女勇者は気の抜けた優男な魔王に負けたくない!
自然に囲まれた豊かな地、サマーマスコット村。
白く美しい鳥が羽ばたき、色鮮やかな蝶が舞う。
海に隣接しており、時折風に乗って潮の香りが漂ってくる。
サマーマスコット村は長閑な場所であったが、そこに住まう人々の表情はどこか浮かないものであった。
市場を行きかう人々の、履き潰した革の靴音がする中から、重々しい金属の擦れる音が目立って聞こえる。
そして、その音の主は高らかに宣言した。
「必ずや、かの悪しき魔王をこの手で討ち滅ぼして見せる! 正義の星は我らにあり!」
村人の希望にすがるような目は、一人の甲冑を纏った少女に向けられていた。
彼女は麗しい金髪碧眼の容姿であったが、村人もその特徴は共通していた。
「貴女だけが頼りよ」
「神々のご加護を」
少女が村人からの声援に応えていると、奥から腰の曲がった老婆がやってくる。
「ミランレイヤよ、準備はできたか」
「あぁ! 」
彼女のはつらつとした応答とは裏腹に、老婆は浮かない様子でいた。
それを察したのか、ミランレイヤは続ける。
「大丈夫だ皆。確かに魔王は殺すたびに幾度となく復活を果たすような正真正銘の化け物だ。だが、歴代の勇者たちもまた、かの災厄を退け続けたのだ。此度もまた、先達に続くまでだ!」
彼女の鼓舞に、村の人々の顔にも希望の色が表れる。
子供から大人、老婆に至る全ての村の者たちは、ミランレイヤに希望を託し見送った。
村を発ち、数時間。
彼女は人気のない森にやってきた。
人がいないということ、それは裏を返せば恐ろしい魔物がいることを意味していた。
そして敵意を剥き出しにした魔物たちは、自らのテリトリーを侵害せんとする勇者を排斥するために立ちはだかる。
鋭い牙を剥き、低い唸り声を上げにじり寄る。
「かかってくる者は全て斬り伏せてくれる!」
ミランレイヤは剣を抜き、切っ先を魔物たちに向けた。
その瞬間、魔物たちが咆哮を轟かせ、一斉に攻勢に出る。
「グォォオオオぉおおおッ!!」
巨大な狼のような姿をした魔物が、彼女の首を食いちぎらんと牙をギラつかせる。
「セイっ!」
だが、ミランレイヤは怖気づくこともなく、冷静に襲い掛かる狼をその剣で斬り伏せた。
狼が斃れる姿を見た他の魔物たちも、我に続けと言わんばかりに彼女に突撃する。
「その意気は褒めてやる。だがッ!!」
彼女の姿と似た細身の剣は、あれよあれよという間に魔物たちの肉を削げ落としていく。
さながら舞のように剣を振るい、あたり一面には野に咲き乱れる赤く美しい花のように、緑の大地に鮮血が飛び散った。
魔物たちを鏖殺した彼女は、剣を払い血を拭った。
あれだけの敵を相手にしながら、ミランレイヤの甲冑には汚れ一つ付いていなかった。
「魔王はきっとこうはいかない……」
これから対峙するであろう魔王は、文字通り魔物の中の王である。
一筋縄ではいかない。
ミランレイヤは緊張の糸を緩めることなく、森を進んだ。
しばらく突き進んだ後、道は開ける。
待ち構えていたのは荘厳な要塞であった。
「ここが魔王の城か。いかにもといった構造だな……」
ミランレイヤは息を吞む。
自身が生まれ育ったサマーマスコット村には無い構造物だ。
住むための根城ではなく、戦うためのものである。
未だかつてない緊張が、彼女の胸の鼓動を早める。
どう城を攻略するかと考えていた矢先、想定外のものが目に入った。
「ん!? 開いている……」
なんと城の正面は固く閉ざされているのかと思えば、人が十分に入ることができるだけの隙間が開いていたのだ。
城の大きさに目を奪われすぎて、上部の方ばかりに意識が向いていた結果、気づくのに時間がかかってしまったようだ。
門に手をかけようとした彼女だが、その手を引く。
「いや罠だな、その手には乗らんぞ! 魔王!」
どうぞ中に入ってくれと言いたげな門の隙間は、彼女にとっては異様に怪しく映った。
それにあちらこちらに見張り台や砲台があると言うのに、見張りの一人もいやしないではないか。
益々この状況が自身を陥れるための罠に感じてしまう。
ミランレイヤは門から少し離れ、再び全体を眺めた。
そして閃く。
「よし」
彼女はそう呟くと、壁に手をかけ、よじ登り始めた。
最初こそ少し登ると落ちるを繰り返していたが、次第にコツを掴んだのか、みるみるうちに間に上達していった。
そう、彼女はそんじょそこらの人間ではない。
正真正銘、万夫不当の勇者なのだ。
「ダぁああっっ!!」
終には手を使わずに足で窪みを蹴り上げて、さながら壁を走るかのように爆速で駆けあがっていく。
そして恐らく魔王がいるであろう広間が視界に入る。
彼女はその広間の窓ガラスをしなやかな脚でぶち破り、受け身をとりつつ着地をした。
そしてかねてより考えていた決め台詞を声に出す。
「忌まわしき魔王! その首、獲りに来た!」
ミランレイヤは瞳を閉じ、自身のその言葉に心を躍らせた。
ようやく待ち焦がれていた魔王と剣を交える機会が来たのだと。
魔王はきっと同じように魔王らしく返答してくれるに違いない。
彼女はそう思いながら、声を待った。
しかし、十秒ほど経っても何の反応もない。
「……ん?」
これだけの間があるということは、もしかすれば部屋を間違ったのかもしれない。
そうなれば随分と恥ずかしいことになってしまう。
嫌な予感を覚えながら、彼女は恐る恐る目を開けた。
彼女の瞳には確かに魔王らしき何かが映った。
だが、それは彼女が聞き及んでいたものとはかけ離れていたのだ。
男は口を開く。
「……え? 何」
時差で帰ってきた素っ頓狂な声は一層、ミランレイヤの中の魔王像を揺るがせた。
彼女が聞いていた魔王とは、人の数倍の背丈を持ち、恐ろしい獣を侍らせながら、禍々しいオーラを放つ存在だった。
しかしながら、今彼女の目の前にいる男はそのイメージとは似ても似つかない。
背丈は高めではあるものの、人間の範疇である。
それに恐ろしい獣どころか、獣一匹すら彼の近くにはいなかった。
そして極めつけはオーラだ。
聞いていた禍々しいオーラなど一切感じることはできない。
そこに立っているのは黒髪に紅い瞳を持った、人の好さそうな美男だったのだ。
ミランレイヤはあまりにも違う彼の様子に、思わず声を上げた。
「何とはなんだ貴様ァ! 貴様は邪知暴虐なる悪魔の王で――」
「それはこっちのセリフだぞ。なんなんだ、いきなり人の家の窓ガラスを突き破って侵入してくるなんて。正面の門、開いてたでしょ? なんでそこから入んないの」
喋り方もフランク過ぎる。
いつもは落ち着いていているはずのミランレイヤの調子も狂わされる。
「な、なにを言うか! そんな見え透いた罠になぞかからんぞ」
魔王は首をかしげる。
「罠って……まぁいいや。それで? よいしょ。あーあれか、いつもの魔王退治ってやつか?」
彼は少し気だるげに、いかにも魔王が座っていそうな玉座に腰かける。
「そうだ! 貴様を討伐しに来たのだ! 剣を構えろ!」
「剣? 無いよ、そんなの」
その言葉を聞いて、彼女は口が塞がらなかったが、無理矢理閉じて言い返す。
「……この私、勇者ミランレイヤ相手に手を抜く気か!」
「いや、そうじゃないって。俺の武器は剣じゃないってだけだ。口で説明するより実際に戦った方がわかりやすいか。そら、来い」
魔王は彼女を宥めると、加減しているつもりはないことを証明するかのように玉座から立ち上がった。
彼のどこか抜けたような雰囲気は、ミランレイヤにとって侮られているかのように錯覚したのか、怒りを表情に滲ませる。
「くっ……さっきからなんだというのだ。やってやるとも。えぇい! 采配剣・サバイバー、抜刀!!」
仰々しく剣を抜き、魔王に宣戦の合図をする。
「剣に名前つけてんのか……」
「うるさい! 黙れぇえ!」
剣のネーミングについて触れられたミランレイヤは、恥ずかしさの入り混じった強烈な感情を剣に込めて斬りかかる。
いつもなら感情が乗っていようといまいと、一度剣を振れば相手は斃れた。
だが、今回はそうはいかなかったのだ。
「躱された!?」
彼女の攻撃は、余裕をもって躱される。
そのあまりにも的確な回避に驚かずにはいられなかった。
一撃だけではなく、彼女の攻撃の全てがまるで予知でもされているのかと言いたくなるぐらいに完全に避けられていった。
そして彼女は気が付く。
剣を振るい相手を追いつめているつもりが、いつの間にか自身が壁際に追いつめられていたことに。
逃げ場のない彼女に、魔王の手が伸びる。
「何っ!?」
彼の手はミランレイヤの剣を掴んでいた。
柄の部分ではなく、刃の部分である。
だが流石、人ならざる存在の魔王というべきか、血の一滴も滴ってはいない。
「少し痛いぞ」
そう言うと魔王は剣を失った彼女の手首を掴む。
刹那、彼の瞳は紅く輝き、言いようのない恐怖がミランレイヤを襲った。
それは生まれて初めて感じた、自身よりも強い者に対する畏怖である。
「うぐっ……!」
ミランレイヤは全身の力が瞬時に抜け、立つことができずに膝をつく。
「参ったか? 参ったなら返してやる」
そう言うと魔王は剣を彼女に返した。
ミランレイヤは顔を歪めながらも、剣に手を伸ばす。
そして――
「参る……ものか!」
奪い返した剣先は魔王の顎を掠める。
あと少しで決定打に繋がったのかもしれない。
だが、彼の表情からは別段驚きも見えなかった。
ミランレイヤの目にはあと少しに見えたその距離が、実際には大きな実力の隔たりとなってそこにはあったのである。
剣に力を込め、彼女は気合いを再度入れなおした。
「行くぞ采配剣! はぁああ!!」
彼女の身体とその剣身から、炎が場を呑み込むように噴き出す。
薄暗かった広間に、眩い光が溢れる。
そして彼女は魔王を見据え、叫んだ。
「『ブレイジング・ビヨンド』!」
剣身から撃ち放たれた焔は一匹の獣のようになって、魔王に襲い掛かった。
「おいやめろ。家が燃えちゃうだろ」
魔王はどこか呑気にそう言いつつ、手のひらで炎を握りつぶしている。
「魔王! 貴様ごと焼き尽くしてくれる!」
ミランレイヤはその飄々とした態度に更に怒ったのか、彼女を覆う炎はより勢いを増した。
そして広間全体を燃やそうと剣を振りかぶる。
「させるか」
魔王はそう言い残すと、彼の姿は瞬時にミランレイヤの視界から消え失せた。
「なっ!?」
周りを見渡すが、どこにもいない。
なんとなく感じ取ることができるはずの気配ですら、これっぽちも感じ取ることができない。
そして警戒を強める彼女の腹に、重い拳がめり込んだ。
「ぐはッ!」
ミランレイヤはその衝撃に思わず剣を落とし、倒れこむ。
だが同時に彼女は違和感を覚えた。
受けた衝撃から鑑みると、身体に受けたダメージが極端に小さかった。
臓器の一つや二つが潰れるほどのものであったはずが、すぐに立ち上がれそうなほどのものでしかなかったのだ。
驚きに包まれる彼女をよそに、再び魔王は剣を拾う。
「これで二度目だ。いい加減負けを認めろ」
彼の言葉をミランレイヤは言い返すことができなかった。
出せるすべての力を行使しても、彼に傷一つ付けることができなかったのだから。
おまけに手加減なのかなんなのか、彼女自身もまた傷一つ付いていないという事態になっている。
ミランレイヤは負けを認めるように項垂れた。
「私をどうするつもりだ……捕虜にでもして引きずり回すのか? それとも引き裂いて魔物どものエサにでもするのか」
彼女の言葉に、魔王は不思議そうな顔を浮かべる。
「え? いや、そんなことしないぞ。えーっと……親父はこの後どうしてたんだ。なぁ、お前何か聞いてないの?」
「……それはどういう意味だ?」
「だから、お前の他にも勇者っていたろ? そいつらはどうやって魔王に勝利したんだ?」
そう、勇者はミランレイヤ一人であったわけではない。
これまでにも多くの勇者がいた。
それこそ一年に一人ほどのペースで勇者が誕生していたのだ。
勇者たちは皆、魔王との戦いを経験したものの、ある点において奇妙な共通点があった。
ミランレイヤの脳裏にも、そのことが思い浮かんだ。
「どうやってって……確か戦っている最中に力が急に強まったとかなんとか……」
随分とアバウトなことではあるが、帰還した勇者は皆そう口にしていたのだ。
そのことを村の者たちは『勇者の覚醒』と喜んではいたが、毎度毎度のお決まりのように繰り返されると流石に違和感はあった。
「……なるほどそういうことか。なら――」
魔王はそう言うと、再び彼女に剣を返しその瞳を見つめた。
「な、なんだ!?」
恐ろしいほどの均整のとれた顔つきがミランレイヤの前にある。
その美麗さが、彼を人ならざる存在であることを際立たせた。
彼の瞳を同じく見つめるうちに、ミランレイヤは気づく。
「これは……」
身体の奥底から今まで感じたことのない力が湧き出る。
おもむろに剣を握ると、集中を深めるまでもなく炎が揺らめいた。
「これなら……」
これこそが先達の勇者たちが口を揃えて言っていた力そのものだ。
きっとこの力をもってすれば、魔王を打ち倒すこともできるかもしれない。
だが、彼女はその剣を魔王に向けることは無かった。
「どうした? 来ないのか」
ミランレイヤは剣を鞘に納める。
「これは……貴様の力だろ? そんなものを使って勝ってどうする」
そう、先ほどの力は魔王によるものだったのだ。
先達の勇者たちの力の原因も恐らくは同じだ。
彼女の胸の内は情けなさでいっぱいだった。
「まぁそりゃ気づくか。けど、そんなのはどうでもいいだろ。お前は魔王を倒しに来たんだから、その役目を果たせよ。もっとも倒し切られることはないんだ、罪悪感なんて抱かなくてもいい」
そう、彼は魔王としての役目を果たそうとしている。
だが、ミランレイヤは勇者としての役目に意味を見出せなかった。
「借り物の力を使って勝っても意味がない! それは私の道理を外れる。貴様を倒す以前の問題なのだ」
これまで魔王を打ち倒したと誇らしげに語っていた者は、同じような状況で形だけの勝利を譲られただけなのか。
魔王を倒したとの報せがあった翌年には当たり前のように魔王は復活していた。
そもそも彼の話からも、きっと魔王は打ち倒されたのではなくそう装って翌年また顔を出したに過ぎないのだろう。
そして形だけ復活した魔王の元へ、また違う者が勇者として赴く。
つまりはこのことの繰り返しだったのだ。
とんだ茶番だ。
魔王は戦意を失ったミランレイヤを見ると玉座に座りなおした。
「そうかい、じゃあ今回はこの辺で。帰るんなら、次来る奴には『入るときは正面の門から入れ』って言っておいてくれ」
彼は彼女の返事を待ったが、返ってこない。
「どうした? 急に黙って」
ミランレイヤは魔王をじっと見ている。
そして小さく息を吐き、彼に問うた。
「……なぁ、貴様はなんなのだ?」
色々な意味の詰まった質問だが、一番彼女が聞きたかったことはそれだった。
「何って、魔王だけど。魔王クリアロード」
「そんなことは知って……ってクリアロード? 聞いていた名とは違うが」
彼の名を聞いて、ミランレイヤは驚く。
その様子を不思議そうに見る魔王であったが、少し考えたのちに合点がいったような表情を浮かべた。
「あぁ、もしかしてマイティリストのことか?」
「そうだ、魔王マイティリスト。長年に渡り村の人々を苦しめ続けた魔王……と聞いている」
魔王マイティリスト。
幼い頃から言い聞かされてきた名だ。
もっとも、日常会話の中で使われているのは魔王と省略した形であったが。
「マイティリストは俺の親父だ。そんでその親父はもう魔王を引退しちまったよ」
「引退!? なんだそれは」
彼がマイティリストの息子であることにも驚いたが、それ以上に魔王に引退などという概念があることに彼女は驚く。
「もう疲れたんだと。いい歳だしな。だから息子の俺が魔王の座を引き継いだ。魔王クリアロードとしてな。あー、ちなみに親父に会いたいってんなら今は無理だぞ。お袋と旅行に行ってるからな、しばらくは帰ってこないはずだ」
「りょ、旅行……?」
ミランレイヤは魔王が旅行に行くなど聞いたこともなかった。
そんな世俗的なことを聞かされ、彼女は何とも言えない気持ちなる。
そしてあることを質問する。
「時にその母親とは……もしや厄災の面を被った狂気の魔女こと、黒面の大魔女のことか? 確か元は勇者で、何度も魔王討伐を繰り返す内に篭絡されたとか……」
黒面の大魔女。
魔王の側近として従事していると村の者は話していたが、よもや魔王の伴侶になっていたことは誰一人として知らなかった。
元は勇者の裏切り者。
そう言い聞かされ、半ば反面教師のように扱われていた者である。
「篭絡って……しつこくプロポーズしてきたのはお袋だったって親父は言ってたような……まぁいいや。親の馴れ初めなんざ考えたくねぇわ。つか、お袋そんな名前を使ってたのか。多分そうだ。……でもあの面ってその辺の出店で買ったやっすいやつじゃなかったか、なんだ厄災って」
またもや彼の口からは世俗的な言葉が飛び出す。
それは彼女にとって、あることを問いただす決定打になった。
「……貴様らは本当に魔王の一族なのか? 何から何まで私が今まで聞いていた話と随分と差異がある」
彼女の言葉を聞いて、魔王は初めて神妙な表情を見せる。
「聞いていた話か。じゃあ、お前から見て俺はどう映る?」
「正直に言えば、人間にしか見えないな……」
そう、ミランレイヤにとって今の魔王は一人の人間として映っていた。
魔王とはそももそ人ではなく、魔族だ。
あるいは元は人であった者が何らかの影響によって変容を遂げ、魔に身を堕とした姿とも考えられている。
いずれにしても人ならざる身として語り継がれてきた。
だが彼、クリアロードは違った。
姿だけ見れば、その人離れした整いすぎる容姿が魔王が魔族であると思うのも無理はない。
しかしながら彼女は彼と言葉を交わすうちに気が付いた。
彼は自分たちと何も違わないと。
「そうか。まぁ別に隠す必要もないし、いいか」
少しミランレイヤから逸らしていた視線を、再び彼女に向ける。
「俺は、いいや俺たちの一族は紛れもなく人間だった」
「やはりそうか……」
彼女はもちろん驚いたのではない。
またずっと伝え聞いていたことが偽りであると知り、やるせない気持ちになったのだ。
魔王は前髪を少しだけかき上げ、彼女に自身の紅く染まった瞳を見せる。
「お前もさっきから気になっているかもしれないが、まずはこの瞳のことから話そうか」
その瞳はミランレイヤをはじめとした村の人々が持つ碧眼とは異なった性質である。
「俺たちライトフィール家は皆、この紅い瞳を持って生まれてくるんだ。理由は特にないと思う。いかにも邪悪な眼って感じだけど、これ自体には何の力もない」
「それは魔王の象徴と聞いていたが……そうか」
紅い瞳は魔の証。
魔であるがゆえに瞳は紅く染まる。
村の人々は口々にそう恐れながら語っていた。
果たして何の理由もなく瞳が紅い状態で生まれることがあるのだろうかと、少し前のミランレイヤであれば納得せずに問うていただろう。
だが、今の彼女にとっては何が事実かわからなかった。
だからこそ彼のその言葉に食って掛かるような真似はできなかった。
「俺の先祖はお前の住む村の住人の一族だった。だけどいつからかこの瞳の色が原因で避けられるようになった。どうやら代を重ねるごとに瞳の紅さが鮮やかになっていったんだとか。そこに尾鰭がつきまくった結果、いつの間にか瞳に宿る力で人々を脅かす魔に堕ちた血族とされたってわけだ」
元は同じ村で共に過ごしていた、類稀な体質を持つ人間。
彼の話を聞けば聞くほど疑念が積もる。
「……なぜそのようなことを」
彼女の問いに、クリアロードは僅かに言葉をためらったが、どこか諦めるように言い放った。
「そりゃ欲しかったんだろ、悪にできる存在が」
「悪にできる存在?」
言葉が嫌に胸に引っかかる。
「あぁ。それが集団をまとめる時に必要になるからな。村全体の共通の悪、倒すべき敵として認識すれば、皆がそれを打ち倒そうと自ずと一つにまとまっていくだろ? そういうことだ。あぁ」
「そんな……」
悪はそこには無かった。
悪は作り上げられたのだ。
それは同時にミランレイヤの志していた正義の在処も存在しないことを意味していた。
あるはずのない悪に対抗し、でっちあげられた正義だったのだから。
絶望する彼女の様子を察したのか、クリアロードはまたどこか抜けているような表情で明るめに話しだす。
「あぁ、でも悪いことばかりじゃあない。例えば、魔王としてこの椅子に腰かけているだけで金やら食料やらが際限なく献上されるんだ。それに勇者が来るとき以外は城の中にさえ居れば何しても自由だ、永遠に熟睡だってできる。どうだ、悪くないだろ?」
「いいや、良くない」
ミランレイヤの言葉には一切迷いがなかった。
まさに断言である。
「どうして?」
「誤解されたまま悪でもないのに悪にされ続けているのは間違っているだろ! それに、城の中でなら自由って……それは自由などとは呼ばない。私が村の者に真実を伝える。それで誤解が解けて友好関係を築けば――」
希望を見出そうとする彼女の言葉は、現実を知る魔王に遮られる。
「無理だ」
「無理ではない! やってみなければわからないだろう」
ミランレイヤも薄々は勘づいている。
だが、そうあって欲しいと望んでしまうのだ。
それが正義を手に理想を追いかける勇者としての願望だった。
「やらなくてもわかる。ライトフィール家が魔に堕ちた血族だって喧伝しているのは、他の誰でもない村の年寄り連中だ。そんで、その年寄り連中は小さい頃から同じように言い聞かされてきたんだろう。お前みたいな頭の柔らかい奴は珍しいんだ。子供の頃からの刷り込みは、そう易々とどうにかなるもんじゃないぞ」
「だが……」
彼女は食い下がりきれなかった。
それも当然、自身もつい先ほどまで彼を敵として疑うことなく認識していたのだから。
まだ完全に彼のことを信用できたわけではない。
直接相対した身でさえそうなのだ、村の者に彼のことを間接的に説いたところで果たして素直に納得してくれるのかと言えば、それは限りなく無理に等しい。
彼が言うように、生まれた時から長年に渡って生活に染み込むように聞かされてきたことを、今更おいそれと覆すことなどできない。
魔王は何とも言えないような笑い顔を浮かべる。
「ありがとう、お前の優しさは理解した。だけどこれでいいんだ。俺みたいなのが巨悪の象徴としていれば、本当の意味で村に害をなすような奴らに目を付けられにくくなる」
確かにそうかもしれない。
彼の存在は他の脅威に対する強力な抑止力となる。
実力は先ほど嫌というほど見せつけられた。
きっと文字通り向かうところ敵無しなのだろう。
しかし、ミランレイヤが看過できないのはそこではない。
「じゃあずっと魔王として憎まれ続けてもいいのか? 」
言うなれば平和のための犠牲だ。
無論、犠牲なくして平和は成り立たないことはわかってはいた。
だが、せめて彼に足掻いて欲しかったのかもしれない。
いいように悪役として使わることに対する反抗を。
それはミランレイヤ自身にも言えることだった。
勇者として担ぎ上げられ続けてもいいのか、と。
勇者と魔王の対立構造は、もうひっくり返すことのできないぐらい長く続きすぎた。
どうにもならないとわかっていても、だからといって受け入れることもできずにいる。
「全員からそう思われると、まぁ疲れるだろうな。だけど一人でも本当のことを知ってくれている奴がいるなら、今はそれでいいや」
彼なりの答え。
クリアロードにとっての妥協点。
現時点ではまだどうすることもできないが、その妥協こそが最も重要なことなのかもしれない。
そして彼の言った一人とは誰を指すのかを彼女は知っている。
「そうか」
ミランレイヤは初めて微笑んだ。
同じように彼も笑いを返すと、立ち上がって書棚の近くに置いてあった箱を持ってきた。
「ほい!」
そう言いながら彼は金属でできた何かをミランレイヤに放り投げた。
「おっ!? ……これは」
受け取った物は金属製のペンダントだった。
よく表面を見ると、魔獣やら人間やらが様子が描かれている。
「それは魔王討伐の証だ。本来は魔王である俺が身に着けてて、それを持って帰ることで打ち倒したことの証明にするんだけど……まぁなんというか俺はあんまりそういうアクセサリーはよくわからなくてな。いまいちなデザインだけどお前が持っていてくれ」
魔王のアクセサリーと彼は言ったが、どうにもデザインが禍々しさからかけ離れた牧歌的なもので、思わずミランレイヤは笑顔になる。
「だけど安心しろ、そんな不格好なもんでも効果は変わらない。村に持って帰れば魔王を倒した真の勇者として認められる」
ミランレイヤは首を横に振る。
「何を言ってるんだ。さっきも言っただろう? 勝利は自身の手で収めなければ意味がないと」
「そう言ってもなぁ……取り敢えずこれを持って帰れば、もうここに来る必要も無くなるんだ。だから――」
彼の言葉を待たずして、ミランレイヤは玉座に歩を進めた。
「だったら私が貴様に勝つまでここに通い続ければいいだけのこと。造作もない!」
自信満々にそう言い放つ彼女の顔は実に晴れやかである。
「いやダメだろ、そりゃ……」
クリアロードは呆れたようなそぶりを見せる。
「何故だ? 魔王の仕事は勇者の相手をすることだろ」
「そりゃそう……なのか? そもそも、お前こそさっそと魔王を倒した勇者として色々やんなくちゃいけないことがあるんじゃないのか?」
あまりにも堂々と言われ、クリアロードはたじたじに返事をする。
間違っては無いが、改めてそう口に出すと変なものだ。
「色々? 特にないな。私は村を魔王から守るために正義を振るう勇者となったのだ。だが真実を知った。これからも村を守ることに変わりはないが、それは貴様からではない」
そして彼女は彼に向けた。
今度は剣ではなく、指を。
「それにもう一つ、勇者としての目標ができた。貴様に勝つことだ」
「負けず嫌いなんだな」
クリアロードは苦笑しながらも、嫌ではなさげである。
「当然だ。あそこまで完膚なきまでに叩きのめされて、はいそうですかと引き下がれるものか!」
清々しいほどの敗北。
だからこそ、こんな強い相手がいるからこそ彼女の中の勇者魂に火を点けた。
その火の煌めきは彼女の目の奥底から見えるようだった。
「わかったよ。でもやるからには、わざと負けたりなんてしないからな」
「当然だ!」
両者は互いに幾度となく続くであろうリベンジマッチの約束をした。
クリアロードとの問答を繰り返しているうちに、気が付けば陽は沈みかけ夜が近くなっていた。
おかしな話ではあるが、歴代の勇者も魔王討伐は大体が日帰りだった。
ミランレイヤもまた、それに倣って村に帰る支度をする。
彼女はクリアロードからもらった異国の菓子などを袋に詰め込んでいた。
「美味そうな菓子をありがとう。それでは今日は一度村に戻る。また明日も来るからな!」
「あぁ、またな」
彼女は袋を担いで窓から颯爽と飛び去ろうと足をかける。
そして気が付く。
開けるはずの物がないことに。
「……あの、ぶち破ってしまった窓は弁償する。申し訳なかった」
それを聞いてクリアロードは小さく吹き出した。
「ふふ。あぁ、金は有り余ってるから別にいいよ。それより窓から飛び去ってかっこよく帰るのもいいけど、そこ危ないから普通に門から帰った方がいいぞ」
「あー……わかった。じゃあまた」
彼女は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、すたすたと正門から城を出た。
ぶち破られた窓から、外にいるミランレイヤの後ろ姿が見える。
「ははっ、あーあ。まったく、変わった奴だったな」
彼は久しぶりに笑ったのか、笑い疲れていた。
だが、その顔には充足感が伺えた。
「魔王なんて退屈な仕事だと思ってたけど、まぁ……案外悪くないのかもな」
そう言い、彼は明日に備えて倉庫に眠ってある多種多様な献上品を引っ張り出しに行く。
今はまだ、二人が会う理由は互いに決着を付けるためである。
だがまた別の理由ができる日も、そう遠くはないのかもしれない。