20 聖女は暗躍するのが仕事です
「おはげの治療終わりましたー」
「うい、ごくろうさま」
簡易医療セットを持ったシスターはツルピカ頭をひと撫でしてから退室する。
未だにリアルの女性に耐性がつかないのか金剛寺は居心地の悪そうな顔だ。
「危なかった。頭蓋骨を装備していなければ即死だった」
「頭蓋骨にそんな防御力ねーよ!」
金剛寺は包帯でぐるぐる巻きにされたハゲ頭をさすりながら、周りにいる人間へちらりと視線を送る。ここに彼を労わる人間は誰もいない。本人の希望で包帯を巻いただけで、かすり傷しか負っていないのだから当然だ。
「うう、ゲンゲンが冷たいのだ」
「マジ死んだと思ったんだからな!」
一時間前、雪に潜んでいた襲撃者の凶刃が金剛寺の頭部に突き立てられた。
雪の上に倒れる親友を見て、玄間は思わず悲鳴を上げた――が、金剛寺は死んだと思い込んで気絶しただけだった。
魔法で強化された金剛寺の骨肉を貫けるナイフなど存在するはずもなく、人類を超越した肉体を持つ相手の心配など無駄である。
「それではもう夜も遅いし解散しましょうか」
「いいえ、解散はラウラさんの申し開きを聞いてからですわ」
そんな失態をやらかした金剛寺よりも厳しい批難の目に曝されている少女がひとり。肩を押さえられ、椅子へ戻される。
「襲撃者は、戦火をもたらす魔女を帝国から排除する!とか言ってましたけど?」
「ちゃうんです。わたしの作戦じゃなくて情報収集が間違ってたんです」
ラウラは手を振りながら自分に責はないとどうにか弁明を計る。
エピクロスのパーティーから帰宅した直後に現れた襲撃者の正体は帝国棄民の男だった。先代皇帝と婚約を結んでいた隣国ラバリエの姫が失踪した事件から始まった動乱の最中に、帝国から見捨てられた辺境の民である。
捕まえた襲撃者の話によると――帝国棄民と呼ばれた彼らは、数年前までは確かにルパ帝国に対して義賊的な反政府活動をしていた。しかし現在では、そうした過激派は皆、捕まるか解散しており、争いを望む民族は残っていないらしい。
『もう争いなんて……誰も望んでいないんだ……』
男は涙ながらにそう語った。
話の真偽はともあれ、ラウラ達は帝国棄民が再決起するために、火炎魔法所持者である油小路を拉致したと聞いて帝国までやってきたわけだが、最初から情報を洗い直さなければならないようだ。
そして、ラウラが魔女と呼ばれた理由に話は戻る。
ラウラは帝国棄民がまだ復讐を目論んでいると思っていた。
帝国棄民の多くは痩せた土地の辺境民だが、内乱が収まってから15年以上が経ち、故郷を離れて他の領地に隠れ里を作る者や、帝都の貧民街に流れている者がいることは報告で知っていた。
そこで、帝都の孤児院で面倒を見ている子供の中には、必ず帝国棄民と繋がりを持つ孤児がいるはずだと踏んだのだ。孤児のする話など貴族の耳には届かないが、スラムの暗がりで暮らしている者の耳には届く。聖女が革命を肯定すれば、それを聞きつけた帝国棄民の過激派が接触してくる、という作戦だった。
「我々は帝国が内戦になろうと誰が皇帝になろうと興味ありませんし、油小路を救出できれば他はどうでもいいわけですから、良い作戦だと思ったんですけど……」
「ありえん。それで作戦が革命ごっことか乱暴すぎる」
「自分から危険を呼んでんじゃ護衛なんてやってらんねーよ、バカかよ」
帝国の事情を考慮しない雑な計画は非難ごうごうだ。
「なンだと! おまえらの脳には上役に忖度するという機能がないのか欠陥現代人め!」
「おまえが言うな」
「拙僧はおぬしのせいで頭をぶっ刺されたわけだが?」
「それは……うん、ごめん」
「謝罪が軽いッッ」
ポーネットが手を鳴らして脱線しかけた話を戻す。
ラウラ達がやるべきことは、まず油小路が拉致されたという話の出所を確認することだろう。
帝国棄民が数年前まで国内で貴族を狙った犯行をしていたことは事実なのだから、貴族達が彼らの動向を調べていないとは考えづらい。なのにポーネットの調査で油小路の行方を知る者は誰もいなかった。油小路の拉致に帝国棄民が関わっていないのだとすれば、この点には納得がいく。
「でもそれだと想定外の敵が別にいることにならんか?」
「もっと情報が欲しいよね」
「玄間が殴りすぎて彼らは話せませんよ。あの様子だと口が利けるようになるまで三日はかかります」
「だってカンちゃんが殺されたと思ったから」
「困りましたわね。ひとまず明日はバンデーン様から話を聞きに行きましょうか」
「そいじゃ明日はジャビス司教の屋敷へ…………ん、ジャビス?」
帝都を預かる司教の名を聞いたラウラが何かを思い出したように名前を呟く。
「……ラウラさん、他にもなにか隠してませんこと?」
「聞きたいですか」
「また事態が悪くなってから聞かされるよりは先に聞きたいですわね」
「そうですか。実はですねー、孤児院を巡っている時に戒座の神官から報告がありまして……今回の一件が解決したらジャビス司教は病死するそうですよ」
唐突なラウラの告白に、全員が静まり返った。
ポーネットは顔を青くして頭を抱える。
「病死て……おぬしそれ……」
「毒殺確定です。ありがとうございました」
さらに、戒座の神官達が調べたジャビスの隠し財産の推定総額を聞かされて驚愕する。
バンデーンの考える“来るべき未来”のため――という心の免罪符を得て、ジャビスはやりすぎたのだ。枢機卿まで上り詰めた司教がここまで汚職塗れになり、本国を欺くなど異例の大事件。ミラルベル教の長い歴史上においても現役司教を内部で暗殺するなど片手で数えられる珍事となる。
枢機卿とは教皇選挙への参加権を持つ者。教皇に最も近い者達だ。それほど高位の聖職者が教義を忘れ我欲の溺れる。その事実がもたらす影響は計り知れない。使徒座と戒座では命令系統も違うので、抗議したところで計画は止まらないだろう。
「でも油小路を助けてからの話ですし忘れていいですよ」
「わ、わたくし知らされてませんでしたわ」
「ポーさん若いし気を遣われたんじゃないですか」
「ラウラさんの年齢だって自称でしょう。教会ではまだ12才くらいだと思ってる人たくさんおりますわよ?」
「なら、わたしの方が戒座に認められてるってだけですよ。と言っても、わたしもジャビスがお金せびりすぎて恨み買いまくりってこと以外知りませんけど」
「それもなんだかショックですわ……」
そして一夜が明け、ラウラ達がジャビスの屋敷へ着くと、
「今朝、ジャビス司教が亡くなりました……」
「……なんで?」
自室のベッドで冷たくなったジャビスがいた。
横たわるジャビスの亡骸をバンデーンが嗚咽を漏らして抱きしめている。
しかし、同士を失って悲嘆と憔悴の中にある様に見せかけて、虚ろな眼でアルコールの匂いを漂わせるバンデーンには不信感が残る。
「久しぶりに会ったら人が変わってるんだが……あのオッサン大丈夫か?」
「死ぬのは今回の任務完了後という話ではなかったか?」
「わたしに聞かれても知らんとしか答えられませんよ」
今は気温がマイナス20度を超える日もある帝都の冬季。酔って窓を開けたまま寝ただけでも簡単に人は死ぬし、ジャビスのような高齢者はいつ脳梗塞を起こしてもおかしくない。おかしくはないが――戒座の話を聞いた後では、自然死だと言われても信じられなかった。
「妙だな……何か足りない気がする……」
「凶器だろ」
「否……あ、わかった。幽村がおらん」
「カス? ああっ、確かにバンデーンのおっさんについてないのは妙ですね」
幽村が姿を見せてない。
ラウラ達から金魚のフン扱いされる程には、いつもバンデーンの後ろに控えていたはずなのに、ジャビスの部屋にも自室にもいないようだった。
「聖女様が来てるのに挨拶にも来ねえたぁ、ヤキ入れますか姉御」
「だれが姉御だ」
「それより拙僧はここで幽村犯人説を主張するぞ。真実はいつもひとつ!」
「カスムラ様は絶対そんなことしませんわ」
「真実は! いつも! ひとぉおおおつ!!」
「このおはげ、しつこい!」
「ポーネット様がそんなに幽村を信じてる方が不思議ですけど?」
「同郷の友人をいきなり殺人犯扱いするあなた達がおかしいのですわ」
「まーまー、とりあえず迷探偵は無視して本人を探しましょう」
教国へ遺体を輸送する前に帝都でも簡易な葬儀をやるらしく、屋敷は悲しみに暮れながらも忙しく人が出入りしている。一体どこにいるのか、手分けして探しても幽村は一向に見つからなかった。そうこうしている内に、葬儀の段取りについて相談したいという司祭が来て、捜索を一旦切り上げる。
「聖女様から司教へ御言葉を頂戴したいと云う者もたくさんいますが、今回は司教が残していた遺言により質素かつごく少数人での密葬とし、出席を遠慮していただきたいと思います」
「え、葬儀でなくていいんですか」
帝都にいる最高位の聖職者の一人として挨拶を求められるのかと思いきや、司祭はそんなことを言った。
ジャビスは金の溺れた悪徳司教ではあったが、事情を知らない信者からすれば多大な寄付金を集める徳の高い聖職者である。慕う者も多く、聖女が葬儀を欠席すれば問題になるはずだ――と疑問を抱いたことで単純な自然死の線が薄くなった。
「てか、あなた戒座の人じゃないですか? もっと早く会いに来てくださいよ」
「申し訳ございません。少々立て込んでおりまして」
「いいですけど……ならこれって前に聞いた話の続きなんですか」
「はい。昨夜は色々と想定外に都合が動きまして急遽……」
戒座の神官が認めると、ポーネットは目を伏せて祈りを捧げた。
罪人ではあれど不慮の死を迎えた者に対して心を痛めるのが普通の聖職者だ。様々な社会の裏を覗いている使徒座や戒座に所属する者ならまだいい。一般の純粋な聖職者は、この世に死に値する罪などない、人が人の生死を審判にかけるなど傲慢だと言うだろう。
戒座の神官はポーネットと何の感情も浮かべていないラウラを興味深そうに見比べてから、誰にも聞こえないように耳打ちをしてくる。
「戒座は、ルディス様はいつでも貴女をお迎えしますよ」
「一人殺したくらいでそんな顔色している人の組織に行ったら、面倒事はぜんぶ押しつけられそうなのでお断りします」
「残念です……。それで話は変わりますが――」
戒座が予定を早めてジャビス暗殺へ及んだのには理由があった。
第一皇子派閥の貴族の中に、ジャビスを暗殺しようという計画が立ち上がっていたのだ。デモクリスの弱みを握っていると勘違いしたジャビスは、事あるごとに教会への寄付を迫り貴族達も限界を迎えていたようだ。
デモクリス一派により暗殺が行われるなら、皇子は必ずその死を利用する。たとえば、声高々に教会の腐敗を主張する等が考えられた。
戒座としては、デモクリスよりも先に、こちらの都合の良い条件でジャビスを排除する必要があった。
「ふむふむ……ジャビス司教は清貧な人物だったとアピりつつ、暗殺を匂わせて犯行を貴族へ押しつけるつもりですか」
「ええ。さらに報告しなくてはならない話がもうふたつあります。昨夜、助祭カスムラ殿が第一皇子に連行されました。どこかに幽閉されたものと思われます」
「そんなっ、カスムラ様はどこへ連れて行かれましたの!?」
「で、ですからそれは調査中ですッ」
ポーネットが祈りの手を解き神官へ詰め寄った。
怪力で締められて泡を吹きかかっている神官を急いで救出する。
ラウラ達も報告を聞いた直後は驚きこそすれ、特に混乱はなかった。
緋龍高校へ通っていた頃を知る三人から見た幽村は、何をしでかすか分からない要注意人物だ。仮想敵対組織に捕まって行動が制限されるなら、むしろ歓迎といった雰囲気である。
「皇子、刺されなきゃいいけどな」
「ガハハ、ジャックナイフ幽村がついに復活するか」
「ナイフ出されたらビビるくせに……それで最後の報告は?」
「ジャビス司教は皇帝とも何か取り引きがあったらしく、バンデーン司教に何者かを紹介していたという噂があります。その後から徐々にバンデーン司教の様子がおかしくなっていったようです」
「ふーん、戒座はバンデーン司教に魔法を使われた可能性があると疑ってます?」
戒座の神官は神妙な顔で頷いた。
「ただのスケベ親父ではなかったか」
「でぶちんを誘拐したのが帝国棄民じゃない可能性も出てきたわけだし、もしかして皇帝も容疑者に入るのか」
皇帝ヌルンクスが転移者を匿った上で利用しているとなれば、彼に抱いていた人物像も変わってくる。
ラウラも容疑者が増えたことに気づいていたのか、握られたこぶしが震えていた。
「予定を……変更します」
戒座の神官が、葬儀を欠席させて最初に提案しようとしていたことも踏まえて宣言する。
「ジャビス司教の不審死を受けて、わたしはショックを受けて引きこもったことにします。そんで金剛寺と玄間をつれて帝国棄民の調査に行きます。ポーさんは目くらましに帝都で情報収集を継続しててください」
「仕方ありませんわね。どうか体だけはお気をつけて」
「帝都が異世界のソドムとゴモラになりそうだな」
教国の誇る権力を持ったトップ工作員が暗躍をはじめる――




