帰ろう
暗闇から引き戻されたように、辺りは急に明るくなった。
それに目が慣れず、俺はジルを抱き寄せたまま目を閉じていて、それから馴染ませるようにゆっくりと蓋を上げる。
「なんだ……これ、は……」
さっきとは違った光景に、口からはそんな言葉が勝手に漏れ出ていた。
目の前には神官達とヒルデブラント陛下と思われるモノがそこにあったからだ。
それは醜く朽ちて蠢くミイラのようで、干からびた体で横たわり、何かに怯えるように声にもならないような呻き声をあげていた。
暗闇だった時間は長くはなかった。ほんの僅かな時間であったが、その間に一体何が起こったのか……
ヒルデブラント陛下は椅子に座ったままの状態で朽ちていて、衰えた顔の中で眼球だけはギロリとこちらを見据えていた。思わずゴクリと息を飲む。
「リーン……どう、しよう、リーン……っ!」
「これは……ジルが……?」
「わ、私……なんて、ことを……」
俺の腕の中で恐る恐る様子を見たジルは、またガクガクと震えだした。
こんな事が出来てしまうなんて……
流石の事に俺も驚きを隠せなかったが、とにかく俺が冷静に対処しなければ……
「ジル、落ち着いて。これは仕方のない事だ。ジル」
「こ、こ、こん、な、事を……し、して、しまう、なんて……」
「ジル、ちゃんと呼吸しろ。ジル?」
「ど、どう、しよう、リーン、どう……」
「ジル! 俺を見ろ!」
「わた、私っ! 私、なんて酷い事をっ!」
「ジルっ!」
ジルは俺の言葉も聞こえてないようだった。震えながらミイラのようになった神官達から目を離せずに、自分がしてしまった事を嘆いていた。
こんな奴等、こうなっても当然なのに、それでもジルはそうしてしまった自分が許せないようだった。
涙をボロボロと溢し、今にも崩れ落ちるそうなジルを支え、顔を強引にこちらに向かせ唇を塞ぐように口づけた。
とにかくジルの意識を別のところに持っていかなくては。そんな考えからの行為だった。
何か言おうとするのを止めるように舌を絡ませる。しっかりと抱き包み、頭に手を添えて逃げ出さないように。
ジルは俺の胸元の服を握りしめていたが、それが力を無くしていき、背中に手が回ってきた。
それに気づいて、漸く俺は唇を離した。
ジルは目から涙を溢しながら、俺を見た。
「リーン……」
「ジル……帰ろう。今すぐ帰ろう。行けるか?」
「うん……」
しっかりと抱き合うと目の前が歪みだした。俺達はヴァルカテノ国に帰って来れたのだ。それはジルが落ち着きを取り戻したと言うことだった。
着いた場所は庭園にある東屋だった。
ホッと一息ついたところで力が抜ける。ジルを抱く手は緩まったが、ジルはそれに気づいてか俺にしがみつくように力をギュッと入れてきた。
宥めるようにジルの頭を何度も撫でて
「帰って来れたよ。もう大丈夫だ。安心していいから」
と言うが、ジルは俺から離れようとしない。
「あ、聖女様!」
「こんな所におられたのですね! 突然いなくなって驚きました!」
俺達を探していたのか、従者や騎士達が俺達を見つけて駆け寄って来た。
それにもビクッとしたジルに、
「ここはヴァルカテノの庭園だよ。もうジルを傷付ける人はいないから」
と優しく告げるが、それでもジルは俺から離れない。
近くに寄ってきた従者に、
「後程何があったかシルヴェストル陛下に報告するから、今はそっとしておいて欲しい」
と頼んだ。
ジルの様子がおかしい事に気づいた従者達は、俺の言うことに頷きその場を離れてくれる。
だけど遠巻きに俺達の様子を伺っている。何かあればすぐに駆け付けてくれる距離にいてくれている。
暫く宥めるようにそこにいて、様子を見ながらゆっくりとその場を離れていく。とにかくジルを休ませたかったのだ。
俺の腰に抱きついたジルの肩を手を置き、しっかりと離れないようにしてジルの部屋まで戻ってくると、扉の前には侍女頭のアデラが待機していた。
部屋に入ると、アデラはジルに着替えを促す。しかしジルは俺から離れたがらない。二人でソファーに座ると、アデラは仕方がないと言った風にため息をつき、それから壁際に控えた。
まだ部屋で二人きりにはできないと思ったのだろう。けれど今はそっとしておいて方が良いと判断してからか、何も言わずに佇んでくれている。気遣いが有り難かった。
「ジル……疲れただろう? 眠りたかったら眠ったらいい。俺がずっと傍にいるから。どこにも行かないから」
「ん……リーンお願い……死なないで……」
「ジル……」
そうか……ジルは俺が攻撃を受けて倒れたから、それに怒りを覚えてしまったのか……
ジルがいなければ、俺はあの場で死んでしまっていたのだろう。守ると言いながら、俺はジルを守れていなかった。逆にジルに守ってもらったのだ。
だからジルはこうなっている。
酷い仕打ちを受けても、ジルは誰かを恨んだりしてこなかった。誰かを傷付ける事はしてこなかった。
なのに今回、俺が倒れてしまったから、ジルが俺の代わりにアイツ等を打ち負かしてくれたのだ。
こんな儚げな少女に守って貰うしか出来なかったなんて……本当に男として情けない。
ジルは俺の肩に寄りかかって目を閉じた。まだ涙は流れ出ていて、俺はそれをそっと拭う。
暫くそうしていると、シルヴェストル陛下がバタバタバタと慌てた感じで部屋にやって来た。
「ジュディス! 無事だったのだな?!」
「陛下、 お静かに……!」
息を切らしている様子から、走って来たと思われた。慌ただしく入ってきたシルヴェストル陛下は、アデラに窘めてられてからはすぐに状況を理解し大人しくなった。
ジルが眠っているのを見て、少しオロオロしたようだ。恐る恐る近くに来て、俺を見る。
「陛下、大丈夫です。今ジルは眠っているので」
「そうか……そうか、良かった……」
安堵の表情を浮かべたシルヴェストル陛下は、俺の前のソファーに座って脱力したように背もたれに体を預けた。きっと凄く心配たのだろうな。
「で……何があったのか」
「はい……」
そうして俺は、さっきまでの事をシルヴェストル陛下に話して聞かせたのだった。




