まだ絶望じゃない
リーンと婚約する事ができた。
この日を迎えるのに、私は淑女の立ち居振舞いって言うのと、ダンスを教え込まれた。
日中はリーンを眺めながら勉強をして、リーンと共に騎士舎から帰って来てからは、ダンスホールで講師の人に立ち居振舞いとダンスを教えて貰う。
その時は私の近くでリーンがこの国の歴史なんかを勉強していて、時々ダンスの相手をしてくれる。
慣れない事ばかりだったけど、出来ない事が増えるのは嬉しかったし、分からないことが分かっていくのも嬉しかった。
それに、ダンスの時は堂々とリーンと触れ合える。それが何より嬉しかった。やっぱりリーンと触れ合っている時は安心する。心が暖かくなる。ずっとこうしていたいって思う。
だからついダンスが終わってもくっついたままでいちゃう。けど、そうしているといつも先生に怒られる。
早くリーンと結婚って言うのをしたいなぁ。そうしたらずっと一緒にいられて、くっついても怒られないんだよね。一緒の部屋にいられるし眠れるし。早くそうならないかなぁ。
その為にダンスとかが必要なら、頑張らなきゃいけないよね。リーンはフェルテナヴァル国では侯爵家にいたから当然ダンスは踊れていて、だから私がリーンに追い付かなくちゃいけない。
リーンに恥をかかせちゃダメだもんね。
そんな日々を過ごして迎えた婚約パーティー。
パーティーの前に王女として、聖女として皆に紹介しないといけないらしくって、その行程をちゃんと出来るようになるのも大変だったし、本当に緊張したけど、リーンに見守られながら何とか失敗もせずにちゃんと出来た、と思う。
まだ王女とか言われるのに全然慣れないし、シルヴェストル陛下をお父さんと思う事にも慣れないけれど、受け入れようって思う。だって、シルヴェストル陛下は私を好きみたいだから。
私を好きになってくれる人は今まであんまりいなかったから。リーンと、リーンのお父さんとお母さんだけだった。
だから好意を向けられる事が有り難くって、そんな人を蔑ろになんてしたくないって思う。
ヴァルカテノ国の人達は、私を嫌悪するような目を向けてこない。笑ってくれる人ばかりだ。何も言わずに口を開けて見詰めているだけの人もいるけれど、敵意を向けられている訳じゃなさそうだから怖くない。
この国は怖くない。
だから、パーティーの時に挨拶に来てくれる人達と話をするのも楽しかったし、抵抗とかはなかった。みんなが、
「おめでとうございます!」
って言ってくれるし、
「お会いできて光栄です!」
とかも言ってもらえて、リーンと私を祝福する言葉をくれるのが嬉しかった。
大好きなリーンの傍にいられて、周りの皆は私に嫌なモノを見るような目を向けてこなくて、好意的な目を向けてくれる。
胸が暖かくなって、心が満たされて、幸せってこう言うのなのかなぁって、その時思ったの。
だけど……
突然背筋がゾワリとした……
私に悪意を持つ人がいる、と言うのが分かった。だってこの悪意、と言うか私を蔑み見下す目は知っていたから……
私から腕と脚と髪を奪い虐げ、そして悉く尊厳を踏みにじったあの神官……!
それが分かった瞬間、さっきまでの幸福感が何処かにいって、過去に受けた恐怖と痛みと嘆きと苦しみ悲しみが、一気に私の頭の中を支配した。
怖い……
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!!
知らずに体が震えていた。みるみるうちに力が入らなくなっていく。持っていたシャンパングラスはするりと手から滑り落ちた。
神官は私の手首を掴んだ。恐怖で体が動かない。どうしよう、どうしよう?!
リーンが私を支えるように腰に手を回してくれたけど、気づけば私達はさっきとは違う場所にやって来ていた。
目の前には私を虐げていた神官達とヒルデブラント陛下……
それは絶望だった。
目の前から光がなくなっていくようで、立っているのも困難になりそうな程になっていく。
自由を手に入れて幸せだと思えた日々が一瞬にして消え去っていく……
「大丈夫だジル。ゆっくり呼吸して。俺がいるから。な?」
リーンの声が聞こえて、かろうじて私は立っている事ができた。優しい、私の大好きなリーンが傍にいる。
まだ絶望じゃない……
それでも震えは止まらなくて、身体中恐怖に支配されていて、私の思考は止まったままだった。リーンの背中にしがみついて、あの時のように暗闇の中に落ちていかないように、何とか止まるようにするしかできなくて……
神官達が攻撃してくる。リーンが応戦している。炎や雷が目の前でバチバチと飛び交っている。この部屋には結界が張られているのだろう。だから部屋は守られている。
リーンも結界を張ってくれたのだろう。神官達の攻撃は私達には届かない。
私も何とかしなくっちゃ……
あぁ、だけど……
ヒルデブラント陛下は変わらずに私を笑いながら見詰めている。
その目に囚われたように動けなくなる。思考回路は凍りついたように動かなくなる。
リーンは私を庇うようにして攻撃をし、受けている。ダメだ、私がこんなんじゃ、リーンが思うように動けないのに……!
バリバリバリ……っ!
そんな音が聞こえたと思った瞬間だった。
「あ……う"っ……!」
「え……」
私の前に立ち塞がっていたリーンの姿が、ゆっくりと下に落ちていく。
え? どうしたの? なんで……
「リーン……?」
崩れ落ちるようにして膝をついたリーンの背中に何かが見える……なにこれ……なにこれ?!
「リーンっ!!」
そのままグラリと横に倒れそうになるリーンを後ろから支える。リーンの腹部には氷の槍のようなモノが刺さっていた。
「手こずらせやがって……!」
「此奴がここまで魔法に長けていると報告は受けてなかったぞ?! レーディンの奴、隠しておったか?!」
「とにかく止めを刺しましょう。この女と一緒に貫いても女だけは助かるでしょうから」
「そうだな。この女は滅多な事では死なぬからな」
神官達が何か喋っているのが聞こえるけれど、何を言っているのか全く頭に入ってこない。
私は倒れたリーンを後ろから抱きつくようにして支えている。
ダメだよ、リーン……血が出てるよ……
死なないで……お願い……死なないで……!
私が強くそう思った瞬間、私の体が光ってリーンを包んだ。キラキラと光の粒は優しくリーンを包み込んでいくと、さっきまであった腹部の氷は消えていて、流れ出た血もなくなっていた。
「なんだ……これは……!」
「こんな事も出来たのか……っ!」
「これは利用価値がある! 早く捕らえよ!」
リーンの顔に赤みが戻ってきた。さっきまで青白かったけど、元に戻った。
生きてる。良かった、リーンは生きてる!
だけど私は思い知った。
本当の恐怖はリーンがこの世からいなくなることだと。
リーンが私の傍からいなくなることの方が、自分が虐げられるよりも恐怖だったのだと……!
許せなかった。
リーンを私から奪おうとする神官達が、ヒルデブラント陛下が、そしてこの国が私は許せなかった。
許せなかった……!




