ユスティーナ
壁に映し出された人物。恐らくその人がユスティーナなのだろう。
亜麻色の髪に、若葉色の瞳、少し垂れ下がった目は穏やかで優しそうな印象を与える。
シルヴェストル陛下と同い年だと聞いていたが、それよりも少し老けて見える。頬はこけ、儚げな感じにも見える。
彼女はこの場所で、一体どんな思いでいたのだろうか。その目に狂気はなく、罪人とは思えない程に穏やかで落ち着いた人物に見える。
ユスティーナは窓の傍に置かれた椅子に座り、刺繍をしながら時折外を眺めて微笑んでいた。
「この人がユスティーナ……?」
「そうだ。いうもこうだ。あの刺繍は余に渡す為にしているのだそうだ。余の手元に届く事はないがな。ああやって日がな一日刺繍に明け暮れておる。あの窓辺がユスティーナのお気に入りの場所らしい」
「穏やかに見えます。気が触れた状態とは思えません」
「そうだな。普段は大人しい。しかし……」
「何かあるのですか?」
「今は侍女を一人のみ、ユスティーナにつけておる。それは公爵家の頃より傍にいた侍女でな。その侍女たっての願いであったからそうしたのだが、時折休みを申請する。それは当然の権利だから休みを与え、この時は他の侍女を派遣するのだが……」
「その時に何かあったのですか?」
「聖女に心酔し敬っている侍女がいたずらに、白銀の髪のウィッグをかぶってユスティーナの前に現れたらしいのだ。その時ユスティーナは怒り暴れてな……」
「その人に何かしたのですか?!」
「罵声を浴びせ、頬を叩きつけたのだ。武器となる物は置いていなかったが、裁縫道具のハサミを取り出し、襲いかかった」
「えっ?! それでその侍女はどうなりましたか?!」
「すぐにユスティーナは兵士に取り押さえられ無事だった。侍女は頬を打たれただけで何も無かったが、ユスティーナはその後暫くは笑いながら部屋中の布をハサミで切り裂いていた。カーテンや寝具、ソファーやクッション、そして自分が施した刺繍入りのハンカチも全てだ」
「そんな事が……」
「それはあの事件……ユスティーナがジュディスを襲った時から五年程経った頃だっただろうか。それまではユスティーナは、暴れる事なく不満を口にする事もなく、大人しくここで生活していたのだ。だからユスティーナは一時的に可笑しくなり、今は既に普通の状態であると思われていたのだが、そうでは無かったのだ。ユスティーナの心を乱すのは、メイヴィスとジュディスの存在だけで、今もなおユスティーナはそれに囚われているのだ」
「そうなんですね……」
「だから会わせたくはない。余がいるし、護衛の者もいるので危険はないと思うが、それでもジュディスをこれ以上傷つけたくはないのだ……」
「陛下……」
「ジル、大丈夫か? もしかしたら襲いかかって来られるかも知れないんだぞ?」
「……大丈夫……私は会わなきゃいけないって思うから……それに、リーンもいてくれるんでしょ?」
「もちろんだ。俺はジルの傍にずっといるよ」
「なら大丈夫。私はユスティーナって人と会います」
「そうか……では髪色と顔も変える。それで良いか?」
「……はい」
ジルが頷くと、シルヴェストル陛下はジルの頭上に手をかざした。淡い光がジルを優しく包み込むと、ジルの髪色は金髪に、瞳は青くなった。この色はこの国でも多く、ありふれた組合わせだった。顔も変わっていて、ジルはどこからみても今までのジルではなくなっていた。
不思議そうに自分の髪を手に取り見ていたジルだが、俺と目が合うとニッコリ微笑んだ。顔は違っても、やっぱりその笑顔には癒される。きっとこんな所は隠せないんだろうな。
意を決したのはジルよりもシルヴェストル陛下の方だったのだろう。ため息のように大きく息を吐くと、シルヴェストル陛下はジルを優しく見つめて微笑んで、それから頭を優しく撫でた。
「では行こう」
と言った言葉で、案内役の兵士は動き出す。それに伴い、俺達も続いて行く。
長い廊下を歩いていき、一番奥にある部屋にたどり着く。そこで立ち止まり、案内役の兵士は下がった。
扉の前には護衛の兵士が二人立っていて、シルヴェストル陛下に恭しく頭を下げた。
張られてある結界を解除し、鍵を開けて貰うと、扉をノックして返事も待たずに扉を開け、シルヴェストル陛下が中へと足を踏み入れた。
「シルヴィ様!」
「ユスティーナ……」
シルヴェストル陛下を愛称で呼んだユスティーナは、嬉しそうに顔を綻ばせて駆け寄りシルヴェストル陛下に抱きついた。
それにはシルヴェストル陛下も驚いたようだった。
「お会いしとうございました! お会いしとうございました! シルヴィ様!」
「そうか……」
「わたくし、シルヴィ様に刺繍したハンカチをお渡ししたくて! ほら、覚えていらっしゃるかしら? 昔一緒に行ったピクニックで、突然飛んできた野生の鷹を、まるでご自分のペットのように腕に止まらせた事がありましたでしょう?
わたくし、それが忘れられなくて。あの時のシルヴィ様はとても凛々しくて素敵で、ですから鷹を刺繍いたしましたの」
今までの会えなかった期間が何も無かったかのように振舞い、話をするユスティーナにシルヴェストル陛下は戸惑っているようだったが、差し出されたハンカチを受け取る事をせずに、ジルを自分の隣に来させた。
「ユスティーナ……今日はそなたに会いたいと申す者がいたので、余が連れてきたのだ」
「まぁ、わたくしに?」
「あの、はじめまして……あれ? 違うのかな……えっと、私は……ジルです」
「ジルさん、と言うの? はじめまして。わたくしはユスティーナ・メンディリバルと申します」
ユスティーナはそう名乗ると、美しいカテーシーをした。ジルは慌てて同じようにしてみせる。
しかし……
ユスティーナはメンディリバルを名乗った。これは王家の姓だ。シルヴェストル陛下は、ユスティーナとは離縁した状態だと言っていた。
あんな事件を起こしたから、それは刑を執行するにあたって同じような作業で離縁は執行されたそうだが、それを知ってか知らずか、彼女は自分をシルヴェストル陛下の妻だと名乗ったのだ。
ユスティーナは何処まで覚えているのだろうか。自分の都合の良いことだけを覚えていて、都合の悪いことは忘れてしまっているのだろうか。
微笑みながらジル見つめているユスティーナは、ジルを殺すように短剣で何度も刺した人とは思えない程に穏やかに見えた。
それでも、彼女が何をしだすか分からない。
俺はジルの横に立ち、何が起こってもジルを守ると心に誓ったのだった。




