないほどの大暴投となり、タダシが大切にしているレコードプレイヤーに命中してしまった。


「お前のせいで!」


 顔を真っ赤にしたタダシは、俺を怒鳴りつけた後、慌ててレコードプレイヤーに駆け寄った。


 幸いなことに壊れてはいないみたいだが、酒瓶がぶつかった拍子に傷付いたらしく、「お前は本当にろくなことをしない」と俺に文句をつけ始めた。


 いやしかし、俺は悪くない。感情的になり、俺に牙を剥いたタダシが悪いのだ。その事実を棚に上げて、無暗に息子を非難することが、親のすることだろうか? 父のすることだろうか?


 きっとタダシも『自分のせいで、宝物の価値を損ねてしまった』と理解しているはずだ。でも、それを認めることができない、自分が悪者になることができない、そういう人間なのだ。タダシは、自分が正しいと思い続けたい、そういう人間なのだ。


 素面の俺は、相手と同じ土俵に立って戦う意味はないとわかっている。挑発に乗って、情緒的に行動してしまう動物に成り果ててはいけない。


「ごめん、父さん」


「……許せるか。……許せるか!」


 許せるとも。いつだってそうだ。最初は威勢良く捲し立てるが、こちらが下手に出ていれば、怒る理由はなくなってしまい、疲労が蓄積してやがて沈黙する。そして、決まってこう言うのだ、「俺に逆らったらどうなるか思い知っただろう」と。


 俺にはこの作業が無駄に思えてならない。己の憂さ晴らしのために、ひとしきり正義を振りかざしてから許したいのだろうが、果たして少ない体力を浪費してまでやるべきことなのだろうか。


 つまるところ、タダシにとって、俺は単なる道具なのだ。タダシが思う『正しい』という物差しをもとに、俺を利用して正義欲を満たしているに過ぎないわけだ。


 異常だ。こいつは、異常だ。戸籍上は父であるが、実質的に言えば違う。俺は、タダシが大嫌いだ。

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