母の故郷
朝陽が目に届く。最近、ジルを起こすのは俺の役目だ。
優しく髪を撫でて、ジルと呼び掛けてみるが、やはりそれでは起きてくれない。だから口づけをする。そうするとジルは目覚めてくれる。
「おはよう、ジル」
「おはよう、リーン」
「今日は何処に行く? 何処に行きたい?」
「んーとね、今日はピクニックってのをしたい。気持ち良いんでしょ?」
「そうだな……」
「そうじゃないの?」
「いや……ほら、俺たちは一緒に旅をしてただろ? 街道を歩いたり森の中で野宿をしたり。外で食事を作ったりもしたよな」
「うん、楽しかった!」
「ピクニックはそれとよく似てるかな。綺麗な景色を見ながら外で食事をするんだ」
「そうなんだね。野宿も楽しかったし、ピクニックも楽しそうだね」
「そうだな。じゃあピクニックに行くか?」
「うん。そうしたい」
「どこにピクニックに行こうか……」
「森に」
「え?」
「お母さんがいた森に」
「ジル……」
「父上は狩りをしに行ったって言ってたけど、無闇に動物を狩るのはちょっと気が引けちゃうの。食べるためなら仕方ないって思うんだけど……なんか矛盾してるよね」
「そんな事はないさ。じゃあ狩りはなしにしよう。まぁ、襲われそうになったら手を出してしまうかも知れないが」
「うん、それは仕方ないよね」
ジルがそう言うから、今日は森へ行くことになった。俺たちは馬に乗って行くことにする。従者や侍女たちは荷物があるから馬車で。ピクニックとは言え大掛かりだ。
俺の前にジルを乗せ、馬で駆けていく。こうしていると、初めて会った時を思い出す。ジルの髪が風に靡いて俺の顔を擽る。昔は髪が顔に当たることが無いほど小さく幼かった。あの頃もジルは可愛かった。一生懸命俺に話をしていたのを覚えている。
暫く馬を走らせ、森へと入る所で一旦休憩をする。
ここから馬車は入れないから、従者たちはここで待機して食事の用意をするそうだ。テーブルとかもセッティングされ始めた。
なんかピクニックというのとはちょっと違う気がしたけれど、ジルが嬉しそうにしてたから良しとしよう。
少し休憩してから馬に乗って森へと進む。この森は鬱蒼と木が生い茂り、僅かに木漏れ陽が入る程度で、だからここは薄暗かった。
ジルは暗闇を怖がる。それは闇の力に翻弄される前からだ。幼い頃から狭い部屋に閉じ込められていたジルは、陽の光が見えると安心する。逆に言えば、薄暗い中では不安に感じてしまうのだ。
ジルに、
「暗いけど大丈夫か?」
と聞くと、
「大丈夫だよ。ここは自然に溢れてて、陽も見えてるもの」
と笑って言っていた。良かった。
暫く進んだ所で、シルヴェストル陛下が止まり馬から降りた。それを見て俺たちも馬から降りる。
そこはなんの変哲もない森の中。よくここを覚えていたなと思える程、特徴がある訳でもない場所だった。
「ここだ。ここにメイヴィスがいた」
そこには少し大きめの樹木があって、その傍らにメイヴィスがいたとシルヴェストル陛下は言った。その当時を思い出しているのか、それからは何も言わずに、ただその場に佇んでいた。
「ここにお母さんが……」
一瞬フワリと風が舞い込んで、ジルの髪を靡かせる。ただそれだけの事なのに、何故か俺は胸騒ぎを覚え、思わずジルの手を掴んだ。
ジルは不意にそっと木に手を置いた。
その瞬間、突然目映く辺りが光りだし、その眩しさに俺は思わず目を閉じる。
シルヴェストル陛下のジルを呼ぶ声が遠くで耳に届いて、それにも不安になって、俺はジルの手を離さないようにより一層強く握りしめた。
少しして光が落ち着いたようなのでゆっくりと目を開ける。そこはさっきまでいた森の中ではなくなっていた。
傍には、ジルが触れた木と同じような木があるが、目の前には家が何軒もあって、ここは何処かの村だと思われた。
「ここは……」
「多分お母さんがいた村だと思う」
「それは……もしかして神聖なる村ってことか……?」
「うん。そうだと思う」
一見すると普通の村。所々村人がいるのが見える。ジルは臆する事なく進んでいく。俺もジルの手をしっかりと握って同じように進んでいく。
俺たちの存在に気づいた村人たちは、驚いたようにジルを見た。一人がバタバタと何処かに駆けていく。他の人は警戒するでもなく、ただ呆然とジルを見続けていた。
ジルはその目線を気にもしない様子で、辺りをキョロキョロ見渡す。ここは長閑な風景で、自然の中にひっそりと村がある、といった感じだった。
村人は畑仕事や家畜の世話等をしており、近くには川も流れていて、そこで洗濯している人もいる。穏やかと言うのが似合う村だな、と思った。
そうやって周囲を確認していると、さっき走って行った人が誰かを連れてきたようで、その人もバタバタと走って俺たちの元まで駆け寄ってきた。
年配のその人は、ここの村長かと思われた。急いで走ってきたようで、荒くなった呼吸を暫く整えて、それから俺たちをマジマジと見てから大きく深呼吸をした。
「お帰りなさいませ、聖女様」
「えっと……はい、ただいま、です」
「私は村長のイゴルと申します。さぁ、こちらへ。まずは御神木にご挨拶を」
「御神木?」
「はい。どうぞこちらへ」
促されて、俺たちは訳もわからずついていく。どうやら拘束されたりはしないようだ。
村長イゴルの後をついていくと、村の奥の方にある巨大な樹木の前にたどり着く。
それは長年ここでこの村を見守っていたであろうと思わせる程に存在感があり、威厳があるように感じられる。その木を見上げて、思わず息をゴクリと飲み込んだ。
イゴルはその場に跪き、両手を組んで頭を下げた。ジルは何も言わずに、何もせずにただその場で俺と同じように木を見上げていた。
すると風が吹いて、小さく優しい竜巻のような渦がジルを包み込むようにしてグルグルと覆いだした。
俺はジルと手を繋いでいたのだが、それは弾かれるようにとかれてしまった。
だがそうされても、何も恐ろしい事が起きないのは自然と分かる。ここはジルにとっての故郷であり、聖女を保護する場所なのだ。なぜかそれが教えられなくても理解できた。
風に包まれたジルは、キラキラと光の粒を全身に纏い出す。それは神秘的で、まるでジルが女神のように見えた。
暫くすると風も光も無くなって、ジルは元通りの状態へと戻った。
何が起こったのか、どういう原理なのかは分からないが、ジルが更に神聖化したのは説明されなくとも分かってしまう。ここはなんとも不思議な場所だ。
イゴルが立ち上がり、御神木から背を向ける。帰るのかと思って俺たちも後ろを向くと、いつの間にかそこには村中の人たちがいて、さっきのイゴルと同じように跪き頭を下げている状態だった。
俺とジルはその状況に、思わず驚いて立ち竦む。
「あの、これは……」
「皆が聖女様をお迎えしているのです。お疲れでしょう。聖女様のお住まいへ案内致します」
「え……私の住まい……?」
「はい。さぁ、どうぞ」
謂われるがまま、俺とジルはイゴルに案内されて聖女の家へと歩いていく。
まだ、訳がわからない事だらけだ。だけど、一つ分かった事がある。
それはここが神聖なる村だと言うことだった。




