根底にある力
目の前は真っ暗闇。
僅かに聞こえるのはシルヴェストル陛下の声。近くにいる筈なのに、遠くにいるような感覚だ。
シルヴェストル陛下には失礼だと思ったが、俺は掴んだシルヴェストル陛下の腕を離せずにいた。
とにかく守らなければ。だから分かる場所にいて欲しいと思った。
しかし、辺りも見えず音も聞こえず、魔力も尽きたように魔法が使えなくなった。
こうなれば魔力に頼らず、五感を研ぎ澄ませる事にする。暗闇で何も見えない状態だが、そんな中俺は目を閉じた。落ち着け。惑わされるな。まずはさっきまでいた場所を思い出せ。
玉座に座るヒルデブラントの前にいたシルヴェストル陛下の後ろ左側に俺はいた。だから俺は左腕を掴んでいる筈だ。
自分の立ち位置に注意しつつ、シルヴェストル陛下を庇うように前に出てから、やっと腕を離す。目を閉じたまま、気配を辿るように感じていく。
そうすると前から異様な感じというか、受け入れたくない空気というのが漂って来ているようなのが分かった。
これが闇の根源か? それを吐き出しているヒルデブラントを倒さなければ、俺たちはこのまま闇の中をさ迷う事になるかも知れない。
今一番ヒルデブラントの近くにいるのは俺なのだろう。だから俺がこの状況を何とかしなければ。
何も見えない。だが僅かに感じられるようにはなった。もっとだ。もっと気配を感じ、ヒルデブラントを捉えなければ。
「リーンハルト殿?! ダメだ! 離れるな!」
そんなシルヴェストル陛下の声が後ろから微かに聞こえる。さっきよりも更に聞き取りづらくなってきた。腕を離しただけなのに。
ジリジリと嫌な空気を辿るようにして進んでいく。かなりヒルデブラントの近くにいる筈なのに、遠くにいるように感じてしまう。
まだ闇を生み出す根源まではたどり着かない。いや、行きたくない。行くな、引き返せと本能が警告している。
進む度に体に感じる闇の力のあたりはきつくなってきていて、息苦しくなり、体がフラリとぐらついてくる。
それでも進まなければ。ヒルデブラントを倒さなければ。
あぁだけど……
頭がクラクラしてくる。闇が俺の体の中に侵食してこようとしているのが分かる。自分に結界を張らなければ……ダメだ、それも覚束ない……魔力が引き出せない……
誰の存在も感じられない。自分がどこに立っているのかも分からなくなってくる。
深い沼に沈んでいくような、体の外側が圧迫されていくように、そしてそれが内部へ侵入するようにして俺の歩みを止めていく。
それでも進まなければ……コイツを倒さなければ……
そうしなければ、ジルはいつまでもヒルデブラントに囚われたままなのだ。
ジルを解放してやらなければ……
ジルを……
あぁ……ジル……そう名を心の中で呟くだけなのに、体の中から力が湧き出るようだ……
あの笑顔をまた見る為にも、俺はここで立ち止まっている訳にはいかないのだ……
帰って……ヒルデブラントを倒したと告げて……そう言ったらジルは俺に笑いかけてくれて……
俺はジルを抱きしめるんだ……
しっかり抱きしめて……もう何処にも行かないと……もう離れないと……ジルに……
そんなふうにジルの事を想っていると、さっきまであった身体中に侵食してくる闇の力の空気らしきものが自分の中から這い出るように感じた。
重々しかった自身の体が内側から浄化されていくような感覚になり、次第に解き放たれていく。
力が奥底から漲ってくる。目の前の闇が一気に鳴りを潜めていく。
どうやら俺自身が光っていたようだ。俺を中心にして、闇は退かれていき、光が広がっていく。それは一瞬の出来事だった。
誰もがその眩しさに目を閉じている時、俺だけが目の前にいるヒルデブラントをこの目でしっかりと捉えていた。
すぐに剣を脳天から力を込めて一気に落としていく。剣に光魔法の付与は忘れずに。
「あ"……あ"……っ!」
それがヒルデブラントの最後の言葉となった。
禍々しさを放っていたその体からは、もう何も発する事はなかった。
「リーンハルト殿!」
真後ろからシルヴェストル陛下に呼ばれてそちらに目を向けた瞬間、ボロボロとヒルデブラントは枯れた肉片となって足元に崩れていった。
それは本当に人だったのかと思う程に、硬い土が石のように崩れたような感じだった。かろうじて人だと分かるのは、それがヒルデブラントの衣装に包まれていたからだ。
倒せた……俺はジルを虐げてきたヒルデブラントを倒した……
突然、辺りから
「「「うおおぉぉぉぉぉぉぉーーーーー!!」」」
と大きな声が沸き上がった。
皆がこちらに向けて拳を掲げ、勝利に沸いたのだ。
辺りを見渡しながら、まだ感覚が鈍い自分の体で答えるように、俺も拳を突き上げた。
更に声が高まる。勝った……勝てた……ジル、この国は崩壊したぞ。君を理不尽に扱ってきた、この忌々しい国はなくなったのだ……!
いや、まだだ。まだ安心はできない。
ヒルデブラント以外にも、同じようにあの状態でいる神官達をこのままにはしておけない。いつまたさっきのように闇が発せられるか分からないからだ。
呆然としているミロスラフに神官達の事を聞くが、何も答えられない状態だった。
だが、神官達は恐らく神殿にいるのだろうと考え、俺たち部隊はすぐに神殿へと向かった。
さっき俺が光ったと言うか、体にあった闇を吐き出させる事が出来たのは、根底にあったジルの恩恵なのだろう。だが全ての闇が俺から出ていった訳ではなかった。だからまだ体は万全ではなく、気をしっかり持っておかないと意識が飛んでいきそうになる。
何度も頭を振って意識をハッキリさせ、神殿にたどり着くと、建物自体が既に禍々しい闇の力に覆われているような状態だった。
だから誰もここに立ち入る事が出来なかったようなのだ。
目を閉じて、さっきみたいにジルを思い出す。これが俺の力の源なのだ。そしてこれこそが聖女の加護を充分に発揮させられるのだ。
するとまた俺は光ったようだ。そこにいる者達が驚いて俺を凝視していたが、その視線を受けながら俺は神殿へと入っていく。被われていた闇は、俺が近づくとそこから分散されるように無くなっていく。
その様子を見て、俺の後ろから部隊は続いて神殿へと足を踏み入れた。
神殿は一階が礼拝堂になっていて、二階からは神官達の住まいと、鍛練する施設等もある。最上階には大司祭の部屋があるのだが、二階の部屋の一つに神官達と共に大司祭も一緒くたに放置されていた。
ベッドに寝かされる事もなく、床にぞんざいに置かれた状態の神官達を見て、自業自得と思ったのは言うまでもない。
しかし、ヒルデブラントはあの様に王として奉られるように玉座に座らせていたのに、曲がりなりにもこれが神に仕える者達にする対応とは思えなかった。
それがこの国の在り方だったのだと、改めて認識させられた。
自分では身動き一つ取れない状態で、呻くように声を僅かに発する神官達の頭に俺は剣を突き刺していく。その体はヒルデブラントと同様、ボロボロと崩れていった。
俺に続いて、他の者達も同じように剣を突き刺して、その命を奪っていく。とは言え、これはコイツ等にとっては救いなのだ。死ねることを有り難く思いながら地獄へ落ちるがいい。
全ての神官達をこの世から抹消させた。
これで終わった。
やっと終わったのだ。




